〜愛のベトナム支援隊〜 Love and Support Vietnam

枯れ葉剤被害者を支援しよう!寄付金受付中!今年の衣類は目標達成!ご協力ありがとうございました!

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# ツアー(50)在宅訪問ァ船アンガイ省〜
 今日は、シドニーは小雨降る肌寒いです。
今夏の愛のベトナム支援隊の在宅訪問最後となるクアンガイ市のチャン・ティ・アイン・ダオさんのお宅のケースをご紹介します。

ダオさんのお宅に伺ったのが、8月22日午後2時半頃。
お母さんのチャン・ティ・レー
さん(1954年生まれ。今年で57歳)と待っていてくれました。

ご長男(短期大学生)がいますが、このお宅の枯れ葉剤被害者は、長女のチャン・ティ・アイン・ダオさん(1984年生まれ。今年27歳)です。

ここのご家庭では、お母さんとご長女二人が、枯れ葉剤被害者として認定されています。


ご長女の症状は、会話は
出来る。手足が不自由。でも、右手は少し使えます。しかし、歩けません。歩けないので、足の筋肉はすっかり落ちてしまっています。

「右手が使えるので、電話も受けることはできて、話はできます。足も1本は使えます。
何でも知っているけど、ただ歩けないんです、この子は・・・。障害者の学校に行かせたんですよ・・、耳が少し遠いことはまあ許されるんですが、この子はトイレに一人でいけないので、結局、学校から断られましてね・・・」と、お母さんが視線を落としました。

「手足の今の状態なら、外国では直せるはずです。ベトナムでは治せません。車椅子に乗せてその辺まではでますが・・・なかなか遠くまではいけません」と、母親は言いました。

一番最近、ダオさんを連れて出たのはいつですか?
「お正月に文化会館まで連れて行きました」と、レーさん。

ベトナムのお正月は、テットと言って旧正月です。今年の1月。つまりそれから、この聞き取りをした8月までは、ダオさんはほとんど家の中で過ごしていたことになります。ということは、その旧正月以前も、ほぼ同じ状態だったでしょう。
「あまり連れて出られません・・・」と、お母さんは淋しい表情をしました。

ご主人はいません。亡くなられたのか、別れたのか、聞きませんでした。

枯れ葉剤の症状を持ったお嬢さんが生まれたということは、ご主人は他界されている可能性が強いです。そして、どの時点からか、レーさんは女手ひとつで、二人の子供たちを育ててきたわけです。しかも、長女のダオさんは、自分で何も出来ないので、お母さん一人で面倒を背負ってきました。

「本や新聞とかは読みたがっていますか?」と、お母さんに聞きました。
「新聞が好きです」と、ダオさんが澄んだ声で答えました。
「いい声してるじゃない、もっと話そうよ・・・」と言いましたら、ダオさんは恥ずかしそうにしていました。

お母さんは、地域の軍人として、地元(クアンガイ省)で従軍していた。
当時、北隣のクアンナム省に接するビン・ソン
郡でスパイ活動していたそうです。
「枯れ葉剤がたくさん撒かれたところです。実家がビン・ソン郡にありました。」と、レーさんは言いました。つまり、地元で諜報活動をしていたのです。
戦争が一番激しさを増す1967年からそういう任務を帯びて、仕事から解放されたのが終戦の1975年でした。

怖い思いをしているでしょうね? と質問しました。
「おっ・・・・・(しばらく間があって)・・・思い出したくありません。とても怖かったです・・・・」
この「おっ」は、当然でしょう・・という意味の発声です。

1975年4月30日は、どんな気持ちでしたか?
「とっても嬉しかったです。皆、こちら(クアンガイの町)に集まりました。任務の場所から30キロありましたが、皆歩いて・・・・、村の人は皆歩いで・・・こちらに向かい・・そんなに歩いても、皆疲れ知らずでしたね・・・生きていてよかったと思いますが・・・その当時のことを考えるだけでも辛いです・・今はまだ話したくないです・・・」

1975年の終戦から36年後の今年・・・これだけ時間が経過しても、レーさんの心の中にm戦争当時の多くのことがロックされたままです。

障害のない健常のお嬢さんであれば、もう結婚年齢であり、母親としてうれしく送り出せるであろうに、そのことと戦争とは、レーさんの心のなかでどうやっても切り離せないのです。

お嬢さんに話を振ってみました。
「お母さんから話をきいたことありますか? お母さんは、本当にくろうなさってきたんです」
「はい、母からは少し聞いています」と、ダウさん。

