〜愛のベトナム支援隊〜 Love and Support Vietnam

枯れ葉剤被害者を支援しよう!寄付金受付中!今年の衣類は目標達成!ご協力ありがとうございました!

<< September 2019 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 >>
<< 奨学金の支援者・吉田玲子さん 大手柄! | main | 一写一言9 >>
# 東北学院大学経済学部FW・10・完
2月9日(月)東北学院大学経済学部FW・10・完
 
昨日のアクセスは、89でした。ありがとうございました。
 
今日は、昨年12月22日の午後訪問したホアビン省在宅訪問2軒目のブイ・ヴァン・ノンさん宅の御報告を、要約してお届けします。
 
ノンさんの家は、ホアビン省カオフォン郡バックフォン村にあります。家族が住んでいる住宅ベッドは、政府の資金で作られたものです。
 
このお宅は、子ども五人のうち三人が盲目という大変不幸を感じさせる被害者宅でした。家族全体にかかるご苦労も容易に想像できます。
        

       
       ノンさん(白髪の方)と三男ブンさん(左)

世帯主のブイ・ヴァン・ノンさんは、1951年生まれ。枯れ葉剤の被害者。耳が遠いのです。
奥さんは、ブイ・ティ・ニャックさんといい、1954年生まれ。ここで、1953年生まれか、54年生まれかで議論噴出。結局、午年生まれということがわかり、1954年で落ち着く。いや、にぎやかな議論でした。
 
ご夫妻とも、ホアビン省の生まれ。
 
ノンさんが入隊したのは、1970年。入隊してすぐ、ラオス戦場に派遣されました。
ラオスまでは歩いていきました。タインホアからゲアン→ハティン→クアンビン
→チュオンソンへと入って、ラオス国境です。3か月歩きましたよ。40キロの荷物を背負ってです」 
数え年で二十歳の時の行軍だったわけです。
 
40キロの荷物の中には何が入っていましたか?
食糧、水、衣類、医薬品、ナイフ、照明、銃、米、鍋、スコップ・・全部です。当時の体重は58キロでした
ラオス国境では最前線の歩兵として二年駐屯。
クアンチ省(ケサインなどを中心に。但し北ベトナムとは別の南ベトナム共和国の領土です)とラオス国境のチュオンソン山脈で防備に就いたそうです。
軍隊からの退役は1973年。わずか三年の軍隊生活でした。
 
1970年だとまだアメリカ軍が枯れ葉剤を撒布していたとおもいますが、ノンさんは、枯れ葉剤が撒布されているのを見たことはありますか?
見ましたよ。それが霧雨みたいに降ってきました。頭、目、鼻、口にかぶりました。苦い味がしました。霧を浴びた時には吐き気を感じました。当然、体にも撒かれていると思います」
 
体に浴びたような時は、タオルとか手ぬぐいで口に当てたりするのでしょうか?
「布きれに水をつけて、口と鼻をふさぎます。普通の水をつけました。最初は、普通の霧だと思ったんです。まさか化学物質だと思っていませんから、普通に口や鼻をふさいだのです。気づいた時はもう遅すぎました。枯れ葉剤の影響を受けていたんですね。気づくと、木々は真っ黒に枯れています。土も真っ黒になりました」
 
貴重な証言だと思います。
        
        話を聞く共生社会経済学科の学生さん

アメリカ軍がそういうところに爆弾を落として、山が焼けているのをご覧になったこともありますか?
B-52が爆弾を落としていましたからね
 
ノンさん、寝ている時に、戦争の夢を見たりすることはありますか?
そういう夢を見ます。」
例えばどんな夢をみますか?
夢は戦争のものばかりです。戦場でアメリカ軍と戦っている夢です。とっても怖くて、また残酷な夢です。」
ノンさんは、それ以上夢の詳しい説明をしませんでした。その気持ちはよくわかります。
今でも、そういう夢をご覧になりますか?

気温の高い日とか、季節の変わり目には、そういう夢がでてきます
 
ノンさんが結婚したのは、1974年。
ご夫婦とも、ムオン族。ノンさんが戦場から戻ってきてから知り合ったお二人です。
子どもは5人。
  1. 長男:ブイ・ヴァン・トゥアンさん。1976年生まれで、先天的盲目。今一番したいことは何ですか?不自由なので、普通に出来る人のできることをしたいです
  2. 長女:ブイ・ティ・ティエンさん。1979年生まれ。既婚。 長女は、症状・障害は出ていません。二番目の子ども(現在8歳。女の子)に、生後3日目で障害が出た。ご本人は嫁ぎ先にいるので、会えませんでしたが、血液がんの白血病のようです。急性リンパ性白血病 か 急性骨髄性白血病の可能性が考えられます。ここでは、これだけの説明にとどめます。  

3.次男:ブイ・ヴァン・ティエンさん。1980年生まれ。先天的盲目。
          

      部屋の隅で私たちと家族の話を聞く次男ティエンさん。

今一番したいことは何ですか?
家族のために役に立ちたいと思っています」 

4.次女:ブイ・ティ・ニンさん。1982年生まれ。先天的盲目。
今困っていることは何ですか?「生活が不便と感じています。」 
今一番したいことは何ですか? 「普通の人の生活をしたいです。何故なら、何をするにも、人を頼りにしなければなりませんので。他人に依存せずに生きていきたいです

5.三男:ブイ・ヴァン・ブンさん。
1984年生まれ。
目も見えて一番元気のいい声を出して話してくれたので、何も障害もなく、お父さんから頼りにされているのだと思いました。しかし、頼りにされていることは事実なのですが、8歳の時から湿疹が出るようになり、それが全身に及んでいることがわかりました。体の一部をみせてもらいましたが、見た人からは「あ〜」と言う声があがるほどでした。


