〜愛のベトナム支援隊〜 Love and Support Vietnam

枯れ葉剤被害者を支援しよう!寄付金受付中!今年の衣類は目標達成!ご協力ありがとうございました!

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# 東北学院大学経済学部フィールドワーク同行記17

昨日のアクセスは139でした。

 

モクチャウの夜が明けて少ししてから、ホテルから国道まで歩いてみました。

     

霧が少しずつ、山をあがっていきます。

    

寒くはないので、半袖で外に出ましたが、やはり山の朝の空気は引き締まっています。

 

チラホラと学校までバイクで子どもを送る親の姿が見られましたが、やはり風を切るために、その服装は冬用です。まさか、この日の昼に、29度まで気温が上がるとは、誰も予想していないようです。

      

     

朝食をとって、バスは、タ・ニエット小学校に向かいました。ラオス方向に、30分ほど走りました。通訳のクインさんが、国道上でまっていました。聞くと、自宅の前だったそうです。

 

タ・ニエット小学校には、1年生から最高学年の5年生まで230人が在籍していると聞きました。分校にしては、規模の大きい学校ですね。

会議室でチャン・スアン・タイン校長先生ほか教職員の先生にご挨拶しました。校長は、12月に赴任された新任の校長先生です。

      

      

全員集合している校庭に出ました。校舎は、送電線を建設していた企業の肝いりで建てられたということです。

生徒に手を上げてもらって聞きました。「日本人を初めて見た人 手を上げてください」全員が手を上げました。

      

東北学院の学生さんが壇上にあがり、歌を披露しました。

           

気温があがり、日向にいる生徒を守るために、学校の先生は。生徒を日陰に移動させました。

     

      

      

     

これに対して、生徒の代表の歌があり、先生まで返歌をしてくれました。そして、先生と生徒のデュエット・・盛りだくさんでした。

      

    生徒の瞳は綺麗ですね。視力もいいんでしょう。6〜7年前に、クアンガイ省で、眼下医師の協力を得て、視力検査をしました。結果は、検査をする必要がないくらいに目は健康でした。だから、やらなくてはいいという物ではないですが、都会の子の視力と比べると、段違いでした。

 

    

    

    

    

通訳のクインさん(写真・下 黄色いセーターの方)が、子どもたちのためにと、お菓子をくばりました。きょうは、特別授業のようです。

  

  

クインさんが、貧しい子どもたちにと激励金ということで、10万ドン(日本円で500円弱)を贈りました。

     

首都のハノイで活躍するクインさんの母校だけに、やさしい気持ちが入っています。

「いまは、少し豊かになれましたので、母校に恩返しです」と話していました。左から3人目の女生徒は、この2か月ほど前に、お父さんを亡くしたと聞きました。「泣かないで、前に進みましょう」 母校の先輩の激励の意味がこめられています。お菓子も激励金も、もちろん学校当局の許可をうけています。普段は授業の時間にお菓子が食べられて・・・それもたまには楽しいいことでしょう。

     

教職員の方々と東北学院大学で記念撮影です。

 

     

このあとは、サッカー経験のある奥山さんが希望したトーナメント方式の実践サッカー教室が待っています。東北学院大学の9名の学生が、小学生のチームに二人ずつ入ります。

     

    遠藤良記さん(左)  奥山寛也さん(右) 

 

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| comments(0) | - | 07:35 | category: 東北学院大学 |
# 東北学院大学経済学部フィールドワーク同行記16

東北学院大学経済学部今日社会経済学科のフィールド・ワーク同行記を続けます。

 

12月21日 モクチャウへ

 

通訳のクインさん宅で朝作った菓子パンを頂き、カオ・フォンミカンを車内で食べると・・・大半の人が眠りにつきました。

1時間も走らない頃、マイチャウの村が眼下に見える場所にきましたので、ちょっと通りすぎましたが、止めてもらって、徒歩で数分上り坂を戻りました。一つの峠を過ぎて、6号線が下り始めているところです。

 

学生さんの解放感もあり,学生さんは一斉にシャッターを切り始めました。真冬なのに、なんでこんなに気温が高いのかというくらい不気味な気温です。こんな格好でも暑いくらいです。

    

    

    

陽炎が揺らいでいるように、眼下にあざやかに広がるはずの高床式の民家の集合体が、なにかどんよりしています。これが、空気の引き締まっている日に、同じ場所から見られる景色です。わずかこれだけの村です。日本だと、平家の落人がいそうな感じです。

    

 

5時間かかるといわれてひたすら走りました、5時間はかかりませんでしたが、4時間は越えました。

あとちょっとすれば、日没が感じられるので、観光だけ済ませようということなりました。クインさんは、選択肢を二つくれました。お茶畑と滝・・・距離からしてお茶畑ですごすのが賢明と判断し、お茶畑に向かいました。あと1時間半余計に時間があれば、ふたつ回れたと思いますが、仕方がありません。

 

標高1500メートルのモクチャウに着きました。ベトナムで最高のお茶の線山地との触れ込みで、トゥエット・ソンというお茶もつくられています。日本語では、山雪 と訳せばいいでしょうか。

      

お茶畑の人が、私たちについて回って案愛はしてくるのですが、どうもその後の無料のお茶とそれにつなげて、お茶を買ってもらおうとの商魂が見え透いています。

    

結局、お茶を飲みました。山雪は苦かったです。

      

ベトナムには、お茶の産地がいくつかあります。この場合のお茶とは、緑茶をさします。有名なタイグエン、そして、南部のダラットの西部の方に、バオ・ロックという茶の産地があります。

      

また、ハノイの校外では、蓮茶作りが行われています。蓮が少なくなったために、毎年激しい値上がりです。スーパーなどに蓮茶として売られているものは、本来の製法ではないものが多いのではないでしょうか。

      

      

      

      仙台からきた、茶摘み娘です。

        

      仙台から来た茶飲み男です。

      

結局、野崎先生と私が、お茶を買い求めましたが、苦い味の山雪は、まだ我が家で封を切っていません。

茶文化の茶論を述べるほど理解はありませんが、ベトナムでお茶を飲む時は、こういう小さい器が好きです。

 