別れ際に、一つ約束しました。
「来年きたら、外に一緒に連れていってあげたいけど・・・どうお?」
「ハイ・・」 ダオさんの返事をしっかりと聞きました。
「外へ出たいでしょう?」
「ハイ・・・」
「風に当たるだけでもきもちいいよ・・」
「ハイ」
「来年必ず来ますから・・・来年来ないと、ロン会長に叱られますから・・・」
「これから、年二回は来てください」と、ロン会長から言われしまいました。

「では、来年までお元気で」と、ダオさんと約束の握手をしました。
力はかすかにしかありませんでしたが、手応えは感じました。
そして、
「来年、またお会いしましょう」と言ってくれました。

愛のベトナム支援隊でダオさんを遠足に連れて行く・・私は、来年絶対実行します。記念写真を撮って失礼しました。

私たちは、クアガイ省の枯れ葉剤被害者協会にでむいて、改めてお世話になったことへのお礼を申し上げ、ダナン空港に向かうために私はバスにのりました。

ここで、一つハプニングがありました。

通訳のザンさんが、後ろから声をかけてきました。
「北村さん、ロン会長が、宮尾さんに”向こうの会に行かないでね”っていってますよ」
私は吹き出しました。見ると、
ロン会長が、宮尾さんと固い握手をかわしていました。
「私は、ずっとこちらの会です」と。

韓国の有名な歌にありましたね。가지 말아요・・カジマラヨ つまり 行かないでよ・・
                行かないでよ
            君  ぼくから 背を向けて
            このまま 去っては  だめだよ


ロン会長の熱いエールだったと、私は受け止めています。ありがたい事です。ご期待にそって、絆を太くしていきたいと願っています。

                                     愛のベトナム支援隊・北村 元
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| comments(0) | - | 09:41 | category: 在宅訪問 |
# ツアー(49) 在宅訪問ぁ船アンガイ省〜
 昨日付けのベトナム資源環境省のソン博士の現状報告は、枯れ葉剤の支援をしてみようという方には、見事にうまくまとめてあって、頭に入りやすい記事でした。

それに対して、宮城県の大沼朔太郎さんから、次のようなコメントを頂きました。

その恐さや被害は”枯れ葉剤の被害”とひとくくりには出来ず.様々
な所に影響を及ぼしているのですね。 特に人体(生物)に関しては顕著です。 生殖機能が働かなければ子孫を増やせませんし.子が生まれたとしても
五体が満足でない確率もある。 地域やその環境と共に生きるのは、私達人間だけでなく動物達も同じで
す。 その多様性を破壊する要因になっている事実に改めて考えさせられ
た次第です



 
大学生らしく要点をついてまとめてくれました。ありがとうございました。
最強のダイオキシン2−3−7−8TCDDの半減期は、当初言われていたよりも、
かなり長いのではないかと思えるようになりました。いずれ、科学者の手で
明確な半減期が示される時が来ると思ってもいます。

 
+++


 
さて、今日はクアンガイ省での在宅訪問2軒目をご紹介します。


クアンガイ市内のチャン・ティ・スアン・タオさんのお宅にうかがいました。

タオさんは、小学校の教員をされています。マニキュアをし、足の爪にも
カラーを使っていました。努めておしゃれにされているのでしょうか?
「地元では名門の小学校です」と、ロン会長が言いました。


ご主人と結婚したのは、1983年。しかし、ご主人は、16年前の1995
年に35歳という若さで癌で亡くなられました。
結婚時は、「主人の健康は普通でした」と、タオさんは言いました。

ご主人は、1976年〜78年までカンボジアに派遣されたそうです。
ベトナムがカンボジアに侵攻したのは、1978年12月25日ですから、
その直前までだったのでしょうか。奥さんでは、詳しいことはお分かりに
なってはいませんでした。

枯れ葉剤はカンボジアにも散布されているのですが、ご主人がカンボジアの
どこに駐屯したかを知りたいところです。


お二人の間に子どもは3人でした。

1)長男は、27歳で去年亡くなりました。溺れた友人を救いに行って、
自分も溺れてしまったそうです。悲しい事故です。家父長制の濃いベトナム
の家庭で長男でしたから、お母さんも頼りにされていたと思います。

2)私が会いに行ったのは、次男のフイン・タイン・フンさん
(1988年生まれ。23歳)です。生まれた時には、7ヶ月の未熟児だった
そうです。そして、枯れ葉剤の被害者だそうです。

