〜愛のベトナム支援隊〜 Love and Support Vietnam

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# 40年の記憶喪失兵士から家族を手繰り寄せた医師
 今日は、べトナム戦争後のエピソードです。

話は、私がハノイに住んでいた1995年に戻ります。

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捕虜・投獄・・拷問・・釈放・・記憶喪失・・家族との再会

 

40年におよぶ記憶喪失症に続いて、精神病棟の囚人の暗闇の心に射したわずか一条の光は、父親の強い願が通じたものか

 

グエン・ヴァン・ホック(Nguyen Van Hoc)さんは、第一次インドシナ戦争(1945−1954)で息子を失い、20年前(1975年)の南北統一の時から、省政府からは手当てが支給されていた

ホックさんは、現在90歳(1995年の時点で)。息子の戦死をまともに受け入れられなかった。ホックさんが息を引き取る前、息子の運命を何としても知りたいものだと願っていた。実は、息子は軍事亡命者として監獄に収容されていた

 

亡命者T80サム・ソンAsyumT80 Sam Sonチームの名前と思うの医者とスタッフは、特別患者であるThauさん(もしくはThuさんという名前)は、抗仏戦争時代に、南部のバーリア・ヴン・タウでフランス軍の捕虜になり、コンダオ(南部の監獄島)で、ひどい拷問を受けたことを知っている。彼が1955年に釈放された時には、脳の負傷から重度のトラウマに陥っていた。当時17度線の南から、他の抗仏戦線兵士とともに、北部に船で運ばれた。これは、1954年のジュネーブ協定にともなう再編成の一部だった

 

当時、彼は軍病院に運ばれ入院した。彼の病院カルテには、家族の関係が記載されてなかった。精神的にも不安定で、読み書きのできない患者は、自分の家族も生まれ故郷も思い出せなかった。集中治療の処置を受けていた彼は、監獄の恐怖の日々にうなされ、病院を脱走しては、何度も連れ戻された

 

アメリカの北爆が始まると、彼はスタッフと共に新しい場所に移動した

 

いま、彼は、新しく入院してきた患者の手伝いをして看護婦を助けるまでになった。病院のグエン・タイン・ハイ医師は、20年以上に及ぶ治療・看護で病院スタッフから受けた愛情と配慮でトラウマは緩和の方向に向かった、と言う。ハイ医師は、「タウ」という名に何か意味があると特別の興味をもったハイ医師は、37年たって、患者が自分の家族と村のことを口にしたので、うれしくなったハイ医師は、ヴン・ガム(Vung Gam)と聞こえる名前をもつ南部の村を探した。しかし、該当する情報は入らなかった

 

1995年4月、ハイ医師がホーチミン市に出張した時に、タウThau)がフランス軍に捕まった旧戦場のバーリア・ヴン・タウにいけば、何かヒントがつかめるのではないかと出かけた。調査の結果、ハイ医師は、タウThau)の言う村に足を伸ばした。その結果、家族は、相当前に別の場所に引っ越したことが分かっただけだった。彼の母親は、自分の息子が死んだと信じたまま他界した。そして、父親は再婚していた

 

しかしながら、ハイ医師は諦めなかった

ラジオや新聞を通じて、尋ね人を探した。ついに、ハイ医師の飽くなき努力が実った。タウさんの弟がハイ医師に手紙を書いてきたのだ離れ離れになった40年間・・タウさんが兄弟と劇的な再会をみとどけて、ハイ医師は涙があふれ出るのを禁じ得なかった
。(記:1995・07・29)

※その後取材していませんが、当然お父さんのホックさんも亡くなられているはずです。

※戦争は生き残ったけれども、戦争中の出来事のトラウマから抜けられないで亡くなっていった方も多くいます。

              愛のベトナム支援隊・北村 元           
          Love & Support Vietnam
 
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| comments(0) | - | 15:01 | category: ベトナム戦争 |
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