 

      

何回お茶を注いでくれるのは、恐縮ですが、常に熱いお茶が飲めるのは、うれしいです。

 

ベトナムのお茶には、いろいろな種類がありますね。緑茶、黒茶、黄茶、紅茶、烏龍茶、チャラン茶、蓮茶、蓮の実茶、蓮の葉茶、ジャスミン茶、バラ茶、菊茶、苦瓜茶、ドクダミ茶、ウコン茶、檳榔茶、茸茶などなどなど。

 

●蓮茶

  代表的なベトナム茶。蓮の花と緑茶をブレンドしたもので、スパイスのような独  特の香りです。

 

●蓮の実茶

  蓮の実は、一般に白く洗浄され、ドライで売られています。ドライの蓮の実を細かく砕き、主に緑茶とブレンドしたものが、蓮の実茶として売られています。

 

●蓮の葉茶

  ベトナムではドライにした蓮の葉の茶葉のみに湯を注いだり煮たりして飲むことが多いです。利尿効果あり。高血圧によいとか。

 

代表的なベトナム茶である蓮茶については、蓮の花は夜に閉じ朝にまた咲く為、もともとは閉じる前に茶葉を花の中に入れ、翌朝に開いたときに蓮の花の香りがついた茶葉を再び取り出して飲むという楽しみ方もあったとのこと。なんとも風雅でのどかなやり方で一度この方法で茶を楽しんでみたいものだ。後ろに立っている人がいて、どうだどうだとせっつかれてのむのではなく・・・世間話をしながらのましてほしいですね。

 

ホテルに着きました。

小休止して、夕食です。

長距離を走った一日でした。

この時期、金星が大きく見えます。写真では、点にすぎませんが。

      

夕食は、国道6号線を少しハノイ寄りにもどった丘の上のレストランです。

      

      運転手さん、初めての顔見世! 野崎先生の向こう側。オレンジ色のポロシャツの方。二品をのぞいて、全部、料理を決めてくれました。キッチンまで入り込むのは、やはり地元の方ならでは。

      全力で一日を開いた後の食事は、美味しいです。ちなみに通訳のクインさんがいないのは、モクチャウ出身の彼女なので、実家に帰りました。

 

      明日は、田舎の分校にいきます。天気は、よさそうです。

 

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| comments(0) | - | 08:21 | category: 東北学院大学 |
# 東北学院大学経済学部フィールドワーク同行記15

昨日、一日のアクセスは、152でした。お礼を申し上げます。

 

さて、ホアビン省のノンさん宅の最後の御報告になりました。

 

野崎先生のお手製のちらし寿司ができあがりました。

     

イラストでごまかす気はありません。ちゃんと写真でご紹介します。他人の家の台所で、ご飯を炊くのは、なかなか難しいです。私たち毎年8月のツアーでも、何回となく炊きましたが、いろいろな経験をしながら焚いてきましたので。

1時間ちょっとの中で、かなり手際よく、すすんだと思います。

 

早速、この日、ここに居合わせた人達で、いただくことになりました。

 

ノンさんのご家族、省のVAVAの副会長を含む役員の方々。地元のVAVAの役員の方々。

遠く日本から、おいしいお米を運んで来た野崎先生の気持ちの込められたちらし寿司です。そして、みそ汁も。

       

       

自然と、皆さんの顔がほころんでいますね。顔をみると、このお料理はacceptableだったことが分かります。私たちも、ほんの少し、頂戴しました。日本から遠く離れたところで、炊き立てのちらし寿司を頂くことは、めったにありません。大変美味しく、頂きました。

    

床に座っての食事は、結構楽しい雰囲気を醸し出します。別の省に行けば、どこかからお酒がでそうです。ここは、まじめですね。

 

この日、ご不在の家族もいました。その方々の分は、たっぷりとってあります。

後で野崎先生から聞いた話ですが、我々の運転手さんが、手際よく手伝ってくれたと、感謝していました。

 

ひとしきり箸が進んだところで、次の場所のモクチャウに行かなければならない時間になりました。

品物の贈呈に移りました。

東北学院大学から、生活支援の金一封を、野崎先生が贈りました。

   

日本の企業が関係して作ったお米を贈ります。

   

バイオリンの横田さんが、全員を代表して、日本の衣類を送りました。山岳地帯の冬は寒いです。ちょうどタイムリーです。

   

足湯に使ったタライ、タオル、浴剤なども差し上げました。

   

全員で、外で記念撮影をしました。

   

ホアビン省VAVAのダウ副会長には、ご協力を深謝し、日本から運んで来たお酒を、野崎先生が贈呈。

   

ここで、VAVAの方とは、お別れしました。

もう一つ、仕事が残っています。

2016年8月にノンさん宅に野崎先生他三人と愛のベトナム支援隊が贈呈した生活支援のための子牛の見学です。牛舎までいきました。

   

20168月にノンさん宅に贈呈した生活支援のための子牛の見学です。

名前をSUSHIといいます。ちらし寿司のスシです。大きくなっていました。話ができるとうれしいんですがね・・・。

     

ブンさん「来年(2017年)には出産できると思います」と楽しみにしているようでした。

ノンさん:「今、餌はとうもろこしの葉とか自然の草です。今朝も私(ノンさん)が取りに行ったのですが、餌を選ばなくてはなりません。あのスシは、おいしい葉でなければ食べてくれないんです」(苦笑い)

これで、ノンさん宅の行事の全てが終わりました。

 

この日の宿泊は、ソンラー省のモクチャウです。お茶の産地として有名です。5時間かかると、脅かされています。くねった道、上り坂がおおいからでしょう。

ノンさんのご家族にご挨拶して、お宅を辞しました。

 

これで在宅訪問がつつがなく全て終わりました。5軒の在宅訪問で、学生さん達の心の中に残ったものは何でしょう。5軒ともすべて、事情が違います。そして、ベトナム戦争は総動員態勢でしたから、どこにいっても被害者がいることもおぼろげながら分かってくれたと思います。

 

私たちは、出発してすぐ、通訳のクインさんのお宅で作っている菓子パンを車内で頂きながら、昼食としました。ご馳走さま! 