ということは、ご主人のカンボジア駐屯地は、限りなくベトナム領に近い
ところだったのでしょうか。

「枯れ葉剤の被害者には、まだ認定されていません。今書類を作っています」
と奥さんは言いますたが、ロン会長によりますと、カンボジアに行って枯れ葉
剤症状が発症した人は手当の対象になっていない・・と言います。
抗米戦争で、ベトナム領土内で戦った人のみが対象になっているといいます。
カンボジア、ラオスはだめなのか? それとも、カンボジア作戦への従軍その
ものが認められていないのでしょうか? 
いつか質してみようと思います。


「早く認定されたらいい」と、皆口々に言います。しかし、そういう状況下
では、認定までの道程(みちのり)は、とてつもなく長くなりそうです。
果たして、ベトナム政府は認めるのでしょうか・・。


次男のフンさんは枯れ葉剤被害者には認定されていませんが、
月36万ドンの障害者手当は受けています。それでも、日本円でわずか
1500円ほどです。物価の安い田舎でもなかなか焼け石に水です。


3)長女はクイニョン大学合格して、今在学中。いま、お母さんが最も頼りに
しているお子さんです。


われわれが訪問した直後は、大きな声をあげていたフンさんも、次第に落ち
着いてきました。

奥さんは、「次男が学校に行きたい、行きたいと言っているんですよ。私が
長男と長女に教えていましたので・・二人が勉強する姿をみて、そう言うんだ
と思います」と、タオさんは言いました。


フンさんの今の状態は、トイレも自分でできない。意思表示をしないので、
親が見計らって排尿、排泄をさせるそうです。「時間で排尿させないと、
母親のいない時、お祖母ちゃんのいない時に勝手にしてしまいます。夜は、
あまり眠りは深くありません。寝付きが良くありません」お母さんたちの
苦労は尽きません。

また、ご飯も自分では口に運べません。


行水をあびさせるのは、おばあちゃんの役目になってしまうそうです。お年
ですから、これは気の毒でした。

お母さんは、小学校の教員で忙しそうですが、おばあちゃんより俄然若いです。

お母さんが行水をさせることはないのでしょうか。


昼間の面倒は、全部おばあちゃんが面倒をみます。大変なことです。


車椅子で、フンさんを外へ連れ出すことはほとんどないようです。

「難しいです。しっかりした人が二人揃っていないと、外へは出せません」と、
お母さんのタオさん。

お母さんの言っていることは、フンさんは理解しているようです。

「気分の言い時は、笑ったり、人をからかったりすることもあるんです」と、
タオさんは言いました。


今一番心配していることは何ですか?と、お母さんに聞きました。

「経済面です。おばあちゃん一人で子ども二人を支えていかなくてはなりま
せんから」と、
教員である母親は言いました。

お母さんも、55歳の定年まで、あと4年。教員生活の残りも見えてきました。

その時が、また一つの経済闘争の始まりになるのでしょうか?


お母さんから写真を撮る許可を頂きました。

いつも面倒を見てくれるおばあちゃんと一緒に撮りました。

フンさんは、カメラを向けると敬礼をし、「ハロー」と、言ってくれました。
そして、ノートを取り出して、めくり始めました。

写真を撮られているということはわかっているようですし、おばあちゃんと
一緒でうれしそうでした。

どうも、フンさんは、やさしいおばあちゃん子のようです。

写真撮影にお母さんが入るのは乗り気ではありませんでした。

ヘアカール中だったからだけでしょうか。それならいいのですが、少し気が
かりでした。

教職員という立場上、何かがあるのか。今まで他のご家族と写真を撮って
きましたが、初めてのことでした。社会の顔を気にしているのか、
個人的に何かふりかかるのか・・。

 

もう少しお話を聞けば分かったかもしれません。初対面では精一杯でした。
 

お米の支援をさせてもらいました。


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| comments(0) | - | 10:01 | category: 在宅訪問 |
# ツアー(47)在宅訪問〜クアンガイ省〜
 8月22日の午後、暑い昼下がりでした。
クアンガイ市内の3軒の在宅訪問をしました。この三軒の在宅訪問は、クアンガイ省枯れ葉剤被害者協会のロン会長の案内で実現しました。そのご報告を、3回に分けてします。

この在宅訪問は、シドニーで看護師を務める岩田真弓さんに見て頂いて、今後の支援の話し合い材料にするものでした。

1軒目は、グエン・ティ・トゥ・ハーさん宅を訪問しました。
ご主人のグエン・ティエウ・ソンさんには、お勤めに出ていて、お会いできませんでした。

奥さんは、アルコールを含めたボトルや雑貨品を売る店を経営しています。ご一家の住まいであるい店舗兼住宅は、本当に狭いものでした。店舗を作るために、居住部分を削ったような造りです。