手にイボイボが出てきたのは、何年くらい前ですか?
手にイボイボが出てきたのも、8歳の時からです。そのイボは、増えたり減ったりしています。どうなっても、イボが無くなるということはありません。何時も出ています。ただ、多いか、少ないかです
イボイボが、段々大きくなっているということはありませんか?
だんだん大きくはなっています。」
ブンさんの一番の心配は何ですか?
自分のことは心配していませんが、姉、兄、両親のことが心配です。」
 
ブンさんは目がみえるだけ、逆に苦労されているに違いないと思うのですが、そのご苦労を聞かせてください。
自分にとって、苦労は山ほどあって、それを乗り越えてやってきました。この短い時間では、話せないほどあります。願っていることは、お姉さん、お兄さん、両親、(ブンさんは、必ずお姉さんのことを先に言う)が、健康でいてもらいたい・・ということです。自分は結婚していますし、家内も子どももいます。家族全員が健康でいてもらいたい。自分にも仕事が出来て、皆を支えていくことができるようになりたいです。」
 
そういう症状が出てきて、人から差別をされるとか、そういうことはないんですか?
そういう差別をする人もいるかもしれませんが、私自身の病気は直せない病気ですから、治療法がありませんので、そういうことを自覚して、家族とか家内が理解してくれれば、私には十分じゃないかと思います。社会は複雑ですから、理解してくれる人もいるし、そうでない人もいます。でも、私は、家族さえ理解してくれれば、それでいいです。」
 
以上がまとめです。質問がありましたので、付記します。
 
質問1(ホアさん)「ブンさんの奥さんは、枯れ葉剤の被害者を結婚すれば、子どもにも影響がでるということを知りながら結婚したのでしょうか?」
2003年に結婚しました。彼女は、枯れ葉剤の被害者と結婚すれば、その子どもにも影響がでるということを考えずに、ただ私の家族の状況を理解して結婚しました。子どもは二人います。一人は12歳、もう一人は8歳です。いまは、元気です。」
 
質問2 お父さんに質問ですが、戦争中に一番怖かった経験はどんな経験ですか。
怖い思いをしたことは無いんです。戦闘をみたら、もう怖い物は何もありませんでした。独立のため、国ために命を犠牲にすることは、怖くかったのです。」
 
質問3 兄さん、お姉さんは。普段はどんな生活をしていますか?(これもブンさんが答えてくれました)
  「盲人の普通の生活をしているといえます。目が見えないので、移動が不便です。家族の生活の手伝いもできません。手伝いで出来るのは、例えば、コップを渡して、その場でそれを洗ってもらうことですね。そのくらいしかありません。米を渡しても洗い場まで行って米をとぐというわけにはいきません。洗い場まで連れて行って、そこで米をといでもらうということになります。仕事は全くありません。」
 
北村:元気な声を出すブンさんこそ何も病気がないことを祈っていましたが、案に相違して、そうではなかったということで、かける言葉がありません。
ブンさん「お言葉ありがとうございます。」
 
ここで、学生さんが足浴をしました。次女のニンさんに、足をお湯につけてもらいました。
                     

                    

そして、学生さんが、全員で合唱しました。
        
ハンドロールピアノに初めて触れる次女のニンさん。音を出してもらいました。嬉しそうでした。そして、楽しそうでした。
        
       
すると、三男のブンさんが、「お兄さん、笛を吹いたら」と言って、横笛をどこからかもってきました。まさに、日本の横笛である篠笛でした。
指名を受けたトゥアンさんは、むしろ喜びすら表していました。

トゥアンさんの篠笛の音色は、私たちの心を揺さぶりました。

        
       篠笛を吹く長男トゥアンさん

演奏が終わると、ひときわ高い拍手が。白い歯を見せて喜ぶトゥアンさん。今回のフィールドワークでの枯れ葉剤被害者宅訪問は4軒。そのうち、3軒で、学生さんの合唱に対して返歌とお返しの演奏を聞かせてくれました。ほんとうに、珍しいことです。
遠くから来た人に対する音楽の返礼は、学生さんの純な心が呼び出したと考えたいです。立派な文化交流を果たしたといえます。

 
3人が盲目という家庭状況の中でも、遠来の人をもてなす心を披露してくれたことを、私たち一人一人が学ばなくてはならないと思います。
私は、少なくとも、この最後のノンさんの家との交流をしばし続けてみたいという気持ちが湧きました。
 
野崎先生から寄付をお送りし、学生さんから、日本で集めた衣類を贈呈し、別れを惜しみました。
        
        
「三男のブンさんの元気のいい声が、10人の学生さんの心の中にしみこんでいると思います。今日は勉強の場としていろいろの話を聞かせてくださったことに、厚く厚くお礼を申し上げます。お父さんも、お元気で長生きをなさってください。」
 
挨拶した私も、涙がこぼれそうでした。

10回にわたりました東北学院大学経済学部 共生社会経済学科の第2回ベトナム・フィールドワークの報告を終わります。本日が、ベトナムに来た学生さんたちの大学での発表の日です。成功していることを願っています。(了)


                      愛のベトナム支援隊・北村 元
                            Love & Suport Vietnam
               <本ブログの無断転載・複製を固く禁じます>
 2011-2014 Love & Support Vietnam All rights reserved.
| comments(0) | - | 15:40 | category: スタディーツアー |
# スポンサーサイト
| - | - | 15:40 | category: - |
コメント
コメントする









Categories
Archives
Comments
Mobile
qrcode
our visitors!
ブログパーツUL5
****books****
Shizuoka Today
your time
Search this site
Sponsored Links