 

そして、ノンさんの住むカオフォン郡は、カオフォン・オレンジの産地として知られています。ソンラー省に向かう国道6号線沿いに、たくさんのミカン農家が店をだしています。車をとめて、通訳のクインさんがミカン一袋を買ってくれました。デザートまで頂きました。奄美大島のたんかんに似ているようにも思います。

    

ソンラーへ車を走らせている時に、5軒の在宅訪問をいろいろと考えました。

 

いま、石巻などで実施されている地域包括ケアのようなシステムが,ベトナムにできあがるといいのではないかとの思いを強くしました。医療・介護・福祉のひっくるめた新時代の社会モデルが、ベトナムでできないものか・・・と考えます。それは、老齢化社会にむけて急速に突っ走っているベトナム社会で、枯れ葉剤被害者も一般の患者も敷居をはずして、出前型の医療・介護などがうけられる包括ケアを目指すものです。どこかに、大きな病院や役所をド〜ンと作って、そこで医者や、介護士などが待つのではなく、箱物は小さくても、巡回医療・看護・介護ができるシステム作りはどうなのかと愚考しました。

 

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| comments(0) | - | 08:34 | category: 東北学院大学 |
# 東北学院大学経済学部フィールドワーク同行記14

昨日のアクセスは121でした。ご訪問ありがとうございました。

 

12月21日 ホアビン省

 

ひと通り、ノンさんからお話しを伺ったあとは、学生さんの次の活動である、合唱と、それに続く足湯にはいりました。

 

日本で練習を重ねて用意した歌は3曲です。「上を向いて歩こう」「ともだち」。そして「ベトナム・ホーチミン」

    

少しでも、心の癒しになれば・・と9人の学生さんが心をこめて歌いました。

 

やはり、中でも、手拍子の音がたかかったのは、「ベトナム・ホーチミン」です。

     

ベトナム語で書くと、

 Như có Bác Hồ trong ngày vui đại thắng

    

日本語訳は、これです。

大勝利の喜ばしい日にホーおじさんがいるようだ

    

曲が作られた時点では、既にホー・チ・ミンさんは、その6年前に死去しています。

作曲は、ファム・トゥエンさんで、1975年4月28日に南部サイゴンのタンソンニャット国際空港が爆撃されたことをラジオで聞くと、枯れ葉わずか2時間でこの曲を書き上げた、といいます。

 

サイゴン陥落でベトナム戦争が終結した同年4月30日、録音・放送されました。彼はこの功績で、労働勲章を授与されたのです。言ってみれば、北ベトナム勝利の歌 南ベトナム敗北の歌 でしょう。

 

ウィキペディアには、こうあります。

ベトナムの音楽のジャンルには青楽、赤楽、黄楽の3種類があり、この曲はこのうち赤のジャンルに属する、反米、反仏的な革命歌である。ちなみに青はソ連の歌、黄は南ベトナムから広まった西側の歌である。

 

ファム・トゥエンさんについて、ちょっとだけ書いてみましょう。

    

1930年1月12日にハイヅオン省で生まれました。VAVA会長のリンさんと同郷です。ベトナムの音楽界だけではなくて、ベトナム社会ではつとに有名です。ベトナム戦争当時、かれは、「ベトナムの声」放送の音楽部の部長をしていました。

 

トゥエンさんは、情熱のこもった曲を作風としているようです。音楽でベトナム史を書き上げてきた人と言われています。たとえば、「ハノイー空のディエンビエンフー」そして、上に挙げた「大勝利の喜ばしい日にホーおじさんがいるようだ」などです。

 

ですから、北の人は、喜んで謳います。この曲が流れた時に、学生さんは日本語で、地元の人は母国語のベトナム語で一緒に歌いました。

 

その時の写真が、これです。

         

 

     

やがて、足湯に移りました。ご長男のトゥアンさんと三男のブンさんが、お湯に足を浸けました。

「気持ちいいです」と言ってくれました。第二の心臓に温みを与えることは、大事です。どこへ行っても、足湯の効用は、ベトナムの方はご存知です。でも、なかなか、自宅ではやらないのが実状です。

 

そこに、横田絵美さんの弾くバイオリンの曲が、静かに流れます。いいですね・・バイオリンの音(ね)を聴くのは、最高です。演奏の音が、足から上半身へと、温かい血を押し上げてくれるようです。

「話すことばが異なろうと、風俗習慣が異なろうと、文明の深度の差が、どれほど大きかろうと、互いの心情の共鳴は、音楽の力によって果たすことができるだろう」というある著名な指導者の金言と響く言葉だです。

     

直接患者さんの足に浴剤の入ったお湯をかける人、それを支える人。バイオリンを弾く人、側で譜面をもって、横田さんを支える人・・・皆が何かの使命を果たしています。真剣に戦う一人一人の存在が、互いの可能性を引き出し合う。それがチームワーク力でしょう。

     

     

わずか1週間の滞在の中で、このホアビン省での「足湯」が最後になります。ほんとうに、心を込めて学生さんがやっているのがわかります。

      

こんな若い時期に、他者を支える経験を積むなら、遠い先の将来、自分に支えが必要になっても、救いの手を自然に受け入れることができるようになること、請け合いです。

        

 三男ブンさんの足です。時に痒く、時に痛い・・・そっと包むように拭きます。

 

大阪大学大学院の佐藤眞一先生が、こう述べています。

「自分一人で社会生活が困難になった時に大切なことは、自立にこだわるのではなく、他の人が支えたくなるような人格 を磨くことです」と。

 

遠い将来は、さほど遠くは無いかもしれません。この1週間で、そういうことを考える機会をもったことは、素晴らしいと思います。

 

やがて、台所の方から、風がほのかな香りを運んで来ました。

野崎先生お手製のちらし寿司ができあがったような・・・クンクンです。嗅覚が働き始めました。

 

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| comments(0) | - | 08:54 | category: 東北学院大学 |
# 東北学院大学経済学部フィールドワーク同行記13