奥さんの話ですと、ご主人はカンボジア紛争で、カンボジアに派遣されたようです。何歳で?かは、分かりませんでした。カンボジアに派遣された時期を質問しましたが、奥さんは分かりませんでした。しかし、「大変だったようだ」と言いました。何年行っていたかもわかりませんでした。枯れ葉剤殿コンタクトを知るためには、ちょっと情報不足です。

ご主人のソンさんが、1967年生まれで、カンボジア派遣となると、当然10代で派遣されたと推定します。ベトナム軍がカンボジアから最後の撤退を開始したのが1989年です。私もこの時取材しましたが、もし最後の撤退で帰ってきたとしても、ご主人のソンさんの年齢は21歳です。

お子さんは、二人です。
長男のグエン・クオック・フン君がいます。1994年生まれです。店の床に置かれた簡易ベッドの上で横になっていました。自分では、起きて歩けないようです。
フン君は、まだ枯れ葉剤被害者に認定されていません。

「父親が戦場にいたという書類が揃わないと、申請できません。従って、子どもは認定されません・・・いろいろと手続きは面倒なんです」と、小さい声で言いました。と言うことは、本当の患者であっても永久に認定されないことになります。

「私の言うことは少し分かります」と、母親のハーさん。

今は、どういう状態ですか?
「体が痛くなって、叫び声をあげる。痛みのために、眠りが浅い。そのために、睡眠薬をよく飲ませる。そうしないと寝られない。」(頭痛のことか? 体か?)
「痙攣の時に、骨が曲がったりする・・」と母親は言います。
「笑ってわらって」と母親は言っているが、フン君はなかなか笑いません。見知らぬ人が来て、異様な雰囲気を感じているのでしょう。

体重はどのくらいですか?
「病院に連れていったことがないので、医者にみてもらっていない」
この一言で、ベトナムの医療事情の一端がわかりますね。
岩田さんの気持ちが、フン君に伝わっているようです。

岩田さんは、こう言いました。
「全体としては体のカタチは正常なんだけど、背中に少し奇形性がありますね」
岩田さんが「こんにちわ」というと、フン君は明るい顔で反応しました。
岩田さんが、マッサージを始めたら、ソン君の顔が急に変化し始めた。笑いが出てきました。
やはり、岩田さんのマッサージが気持ちいいのです。
「足が硬直していますが、マッサージすると筋肉が弛緩するのがわかりますよ。柔らかくなって来ました。」と、岩田さんはマッサージを進めました。ソン君に笑顔が出始めました。↓

日中、お店の中で寝たままのフン君です。母親は、店のこと、家事のことで忙しく、とてもマッサージまでには手が回らないようです。張っている両足に、岩田さんがマッサージを継続します。

シャワーはどうしてるんですか」と岩田さん。
「濡れタオルで体を拭いています」
「簡易のシャワーユニットがいいですね、椅子に座れて・・」と岩田さんは考える。
ベトナムに1週間に1回の巡回シャワー・サービスがあるといいな・・・と皆で話し合いました。それは夢の夢です。

フン君の体の動きが変わってきたようです。「どんどん筋肉がほぐれていく感じです。シャワーを浴びられれば気持ちがいいのにね・・」と言って、岩田さんのマッサージは続きました。↓

一日一回シャワーを浴びられるといいと我々は思いましたが、「体が頭が痛くなるので、一日一回はシャワーはできないでしょうね」と、お母さんは事情を説明しました。健常者でないだけに、なかなか難しい問題も個々の家庭にはあります。

次に、岩田さんは、手の握力をみました。握力は全くありません。
「タオルを巻いて、握らせるのも方法です」と岩田さんは言いました。
岩田さんは、その場で自分のハンディ・タオルをだして、握らせました。

ちゃんと握るようになりました。そういう繰り返しが、握力をつける・・筋肉の再生に少しでも役立つというのだ。「小型のタオルをくるくると巻いて、紐で縛る・・・と握りやすくなります。そうすると指先の筋肉だけでなく、手首、腕の筋肉も活性してくるんです」

両方の手に、ハンカチをくるんで握らせました。こうやっていると、両方の握力がついてきます。「弾力性のあるものがいいです。その子の年齢や手に大きさに合わせて、材料さえあれば、その場で作れます」と岩田さんは言って、ソン君に会う大きさを作ってくれました。問題は、ソン君に「握って下さい」というメッセージが伝わらないことですが、とにかく握りました。

