〜愛のベトナム支援隊〜 Love and Support Vietnam

枯れ葉剤被害者を支援しよう!寄付金受付中!今年の衣類は目標達成!ご協力ありがとうございました!

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# 東北学院大学経済学部FW・9
2月7日 東北学院大学経済学部FW・9 
ホアビン省1軒目の在宅訪問は、ホアビン市フォンラム町のチャックさん宅です。

 
家族構成  
世帯主のクォン・ティエン・チャックさんは、1945年生まれ。
奥さん:チャン・ティ・ヴァン(Tran Thi Van)さんは、1952年生まれ。
お子さんは四人います。上二人が男の子、下二人が女の子。

                    
                     チャックさん(前列左から二人目)ご一家と 

チャックさん戦場へ
チャックさんは、1965年7月。20歳の年で、クアンチ戦場(当時は北ベトナムとは違う皆ベトナムという国です)に派遣され、クアンチ戦場で10年間従軍生活を送ってきました。クアンチの戦場に10年もいて、よく生きて帰ってきたと、私は思いました。しかも、1965年からは、戦闘が一層激しさを増した時期のクアンチ省への派遣ですから。
 
クアンチ省に入る時は、列車ですか? 車ですか? 歩きですか?
「クアンビンから歩いてラオスに入ったりしながらつきました。ヒエン・ルオン橋(註:当時の南北べトナムを分ける国境の橋でした)を渡ることができないので、チュオンソン山脈沿いに歩いて南部に入りました。

 
1960年代だと、クアンチで、アメリカ軍の飛行機が枯れ葉剤を多量に撒いている時期ですが、クアンチで飛行機からの撒布をご覧になっていますか?
1966年とか1967年では、アメリカ軍は爆弾で森林を潰しました(焼いたという意味と破壊した意味が入っています)。その後、飛行機でエージェント・オレンジ(註:当時は枯葉剤と分かっていなかった)を霧雨のように撒きました。われわれは、この後、アメリカ軍は何かやるという予測をして壕に入りました。ですから、枯れ葉剤の影響を少しは防ぐこともできたかもしれませんが、しかし、地上にでて生活をしたことで、やはり枯れ葉剤の影響を受けました。頭の上を飛行機が飛んでいて、何かを撒いているのを見ています
 
ケサインは、南ベトナムの北部の基地の中でもアメリカの重要基地だと思いますが、死にそうになった経験はありますか?
命を失いそうになったことは3〜4回ありました。アメリカ軍が爆弾を落とした時は、地下壕にいたのですが、爆弾の爆風を受けて、死ぬのではないかと思ったことがあります。地下壕にいても3〜4回爆弾の爆風で倒れました。気を失って病院に運ばれ、また戦場に戻りました。註:ここで言う病院とは、鉄筋建ての立派な病院ではなく、野戦病院のことです)」
 
終戦の時の南ベトナム大統領の放送の話は貴重です。

 
1975年の4月30日には、チャックさんは、どこにいらっしゃいましたか?
戦争に勝ったという話は、どこで聞きましたか?

クアンチにいて新聞やラジオで知りました。勝利の報を受けると、部隊の兵士は、北ベトナム国旗を道路に刺したり、喜びを表していました

副会長「軍隊の中でも政治委員の人は、一人一台ずつラジオをもっていて、それで受けた情報は、兵士の皆に伝えることになっています。4月30日に、ヅオン・ヴァン・ミン(註:南ベトナム政府最後の大統領)さんが、戦争は終わった。アメリカ国旗を降ろし、これからはベトナム国旗を掲げるようにとラジオで呼びかけました
 
家族の健康状態
チャックさんが軍隊から退役したのは、終戦から3か月後の1975年8月1日。

その後子ども4人が生まれています。

長男  次男 と生まれて、私たちが会ったのは、
長女 クオン・ティ・トゥ・ハーさんです。1981年生まれ。
  「奇形性をいくつか持っています」と、父親は言いました。先天的に、左右の足の長さが違う。指が異常に長いのです。
      

       指が本当に長い
「あちこちの病院に連れて行きました。いろいろな治療をうけて、生後10年経ってようやく歩けるようになりました。」と、母親。
「今は、歩けますが、それでも長い時間、長い距離は歩けません。手にも奇形性があって、いろいろなことができません。食習慣にもばらつきがあって、食べない時は2日〜3日も食べないことがあります。」
 
どうも、歩けなかった理由は、生まれつき腰骨が、短かったことと、左右で形が違っていたためとみられます。そして、歩けるようになったときには、背中が曲がり始めた時でした。

 
次女 Khuong Thu Huong さん。1983年。
「記憶力が乏しい。自分で言ったこともすぐ忘れてしまう。専門学校に行ったがだめだった。仕事をみつけても、長続きはしない。今は、無職です」と、お父さんは説明してくれました。
 
チャックさんの現在の仕事は、ホアビン市7区のVAVA副会長という役職。
健康状態は、それほどよくないと、私は判断しました。
2012年に直腸がんの切除手術をして、現在は人口肛門を使用していること。
2013年にも、癌がみつかって(部位は不明)手術しました。
 
奥さんのヴァンさんは、腎臓結石を持っていて、左脇が痛むと訴えていました。
 
両親の心配:「親がいなくなったら、長女のハーはどうなるのか?」
長女のトゥー・ハーさんは、枯れ葉剤の被害者として認定され、現在月々122万ドンの手当てを受けています。
 
また、御主人のチャックさんは、枯れ葉剤によって、身体能力の81%を失った傷病兵と認定されて、国の特別政策で、一人の介護を雇える手当(毎月70万ドン)を受けています。その手当は、現在奥さんに支払われており、奥さんが介護できなくなったら、その手当で、一人の介護人が付けられるという制度です。
 
質問:(野崎)今は、アメリカのことをどう思っていますか?
チャック:ベトナム国民は、アメリカに対して不満を感じていると思います。人間性がない行為をしたので、アメリカには戦争の補償を求めたいです。
 
質問:(一色)生活で大変なことは?
チャック:今は、政府の支援で生きているが、私たちがなくなってしまったら、子どもたちの生活はどうなるか? 

ここで学んだことは、
●北ベトナムから越境して南ベトナムに入ったことを、直接兵士から聞いたこと。
●枯れ葉剤と知らなくても、何か化学剤が飛行機から撒かれた光景を、チャックさんが自分の目でみたことを話してくれたこと。
●南ベトナム最後の大統領が、終戦のラジオで呼びかけた内容の一部がわかったこと。ヅオン・ヴァン・ミンさんのことをインターネットで少しでも調べてみると、興味ある事実が出てきます。
●世帯主のチャックさんのがん手術を含めて、家族の健康状態が十分でないこと。


足浴をしました。
      

皆で歌を歌いました。
           

すると、チャックさんと副会長の二人で、戦争の歌を聞かせてくれました。1曲ならず、2曲まで。チャックさんにとっては、一瞬でも、自分の病気のことを忘れる時間であったように見えました。枯れ葉剤被害者世帯のかたが、学生の歌に応えて、返歌をしてくれたのは、これが二軒目です。
           

野崎先生から寄付と、衣類の贈呈をして、失礼しました。
       
 (左から) 野崎先生 チャックさん 長女のトゥー・ハーさん
       母親のヴァンさん


                       愛のベトナム支援隊・北村 元
                            Love & Suport Vietnam
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