昨日の続きを、書いていきます。

 

昨日のアクセスは379でした。行列ができるくらいのご訪問 感謝しています。

ありがとうございました。

 

12月21日(ホアビン省)

 

ノンさんが1970年に入隊、そしてラオス派遣ですと、まだ枯れ葉剤の空中撒布を見る最後のチャンスはひょっとしてあったかもしれません.。枯れ葉剤撒布中止に至るアメリカ国内の反対世論と国際世論の流れを思い起こしますと、最後のあがきで、撒布を続けたことが予想されます。しかし、ノンさんは「見たことはありません」と言いました。2014年の聞き取りの時は、撒布をみたし、浴びたと言っています。記憶が錯綜してきています。

 

撒布の結果の被害をたっぷり見たノンさんはこう言っています。

 

「環境破壊は南部でもすごかったです。1970年〜73年の間ラオスにいましたが、枯れ葉剤で、木も無くなっていました」と。

「真っ白で何も見えない日があります。霧なのか、薬剤なのかわからない時がありました」と、ノンさんは言います。

 

北村註:1970年12月入隊は、アメリカ軍による枯れ葉剤撒布中止の1か月前です。撒布中止の指令が出される前ですので、撒布は通常通りと実行したと予想されます。濃霧の時には飛行機は飛びません。撒布で使用する飛行機はC-123型機です。もともとが輸送機です。枯れ葉剤は高高度では絶対に撒布しません。液が霧となって、相当流されるからです。逆に相当の低高度で撒布するので濃霧の時の撒布飛行は危険です。飛行はしなかったはずです

 

霧をみると、枯れ葉剤とつながる思い出すことはあるのでしょうか?

「被害をみれば、枯れ葉剤の撒布があったと思い出します。ある種の音を聞いても、戦争を思い出します。未だに夢もみます。特に身体が辛い時には、特にそうです」

 

調理に関しては、ノンさんから、ホアン・カムという言葉が、口をついてでました。炊事場の話がでましたので、ここでホアンカム・キッチンについて説明しておきましょう。現代的に言えば、戦場でのシステム・キッチンです。

 

           

軍駐屯地の炊事場には、ホアンカム・ストーブという排煙で煙を出さない方法が採用されました。これはホアン・カムという兵士が発明しました。

    

これによって、上空のアメリカ軍の飛行機から北ベトナム軍や解放戦線軍の部隊の位置を探知されることは非常に少なくなりました。(北村註:ただし、これは、長期に駐屯する場合にこのシステムを採用しますが、今日着いて、明日出発という行軍中の行動では、深く掘るホアン・カム方式を採用する時間はありません)

食事作りも、小隊とか分隊という少人数での調理が行われたようです。

    

ホアンカム・ストーブとは、1951年にホアン・カムというヴェトミン兵士が発明したもの。炊事などで出る煙を拡散させて、アメリカ軍機に北ベトナム軍の居場所を探知されないようにするためのもの。実際的には、土中に排煙用のトンネルをほり、煙を四方八方に分散させて、色を極端に薄める役目を果たす。これは、主として、ベトナム戦争中に、南部のクチー・トンネルで使用されたが、他の隠れ場所でも使用されました。調理は、早朝か、深夜遅くに行います。これもアメリカ軍による探知をさけるためです。又の名をギター・ストーブともいい、やはり深く穴を掘って、上に屋根に相当するカバーをすることが必須です。長い竹を土中に埋めて煙を拡散しました。発明者は、1916年に生まれ、1996年に没したと言われます。毎日摂る食事の必要性から、知恵を絞って生まれたシステムです。

 

「戦争からは、1973年に戻りました。その時に、両親には木を使った家を建ててあげたかったです」 何かほのぼのとする言葉ですね。

 

1975年に結婚しました。(北村註:1年前の時の答えでは、1974年結婚と答えていました。年と共に、記憶が不正確になっていくことはし方がありません)」 

 

ノンさんが、プロポーズの言葉を教えてくれました。「あなたと結婚してもいいですか?」 そして、奥さんの言葉は「はい、いいです」 だったそうです。

そして、「ここは、家内の土地です」と言いました。

 

現在の健康はいかがですか?

ノンさん 「健康は普通です。(訪問する前の)2日間人間ドックに入っていました。関節が痛いです。薬をもらいましたが、痛みはなかなか取れません。薬が無くなると、やはり痛みが出ます。食欲があまりありません」

 

手当の収入を聞いてみました。

ノンさんの現在の枯れ葉剤の被害者手当は、200万ドン。

盲目の子三人の手当ては、一人100万ドンです。

「足りているわけではないですが、まあまあ一般的な生活は出来ています」

 

この辺で、聞き取りを終わりにしました。

学生さん達が、歌の準備を始めました。(つづく)

 

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| comments(0) | - | 08:48 | category: 東北学院大学 |
# 東北学院大学経済学部フィールドワーク同行記12

1月23日の第11回で中断していた東北学院大学経済学部フィールドワーク同行記を今日から始めます。連日の掲載がむずかしいかもしれませんが、とにかく完結に向かって進みます。

 

第11回は、ベトナム北部ヴィンフック省で、二軒の家庭訪問をしました。一軒は、筋ジストロフィーの長男をもったご家庭です。二軒目は、魚鱗癬の長男次男をもった若いお母さんのいる被害者家庭を訪問し、学生さん達は、枯れ葉剤が引き起こす病の酷さを目に焼き付けました。今日からが、新しい部分です。

 

12月21日 ホアビン省カオフォン郡

 

この日は朝8時前にホテルを出て、北西部にあるホアビン省に向かいました。ホアビンを漢字でかけば、和平です。少数民族ムオン族の都と言われるホアビン省。

 

ここでは、ホアビン省枯れ葉剤被害者協会の会長がムオン族です。同協会までいくと遠回りになりますので、途中で待ち合わせしたいと、通訳、運転手に頼んで老いたにもかかわらず、結局運転手か協会側かどちらかが自信がなかったのでしょう。同協会まで行ってしまいました。

 