ただ、どういう場合でも、家の人がまめに筋肉づくり、体力づくりを心がけないと、今のベトナムの医療・介護・事情では、タオルはタオルのまま終わってしまいます。

この岩田さん、今福島で、避難している方々のお世話をしています。さすが、現役の看護師・・です。

お話を聴き終わって皆が外に出た時に、お母さんはフン君を抱き上げました。宮尾さんが撮ってくれました。お母さんとフン君の表情に、親子の情が表れています。私は、この写真が気に入りました。

しかし、いつか、このお母さんが、フン君を抱き上げることができなくなる日がきます・・・

今後の話し合いの材料を頂いて、失礼しました。
生活支援として、お米を贈呈させてもらいました。

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| comments(0) | - | 10:15 | category: 在宅訪問 |
# ツアー(30)在宅訪問〜ヴィンフック省〜

梅一輪山を圧して咲けりけり  山口青邨

青畳何も求めぬ薔薇一輪  澤井益市郎


 昨日、あるご婦人が一輪の立派なバラの花を届けて下さいました。
色・香り・・・何とも言えない味わいのあるもいのです。
お庭に咲いた物を摘んでくださったのです。
心をこめて、シャッターを切りました。

ありがとうございました。

さて、今日は、昨日の続きで、8月20日午後の在宅訪問です。
ヴィンフック省の別の郡の被害者訪問です。

ご主人:ホアン・ミン・タムさん 奥さん:グエン・ティ・ホアンさんのお宅を訪ねました。

タムさんが従軍していた戦場は、ビンディン省(省都:クイ・ニョン)クアンチ省・ケーサイン(米越最大の激戦地の一つ)、ヴィンチティエン省(現在のトゥアティエン・フエ省)に及びます。

奥さんは、当時の省名で呼んだのです。

私は、タムさんの、入隊経歴の長さに驚きました。
1960年から従軍して、戦争から戻ってきたのは、1974年。といいます。階級は少尉で、戻ってきたようです。

この数字が正しいとすると、かなりの長期の従軍である。間違いはなさそうですが、いろいろのお話を持っていると思います。

1960年というのは、すでに、部分的に戦争が始まっていた年ですが、これまでの聞き取り取材で、1960年と答えた人は、タムさんが初めてです。

ご存知のように、ベトナム戦争は宣戦布告なき戦争でした。いつが始まりか、は確定したものがないのです。

実は、奥さんのホアンさんも、チュオンソン(ベトナム西部の山脈で、ホーチミン・ルートの戦場を指す)に559部隊として戦場に行っていました。1973年から77年まで、だそうです。「クアンチにも、ドンハーにも行った。ケーサインに行った」と、話してくれました。

ご主人とは、その戦場のどこかで知り合われたのでしょうか・・・そんな予想がつきます。

タムさんの病気は、決して軽くありません。
「軍隊から戻ってきた時には、神経病がでていた」と奥さんは言いました。もう少し正確な別の病名がありそうですが、初対面ですから聞きませんでした。

今は、いつも頭痛がしているそうです。
「すごく痛くなる時に、自分の体を叩いたり、自分の顔を叩いたりします」と、奥さん。
タムさんは、今は、話しができません。「舌が中まで縮んでしまっていて話せない。97年から、話ができなくなって、すでに14年目にはいっています」と、ホアンさんはいいます。

この日、はっきりしない天候で、奥さんにも頭痛が出ていました。
「今も頭が痛いです。ゆっくり話せないほど痛いです。話すと頭痛が出ます。薬は、余り飲みません。我慢しています。本当にすごく痛くなる時だけ、飲むようにしています。今日のような天気(少し雨模様でで、はっきりしない天気)だと頭痛ができています」

「今でも、体全体に痛みがあります。時々、箒も持てないほどの痛みが出ます。そして、手が痛いです」

聞き取り調査には、申し訳ない日でした。

「結婚してから、最初は、赤ちゃんは全然生まれませんでした。最初の二人は、生まれてから死にました」「25年以前のことです。医者は二人とも見せてくれませんでした」・・・つまり、ショックを与えないために・・でしょう。

ここで、重大な事実がわかったのです。現在、4人の子どもさんがいますが、その前に二人の出産があったのです。流産と言うより死産ではないかと思います。

お話を伺っているうちに、次の奥さんからのお話で、タムさんのご家庭は、三世代にわたって枯れ葉剤の被害者がでているという疑念を濃くしました。

 「長男も結婚しています。軽い精神病が出ていますが、自宅にはお金が無いので守衛をして働いています。

1ヶ月以前(今年の7月のこと)に長男に赤ちゃんが生まれましたが、赤ちゃんの体全体に痒みが出ているようです。枯れ葉剤の被害がでているのではないでしょうか。

この長男が生まれた時にも、痒みが出ていました。その時も、息子に薬を飲ませていました。今でも、息子にはかゆみが時々出ています


 生活の糧は何なのでしょうか?

枯れ葉剤被害の国の手当を受給しているのは、ご主人のタムさんだけ。
息子さんは、今申請中だそうです。
そして、奥さんは・・・?
「書類がすべて失くなったので、枯れ葉剤被害の手当はもらえません。手当をもらえるのが分かっていたら、書類をきちんともらっていたと思います」

 奥さんは、こう話しました。
「うちには畑がありません。収入としては、主人の手当だけが頼りです」
「家の中の物は、全部兄弟からもらったものです」

VAVAが管轄するこの村の中で、一番大変な世帯です」と、
同行してくれた
VAVA
の人が言いいました。

大きな組織は、こういう所まで入って来ません。
私たちのような、小回りの効く小グループが援助できるケースだと思いました。

お米を支援して、記念写真を撮りました。
我々のグループは、バスに向かいました。奥さんも送りに出て、私一人残り、自分の私物を整理し終わって、タムさんに「また、お会いしましょう」と一礼しました。

やっと、タムさんの柔和な顔が浮かびました。そして、右手をあげて、私のお辞儀に応えてくれました。「ありがとう」・・・出せない声が聞こえたように思いました。

ここからが、私たちのとタムさんとのお付き合いの始まりです。

私は、在宅訪問するたびに、訪問先の方から、戦争当時の話をできるだけ聞くことに努めてきました。しかし、そういうことは、ベトナムのお役人や枯れ葉剤被害者協会、通訳も含めて、同行の人たちからよく思われないことがあります。端的に理由を言えば、早く終わりたいのです。

先日、『第三文明』という雑誌の中に、こういう対談を見つけました。池田大作SGI会長とスチュアート・リース、シドニー平和財団理事長の対談です。
リース理事長が、こう言っています。

「私が、各地の紛争解決の現場二足を運び、研究を進める中で痛感したことがあります。

1点目は、より実りのある対話を進めるためには、互いの国の歴史を学ぶことはもとより、対話する相手の個人的な経験を知ることが重要だということです。

そうした歴史や経歴への関心は、必ずや「敬意」となって現れ、相手の国や対話者も、その真摯な姿勢を受け止めてくれるはずです。

2点目は、そうした相手への関心にとどまらず、、個人的な理解を深め、信頼を醸成することが欠かせないということです。(以下略)」と。

タムさんは一言も話しませんでしたが、きちんと聞いていたと思います。また次回、今日の話の続きを奥さんから伺うことにしたいと思います。

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# ツアー(28)在宅訪問◆船凜ンフック省〜
 今日は、久しぶりに、在宅訪問の記事です。
8月20日、ヴィンフック省ビン・スエン郡タム・ホップ村のハー・クアン・カムさんのお宅を訪問させてもらいました。
今回の参加者の川津さんが、仰っていました。「家庭に全てが出ています。どんな格好いいことをいっても、お宅を見ればすぐわかる」・・・人を診てきたベテランの言葉です。

にこやか・穏やかなご主人、元気な奥様・・・私の結論はこれでした。

ご主人 ハー・クアン・カムさん。奥さま グエン・ティ・リエウさん(椅子に座っている方お二人)。

カムさんは枯れ葉剤の被害者で、第二世代の五女とも枯れ葉剤の被害者となってしまいました。

カムさんは、1948年生まれ。入隊は66年。クアンチ(2年ほど)で従軍。歩兵として。

クアンチですから、枯れ葉剤の撒布は良くご覧になりましたか?と、質問しました。
「夜撒くので、それは見られませんよ」と、カムさん。
私は、いろいろと聞き取りをしてきましたが、「枯れ葉剤を夜間撒布した」と言う話は初めて聞きました。

今回は、この点に話を集中するのを避けました。枯れ葉剤撒布は低空飛行でおこなうので、夜間は危険でしなかったと言うのが、お決まりのようですが、じっさい、手撒き以外で、夜間撒布はあったのでしょうか? 私のメモには、【要調査】と書きました。