この日は、スケジュールがタイトなので少しでも、時間を節約したかったのですが、どうもうまくいきませんでした。すでに40分ほどのロスがでて、目指したブイ・ヴァン・ノンさん宅に着きました。

 

16年の8月に、私は訪問していますので、4か月ぶりの顔合わせです。ここでは、学生さん9名に私がご家族からの聞き取り役、野崎先生は、ご家族にちらし寿司を作るとのことで、日本から美味しいお米を持ちこみましたので、親切な運転手さんと台所でフィールドワークです。

    

【写真説明】手前左から、三男ブンさん、右へ父親ノンさん、ノンさんの後ろが、長男のトゥアンさん

 

聞き取った話の内容を100%開示することはできませんので、2〜3点を拾ってブログにまとめます。

 

ブイ・ヴァン・ノンさん宅は、ホアビン省カオフォン郡にあります。

 

ノンさんのご家族の構成は、奥さまのブイ・ティ・ニャックさんと、5人の子どもさんからなります。ノンさんはベトナム戦争の末期にラオスで従軍しました。

 

第二世代が受けた被害は、4人に及んでいます。

長男は、ブイ・ヴァン・トゥアンさん。すでに今年41歳です。先天性の盲目です。

長女は、ブイ・ティ・ティエンさん。彼女自身には、目立った被害は出ていませんが、生まれた長女に血液がんらしい(詳細が分かっていないご家族の話だけでは、病名を断定できません)病気が発症し、被害は第3世代にまで出ています。

次男は、ブイ・ヴァン・ティエンさん

次女は、ブイ・ティ・ニンさん・・・この二人は長男と同じく先天性の盲目です。

三男は、ブイ・ヴァン・ブンさんで、この方は、8歳の時から湿疹になやまされ、いま両足も含めて、身体の各部にかゆみを伴った皮膚病がでています。いろいろの治療をこれまで試みましたが、治癒に結び付く効果はでていません。

 

経済的には極貧ではないですが、枯れ葉剤被害者手当以外には大きな現金収入がありません。愛のベトナム支援隊は、生活向上の一助にと、昨年8月に牛を贈呈し、今後生まれる牛を売って現金にする方法を試しています。

 

さて、ノンさんがラオスの戦場に向かったのは、1970年12月です。3か月かけて、全てが徒歩の行軍でラオスに向かいました。ハノイを南下し、タインホア⇒ゲアン⇒ハティン⇒クアンビン(ここまでが、旧北ベトナムでず)⇒ここからチュオンソン山脈に入っていったそうです。地図があれば、追ってみてください。

 

父親のノンさんの話をいれて、まとめてみました。

 

「戦争に行くということは、もう家族の誰にも会えない・・・そういう気持ちでした。1970年12月にトゥン・ナイ(Thung Nai)村(カオフォン郡)で入隊しました。数えで20歳の時の入隊です。軍人として足かけ3年、戦場にいました。行軍中に危険に遭ったことはありませんでした」 

ちなみに、当時の村の名前はそのまま、現在も残っています。

 

歩兵として従軍したノンさん。6か月(北村註:今までは3か月と言っていた。周囲の人に聞いたが、どうも3か月の方が正しいと判断する)かけて、ラオスまで行ったが、行軍は夜間でした。月夜の番ばかりではありません。

なぜ12月に、行軍をしたのでしょうか。現地が乾季で、行動しやすいためです。

 

「千人で行軍しました」とノンさんは言っていますので、これは「大隊」規模での行軍でしょう。基本的に、雨の時は行進しない。途中で降り出した時は、(雨にもよるが)靴をもって歩く。水が靴の中に入ってくるからです。

 

「信頼できる同志がいるので、行軍中に怖いことはありませんでした。作戦中に、アメリカ軍兵士が飛行機からパラシュートで丘の上や道路に降下してきました。その時は、爆弾攻撃があり、私の右手と右足に爆弾破片が入りました。でも、怖いのは、ジャングルにいる虎ですよ。ただ、家族を想い出しては、寂しい思いをしました。」

 

行軍中の時間割

朝5時から夕方6時までは、食べること、寝ること。

夕方6時から翌日の朝5時までは、行軍する。

 

行軍中の兵士の明かりは、帽子の後ろに取り付ける。後続の人は、祖の明かりを見て続いて行く。

行軍中に脱落した人はどうなるのですか・・・? 

「軍医たちがいて、遅れた兵士をあとで運んでくれるのです」

 

今日は、ここまでです。

 

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# 東北学院大学経済学部フィールドワーク同行記11

昨日のアクセス数は、200でした。ご訪問ありがとうございます。

 

魚鱗癬の子を持って・・・(下)

 

第三世代のタイン君、ミン君が住む住宅の宅地も畑も借地で、家屋は、自分たちのものだそうです。借地の畑は720平米だそうです。畑から取れるお米は、年間100キロの収穫しかないそうです。恐らく、この一家には、不足が出ているでしょう。

 

チさんが2(ふた)サオと言ったのに対し、通訳がすぐ720平米と言えたのは、1サオ360平米という数字が頭の中に入っているからです。私たちの通訳は、知識が広いです。

 

紅河デルタの水田の計量単位はサオsao)といい,1サオは360屬任后F韻犬茲Δ法土地の面積をあらわすヘクタールをマウタイ(mu Tây)といいます。これは畝(日本語読みは「せ」)という伝統的な単位を応用したものです。北部では3600平米、南部では4700平米と違っています。日本にも、昔、一歩(いちぶ)< 一畝(いっせ)< 一反(いったん)< 一町(いっちょう)という単位がありました。ちなみに面積のマウ、その十分の一のサオ(sào)など、伝統的な単位が今でも使われています。

 

トゥーさんの御主人は、枯れ葉剤の第二世代です。「何をするにも遅い」と、父であるチさんは言います。トゥーさんのご主人は、建築関係の作業員をしていて、月収が300万ドンと聞きました。この他、枯れ葉剤被害者手当として、月額72万6000ドンを受給しています。

そして、祖父のチさんは傷病兵として月額300万ドン、枯れ葉剤被害者の手当てとして、月額160万ドンを受給しています。

 