このお宅は、なんと9人の子供さんがいらっしゃいました。もちろん、もうほとんどの方が家を出て独立しています。
9人の子どものうち、次女と五男の二人が枯れ葉剤被害者です。それぞれ、お父さんも含めて、三人が国の手当を受給しています。

 次女のガーさん。1975年生まれ。先天性の脳性麻痺。「36歳ですが、何も分かりません。急に、痙攣がおきて、震えたりします。」と、母親。

五男のナンさん。1977年生まれ。今、心臓疾患で入院中と聞きました。話はできるようです。

今は、ご夫婦とこの次女との三人ぐらしです。

奥さんのリエウさんに聞いて見ました。
「五番目のお子さんの出産時は、何か異常があるとお医者さんから言われていましたか?」

「その時は、医者に見てもらう環境にはありませんでしたよ。1975年は終戦の時ですし、昔は、妊娠したら、病院にはただ産みにいくだけです」

「次女は、食事をする時としない時があります。でも、無理やり食べさせないと、体が持ちませんし・・震えも来ますので・・・」   次女には、 一日一回一錠の薬は欠かせないようです。 

2400平米の畑を所有しています。

「まあまあ食べていけるほど、なんとか収穫できます」と、ご主人。

奥さんの話は深刻でした。
一人でやっているので、農作業は大変です。肥料を撒くのも、一人ですからね・・・子どもは、皆結婚していて、それぞれの家庭で苦労しています。

私もまだ頑張らないといけないんです。主人は、もう何も出来ませんから。一人で頑張りますよ。子どもをたくさん生んだので、健康的にはよくありません。一人で全部やってるんですよ。

次女は何も出来ませんので、面倒が大変です。主人の体も痛みが出るし、主人と子どもの行水も私が一人でやらなくてはいけません。主人は、いま、もう箸も持てません。いま、スプーンをもって食べていますが、そのうち、私が食べさせるようになるでしょう。

手と足にイボイボが出てきいます。耳にもいぼが出てきています。どんどん広がってきているんです。死んだら出なくなるんでしょうが、生きている間はどんどん出ると思います。耳も遠くなっています。私は、後20年くらい生きられるかしら・・・でも、後10年生きられればありがたいです

賑やかになったのは、私が、結婚の馴れ初めを聞いてからでした。

カムさんが軍隊から戻ってきたのは、1969年。

ご主人は、同じ村の隣に住む奥さんを小さい時から知っていました。

「壁一枚隔てていたという感じですよ(隣に住んでいたと言う意味)。主人は若い時に格好良かったですが、こういう体になるなら結婚しなかったんだけど。こういう状態なら結婚しませんよ。いまは、もう仕方がないですが・・替えられるなら替えたいです」

どちらがが先に好きになったんですか?

「主人ですよ。最初は、彼と結婚するつもりはなかったんですよ。」

ご主人は攻められっぱなし。

「時々、うちの庭に入ってきて、『我が家の鶏はいないか』と探しに来るんですよ」

北村「ご主人! 最初から鶏はいなかったんじゃないですか?」

ご主人「いや、ちゃんと鶏はいましたよ・・・」

北村「いい奥さん、見つけましたね。奥さんに感謝してます?」

ご主人はニコニコするばかり。

「私でよかったでしょ?」と、また、奥さんがそばでご主人に念を押した。

奥さんのご苦労を偲びつつ、明るい会話でお別れしました。

この12月に、再訪してみようと考えています。

                                        愛のベトナム支援隊・北村 元
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# ツアー(15)在宅訪問 船縫鵐咼鷯
 

雨脚が強くなった8月19日の午後。
予定していたトン・ヴァン・ディエン君宅の訪問は、道路状況の悪化で断念しました。

折からの強い雨と朝からの雨量で、土手沿いに走る道路の状況ではバスが近づけないと言われました。

代わりに、ニンビン市内のレ・アイン・チエンさん宅の訪問をさせていただきました。

この家は、お父さんと子ども一人の合計二人が被害者。

いきなりの訪問だったがゆえに、気心は知れていないわけで、あまり良い訪問とは言えません。今回は、看護師である岩田真弓さんにいろいろなケースを見て頂いて助言をしてもらうために、訪問しました。

お子さんの話をしていくうちに、実はいま同居している二人のお子さんの他に、亡くなられたお子さんがいたことが分かりました。

初めての訪問客に、いきなり全てを言う訳ありません。そういう嫌な部分を普通に話せるようになるまでには、通常時間がかかるものです。子ども4人生まれたが、2人はすでに死亡して、一人はまあまあ元気で、一人は寝たきりの子どもです。