三世代が住んでいることもありますが、収入はやや多い方です。しかし、第三世代の子どもの問題が、この世帯には重くのしかかっています。

 

学生さん達は、家族や被害者協会の役員から被害状況を聞いた後、歌も、元気に謳いました。もちろん、「ベトナム・ホーチミン:の歌も。

      

      

タイン君とミン君が学生さん達による足湯サービスを受けている間、横田絵美さん・3年生)も、激励の役を果たしたいとバイオリン演奏を買って出ました。

      

         

         

一人、壁に向かって涙を流しているお母さんトゥーさんの姿が、私たちの目をひきました。

         

 

山田崇弘さん(3年生)は、ミン君や近所の子らにトランプ(註、新大統領ではありません)で手品を披露。「手品を覚えていてよかったです」と喜んでいました。

 

フィールドワークの現場を受けてくださったお礼にと、東北学院大学から、生活支援金が贈られました。

      

野崎先生が、ミン君と握手します。

      

日本企業が関係して作られたお米も、贈られました。上から、奥山君、糠澤君、千田さんです。

      

      

      

衣類も贈呈されました。渡邊さん。

      

足湯に使われたタライとタオルも贈呈しました。横田さん。

      

二人の兄弟を真ん中にして、記念写真に収まりました。

     

 

すべてが終わったあと、お母さんのグエン・ティ・トゥーさんは、涙をうかべながら、こう話してくれました。

近くにいても子どもから離れようとする人がいるのに、離れた遠くから来てくださって、子どもに近づこうとする方々がいて、感動しました。日本の学生さんに感謝しています

 

ジークフリートは、ドイツの英雄叙事詩『ニーベルンゲンの歌』の主人公。北欧神話のシグルズと同一起源の人物。王ジークムントと王妃ジークリントの息子でネーデルラントの王子とされるジークフリートは、魚鱗癬であった、といわれています。

 

少年時代から王宮を出て征旅を行い、ノルウェーのニーベルンゲン族を倒してその呪われた財宝と魔法の隠れ蓑タルンカッペ、名剣バルムンクを奪う、悪竜を倒すなど、多くの軍功を立てる。この竜退治の際、魔力のこもった竜血を浴びて全身が甲羅のように硬くなり、いかなる武器も受け付けない不死身の体となる。
 

と言う部分です。

 

ヴィンフック省の冬の日の午後の優しい日差しの中で、学生さんたちの活動に、タイン君、ミン君は何を感じてくれたでしょうか。効果覿面の外用薬や内服薬が発明されることを祈りつつ、タイン君、ミン君兄弟には、強く強く生きていってほしいと、願います。

 

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| comments(0) | - | 09:13 | category: 東北学院大学 |
# 東北学院大学経済学部フィールドワーク同行記10

お断り

18歳以下の方には、ショックの画像となる可能性がありますので、ご注意ください。

顔が出ている画像は、ソフト・フォーカスにしてあります。

 

魚鱗癬の子を持って・・・(上)

 

12月20日午後

真冬の割には温かい今年の北部ベトナムは普通なら、セーターやキルティングを着た人が闊歩している季節ですが、日中でも25度もあると、汗をかいたりします。

 

東北学院大学経済学部共生社会経済学科の学生さんたち9名(代表:渡邊佳奈子さん3年生)が、野崎 明教授と、ベトナム戦争枯れ葉剤被害者の家庭を、フィールドワークCという授業の一環でベトナム・北部を回りました。

 

12月20日の午後は、ヴィンフック省イエン・ラック郡の枯れ葉剤被害第三世代の兄弟がいる家庭を訪問しました。名前は、タイン君10歳 ミン君(5歳)です。二人とも、魚鱗癬という遺伝疾患の一つで、日本では、厚生労働省の指定難病です。ですのであり、このブログでは、写真の数を減らすことにしました。頭からつま先まで、皮膚の皮がはがれていきます。

 

出発の1か月前に兄弟の写真をもらっておりましたが、学生さんには内緒にしてありました。フィールド・ワークで初めて会った時に、何を思うか・・・そこを大事にしたかったのです。感染性はありませんので、足湯の時は、心配しないようにと説明しました。

 

家 族 構 成


      

タイン君、ミン君からみて、父方の祖父がいます。

祖父:グエン・ゴック・チさん 1947年生まれ 70歳

少年たちの母親:グエン・ティ・トゥさん 1982年生まれ

 

母方の祖父がいます。

グエン・ゴ・タームさん 1957年生まれ 60歳

 

第三世代、つまり母親のトゥーさんの子どもです。

長男:グエン・ヴァン・タイン君 2006年生まれ。今年中に11歳になります。

長女:グエン・ホン・ヒエンさん 2008年生まれ。

次男:グエン・ヴァン・ミン君 2011年生まれ

 

母方の祖父、グエン・ゴ・タームさんは、「ラオスに3年間兵士としていたが、枯れ葉剤被害はない」と言っています。

 

枯れ葉剤の影響は祖父から

 

問題は、父方の祖父から引いてきている枯れ葉剤被害です。

 

グエン・ゴック・チさんは、1967年に入隊して、1976年に退役しました。ほぼ10年間、南部のロン・アン省を拠点にして、チュオンソン山脈に入ったり、ナムボー(南部)で戦っていたそうです。「5か月徒歩行軍して、北部からロン・アン省に着きましたよ」と話しています。この行軍は、年代を考えると、枯れ葉剤への曝露と深い関係があったように思います。ロンアン省はホーチミン市の南西に隣接し、メコンデルタへの玄関口という位置にあります。大きな戦闘はもとより、軍事的な小競り合いはしょっちゅうだったはずです。それは、すぐ近くに、アメリカ軍がベトコンの巣窟とみたクチーがあるからです。

 

チさんは、歩兵としてロンアンに省駐屯中に、アメリカ軍から受けた銃撃で、銃弾の破片が額に残ったままで、「記念にいれてある」といいました。

そして、何より、「枯れ葉剤はロンアン省で何回も浴びています、特に1969年は、ですね」と厳しい表情になりました。第三世代のタイン君、ミン君は、この祖父からの影響を受けているとみます。

 

母方の祖父タームさんは、1975年2月、ベトナム戦争終結2か月前に、歩兵として入隊し、1978年まで、ラオス、とベトナム国内は、トゥエン・クアン省(ベトナム東北部)、ハザン省、ディエン・ビエン・フ―などをベトナム戦争と直接関係ない地域を回りました。「枯れ葉剤を撒いたのはみていません」という発言は、1975年以降の軍事行動からして、正確な表現でしょう。

そして、二回目は1979年から82年まで、ラオスに駐屯しました。これは、主に、対中国との問題でラオスで守備についたとみられます。

 

子どもは6人いて、タイン君、ミン君の母となるトゥーさんが、長女だそうです。

 

お母さんの話

トゥーさんに話を聞きました。

「妊娠中は、こういう子が生まれるとは分かりませんでした。特に異常もなかったのです。出産3か月後、タインの肌が乾いてきました。すぐ入院しました。フラン人のお医者さんも診てくれましたが、有効な手は打てませんでした」

      

下のミン君は、今、幼稚園に通っています。 

      

      弟の足もご覧のとおりです。

 

「出血が怖いです。子どもたちの出血は、冬の方が多いのです。(冬の方が乾燥しているからか?) 夏は学校でもシャワーを浴びます。先生が手伝ってくれます」といいます。

「シャワーは、夏は1日10回から15回浴びます。浴びた方がいいと言われています。冬の期間は、一日一回浴びる程度です」

タイン君の小学校での算数の成績はよく、「5年間ずっと[]です」と言いました。しかし、学校で心無い声が飛んだこともあったそうです。「鬼!」と。辛いだろうと、心中を察します。

 

タイン君の学校までは、2キロ。

「タインには、友達が数えきれないほどいるんです」と、母親は言いました。それは、嬉しい話です。

「でも、心配は尽きません。将来社会に出ていって、皆が変な目でみないか・・ということ。そして、この病気がもっとひどくならないか・・ひどくなるかもしれない・・ということです」と、不安の気持ちを見せました。

      

      皮膚は、乾燥しています。

 

「去年(2015年)、ある医者が研究目的で1年間薬をくれましたが、変化はありませんでした。それは、薬草でした。毎日薬草を首に付けました。バクマイ病院(ハノイにあるベトナム一の総合病院=アメリカ軍の空爆も受けています)にも、連れて行きました。でも・・・・」

「処方の薬を飲んでいる間は、動物の肉は食べられません。海鮮も食べられません。野菜と豚肉は例外として、それらがほとんどです」

 

2人の運動は?「痛みが増したら、運動はできません。痛いと歩けません。出血の頻度は、運動すると増えます。成長している過程でも、出血はあります。涙は出ますが、汗は出ません。夏は、家では下だけは履きますが、上は裸で過ごしています。」

 

魚鱗癬について

 

魚鱗癬(ぎょりんせん)という病気をご存知ですか。発症人数が少ないことから、あまり世間には知られていない病気です。この病気は遺伝疾患の1つで、名前の通り皮膚の表面が、魚の鱗のように硬く厚くなり、剥がれ落ちます。軽度の場合は軽い乾燥肌に見えますが、重度の状態の場合は皮膚がとてもボロボロになります。

 

この病気にかかっている患者の数は日本でも約00人ほどだと言われ、男女比に大きな差はありません。重症な魚鱗癬が新生児や乳幼児に現れた場合、死亡する例も報告されていますが、今では内服薬投与をすることで、生命を脅かす危険は低くなっているようです。ほぼ多くの方が一生症状が現れる難病です。

 

人から人に伝染する心配はありませんが、皮膚の見た目が非常に醜い状態になる為、偏見や差別などの問題は少なからず起きています。

 

魚鱗癬は大きく分けて6つの種類があります。共通する点は、体全体の広い範囲で皮膚が赤くなり、皮膚が厚く硬くなります。

 

残念ながら、今のところ、根治療法は見つかっていません。現在出来る治療法としては、症状を緩和させることを目的に行われます。

魚鱗癬は基本的には一生涯続くものなので、外用薬を塗る 内服薬の投与などでも、こまめなケアが必要になります。

 

魚鱗癬になった場合、食べても食べても皮膚に栄養がいくので、体全体の栄養バランスがとれなくなることが多くあります。その為、患者さんは背が低い、体重が軽いなどの状態も見られます。

このような時には、栄養剤などの点滴や内服薬の投与を行います。効果のある薬の誕生がのぞまれます。

 

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| comments(0) | - | 15:01 | category: 東北学院大学 |
# 東北学院大学経済学部フィールドワーク同行記09

12月20日 昼食

 

学生さんは人気があります。

是非ご招待したい・・・との申し出があります。

 

この日の昼食も、ヴィンフック省枯れ葉剤被害者協会からもう1か月以上も前に連絡があり、是非受けてください・・とのことでした。普通の食事を頂く・・という条件でOKOをさせてもらいました。、

 

食卓に可愛いグラスが用意されていましたが、酒はご法度・・と、グラスにソーダ・ウォーターを入れて、全員で乾杯・・・食事がスタートしました。

      

地元の人が案内するので、地味だけどいいところがあります。

ご馳走さまでした。

 

午後のフィールドワークに出かけました。

 

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| comments(0) | - | 17:16 | category: 東北学院大学 |
# 東北学院大学経済学部フィールドワーク同行記08

昨日のアクセスは 162でした。前日より5人減りました。(笑い) ありがとうございました。

 

夫は他界 一人っ子は寝たきりの親子の生活(下)

ご主人のターさんは、退役後は農業をして暮らしをたてていました。ザウさんは、「体調がすぐれなくても、病院にはいきませんでした。経済苦でしたからね」と言います。

 

今の自宅の土地の広さは350平米です。ターさんは、「うちは自分の土地を持っていません。ですから、共同で農業をしていました」と、言っています。

 