お父さんは、レ・アイン・チエンさんといいます。
1949年生まれ。戦場は、クアンチ省、フエ、そして中部のコントゥム省へ。現在の仕事は船の機関士で、一見お元気そうに見えますが、体の悩みを抱えています。国からの被害者手当を受けています。

冬の寒い時期は、ほとんどご飯が食べられません。胃が痛くなるんです。夏は、冬に比べれば元気です。しかし、現在は、消化がよくできていません」と、言いました。

奥さんは、グエン・ティ・ハー
さんとおっしゃいます。1961年生まれ。「元気です」と言いました。一家のことが一身にかかって大変と思いますが、一家に一人でも健康な方が頑張って折られるのを聞くと、少しほっとします。

チエンさんの病状は、急に頭痛がし始めることと、常に胃痛があって、ここ2〜30年も続いている、と言います。

子どもさんの状況は、こうです。
 〆能蕕里子さんが
1984年に生まれましたが、誕生後数ヶ月で亡くなったそうです。女の子でした。

 二番目の子は、ご長男で、1986年に生まれました。この子は、一応元気だそうです。仕事をしています。

 3番目の子は、名前をつけるまでもなく、生後すぐ亡くなったそうです。性別はあえて聞きませんでしたが、女の子だったと推察します。

亡くなった子ども二人は、同じような状況で亡くなったようです。普通の赤ちゃんではなかった、と言います。「そのことについては、話したくない」と、チエンさんは言いました。自分のお腹を痛めた母親の死別体験は、計り知れない心理的影響を与えます。

 4番目のレ・アイン・タン君は寝たきりです。1989年生まれ。症状は小頭症で、背中は湾曲して奇形性が見られます。国からの枯れ葉剤被害者手当月80万ドンを受け取っています。日本円で3200円ほどです。

奥さんのハーさんの話では、「温かいご飯でないといけません。ご飯は茶碗1杯のみ。普通の速さでは食べられませんので、ほんの少しずつしかあげられません。水を飲むと震えてしまいます。」と。

自立できない子どもを抱えた家族は、家族の高齢化とともに、先行きの不安が広がります。
岩田真弓さんが質問しました。
「こういうお子さんをあずかってくれるし越は無いんですか?」

「ありません」

枯れ葉剤撒布から、今年50周年。半世紀です。

チエンさんは、ポツリポツリと言いました。
あの化学物質が、最初はこんなに恐ろしいものだとは思いませんでした。いま、本当の怖さを
実感しているところです」

上の写真は、タン君に声をかけながら面倒を見る母親のハーさんです。

その奥さんのハーさんの話には、私には掛ける言葉がほんとうにありませんでた。

恐ろしいことです。(ダイオキシンが)人の血の中にまで入ってしまうとは・・・。何と恐ろしいことでしょうか。一世代だけで終わらないんです・・・恐ろしい現実です。うちの子どもは、誰も結婚できていません。それにあと一人しか元気な子はいません。そして・・・結婚してくれる人がいないのです・・・」

奥さんの言葉は、子供たちが戦場に行かなくても戦死したようなものではないかと、私には響きました。

 ケーテ・コルビッツ(1867〜1945年)というドイツの女性画家がいます。彼女は、第一次世界大戦で出征した最愛の子息を失ったのです。1914年、第一次世界大戦の開戦一週間後に末息子のペーターが戦死しました。社会全体に開戦への熱気が高まる中で息子のハンスとペーターが兵士に志願した際、彼女は止めるどころか、むしろ後押ししてしまったこともあり、彼女は長い間悲しみにさいなまれました。第二次大戦では孫も戦死しました。
 
 雨樋から溢れ出た水が軒先のタイルを容赦無く叩き、その音は、母親のか細い声を消さんばかりでした。この母親の心を癒せる人は、誰もいないでしょう。先天性疾患を抱える子どもの病気が治らない限り、この母親の心が晴れる日はやってこないでしょう・・・ 

ダイオキシン2378ーTCDDは、完全な”脱命者”なのです。それを作った人も、使用命令を出した人も。

【小頭症とは】頭が内容とともに全体として小さいもので,標準偏差の2倍以上小さい場合をいい,運動発達遅滞や知能低下が随伴する。原因は胎内ウイルス感染,染色体異常,先天性脳奇形,乳児期脳疾患の後遺症などによる脳の本質的形成不全と考えられ,治療困難。

                   愛のベトナム支援隊 北村 元
            
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