第一子は、私たちの目の前にいるファンさん(写真上)。1982年に生まれました。「生まれた時は元気でした。でも、中学3年頃から、だんだん手足が細くなっていきました。14〜5歳の頃です」という母親の証言に、病気をある程度特定するヒントがあるようです。最初にあげた、筋ジストロフィー症につながりそうです、医者ではないので、断定は避けたいです。また、筋ジスにもいくつかありますので、資料や医者の証言が全くない中、ピンポイントで特定するのは困難です。

 

そして、15歳から寝たきりになり、中学中退を余儀なくされました。

 

指先などにはまだ結構の筋力が残っています。

 

一方、母親のザウさんには、心臓病があるそうです。「疲れやすいので、農業もできないし、軽い仕事でも今はできません」

 

ザウさんの親戚にあたるレ・ティ・カイ(Le Thi Cai)さん(55歳)がきて、いろいろと手伝っていました。500米の道のりを歩いて来てくれているそうで、こういう[互助]は、貴重なサポーターです。

 

ファンさんは、種種説明してきたように、自分で大きく動くことはできません、生活のほとんどを51歳の母に負うています。寝たきりでも、こぎれいにしているのは、お母さんの息子に対する気持ちの表れでしょう。ちょっと、気になるのは。ザウさんの実年齢です。通訳は1965年生まれといいました。ザウさんが言い間違えたか、通訳が誤訳したか?51歳にしては、老けすぎています。

 

一日3回のトイレも、母の助けが無ければ、移動はできません。

「母に迷惑をかけているのは、よく分かっています。だから、母から叱られる時もあります。困った時には二人で泣くこともあります。本当に母がいなければ、生活できません。母が病気になったら・・と思うと怖いです。これから、もっともっと困難になるかもしれません。時々悪いことを考えます。それで頭が痛くなります。それを考えて、自分で泣く時もあります」

悪いことってどんなことですか?と聞きましたが、詳しい話はしませんでした。

お母さんさんが亡くなった時のことを指しているのかなと、感じました。

 

お母さんに少しでも迷惑をかけないようにしたい・・・その気持ちの表れが、テレビも、ゴムひもを引っ張ればスイッチ・オンになるように工夫がされていました。リモコンが側に無い時でも、テレビは見られるようになりました。

 

また、この日面会した時に髭がきれいに剃れているので、誰にやってもらっているんですか?と聞くと、伸縮できる棒の先に髭剃り器をつけて、自分で、剃れるように工夫してあります。

 

実演してくれました。

      

      

ファンさんには、夢があります。

「何としても情報技術の仕事がしたい。右肩を下にすれば、携帯だって、左手はうまく使えますよ。携帯電話を毎日使って、フェースブックなどでチャットもしています」と言います。
 

「もう一つの夢は、海に行くことです。小さい時に、川で泳ぎました。またもう一つの夢は、学校時代の友だちに会うことです。でも、皆結婚していますので、会うと迷惑をかけることになるから・・・難しいですね」

 

話を一通り聞きました。時間もかかりましたので、学生さんたちの活動に移りました。

 

まずは、足湯です。疲れがたまっているお母さんに勧めましたが、そこは生みの親ですね。有無をいわせずに、「息子にやって下さい」と。

        

お母さんは身体の硬直するファンさんをいとも簡単に動かし、山田君がファンさんの体の側面を支えくれました。足がお湯に浸かるとすぐにファンさんが笑顔になりました。ザウさんもうれしかったのでしょう。かすかな笑顔を見せてくれました。訪問中、ザウさんの微笑は、この時だけでした。

           

足湯は、本当に気持ちがいいんです。伊藤君と吉田さんで、お湯を足にかけます。

それにしても、細い足ですね。

 

身体を動かすことが少なくなると当然、筋肉も使われなくなってしまいます。筋肉を使わなくなるということは筋繊維も細くなり、必要なときに発揮できるパワーも少なくなります。そのため、動かさなくなればなるほど筋肉は落ちていき、それに伴って関節の可動性も少なくなっていきます。

 

厚生労働省調べでは、安静に寝ている状態による筋力低下について、以下のような調査結果が出ているそうです。

1週間寝たきりの場合・・・筋力が20低下
4
週間寝たきりの場合・・・筋力が
88低下
5
週間寝たきりの場合・・・筋力が
96低下

 

横田さんのバイオリンの演奏が始まりました。

      

ベッドの側がくらいので、渡邊さんが楽譜も持ち、スマホでも足元を照らしてくれています。

      

伊藤君の丁寧な拭き方には感心します。

      

そして、楽しいコーラスが始まりました。

      

      

      

お母さんの足湯に移りました。バイオリンの横田さんと渡邊さんに交代しました。息子のファンさんも笑顔です。ファンさんのさわやかな笑顔は。楽しんでくれている証拠です。

      

 

東北学院大学からの金一封。お米と衣類、タライとタオルの贈呈がありました。

その後、記念撮影に入りました。

      

ファンさんの笑顔を作り出した2時間でしたが、ザウさんの笑顔は、一枚以外は私のカメラの中にありませんでした。

 

お母さんは、ベトナムの伝統的な農村女性の顔です。

ザウさんの顔が、以前知人からみせてもらったロシア西部の汚染地域、ノボズィブコフ市にあるチェルノブイリの「嘆きの母」の石造の表情と重なりました。顔をしかめるようにして、その瞳は、どこか遠くをにらみ付ける。口はきつく結ばれ、何かを押し殺しているようにみえる・・・ 「嘆きの母」と呼ばれる石像です。


枯れ葉剤で主人を奪われ、次に託せたはずの子供も寝たきりになり・・・今、自分は何のために生きているのか・・それでも運命に耐える母の姿が、私には強烈に映りました。

 

立派に育った後継の息子に助けてもらいながら、長命をことほぐという長寿社会のモデルが、命をたわめるダイオキシンのせいでみられないのは、ほんとうに残念なことです。

せめて、お母さんがいつまでも健康でいることが、ファンさんの健康につながる・・・こんなことしか言えない辛い思いを抱きながら、午前のフィールド・ワークを終えました。

 

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| comments(0) | - | 04:43 | category: 東北学院大学 |
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