〜愛のベトナム支援隊〜 Love and Support Vietnam

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# 東日本大震災から2年・・・

本日、2013年3月11日・・あれから2年が経ちました。あっという間の2年。

あの日を最後に、まだまだ見つからない人たちが多数います。多くの人に、苦しみ、悲しさ、不安を与えつづけている東日本大震災・・・

私たち愛のベトナム支援隊も、ベトナムでも東北の方々の苦しみを知っていただこうと、2年連続で、
東北の方々の心を運びました。

改めて、新たな気持に立ち返り、還らぬ人となった方々のご冥福を祈り、またあってはならない福島の原発事故(その後のお粗末な政策をひっくるめて、あの事故はほとんど人災でしょう)で苦闘を続ける方々、被災地東北の方々の物心両面の復興を応援したいと思います。なんとして、日本再生のモデルケースにしたいものです。

今日は、関東大震災にみまわれた当時、静岡県伊東市の宇佐美尋常高等小学校の生徒が綴った作文集の中から、一編を、愛のベトナム支援隊のブログに掲載し、苦しみの中で生活を続ける人たちと労苦を分かちあいたいと思います。

家の中に魚が

山 本 か ね(初津=はつつ) 六年生

九月一日のことであった。昼のご飯にしようとお膳にすわった。すると急に家がゆれてきたので、これは地震と思って急いで外に出た。妹等は裏の家の表へとゆり落とされた。私も落ちそうになったのでかたく石垣につかまって居た。

その内地震もやんだので道の方に行って見ると、大勢の人が大騒ぎをして居る。私も行って見ようと思って海の方を見ると、大へん海の水がふえて来た。その中に「ソレツナミダ」と叫んだので、急いで山の方を向いて逃げた。途中まで行って見ると、もうつぶれた家もあれば流れた家もあったので、この分では、まだ津波が来ると上へ上へとにげた。

やがてもうよかろと皆で畑のまん中にすわりこんで見て居た。もうその時は海の中は色々の道具や家などで一ぱいであった。それから二三度水が増減した。

それが止んで家の方に下りて来た。その時にはどこがどうだか分からなかった。家の表へ来て見ると、隣の物がゴタゴタである。色々の物をおし分けて家の中に入って見ると、土間に海の魚が泳いで居た。

しかし、幸いにたゝみはぬらさなかった。その晩お父さんや、お母さんは家に寝たが、私はよその家へとまった。(文章は上へ上へ、ゴタゴタの繰り返し部分を除いて、筆者の原文通り。改行は北村)

いま、福島県、宮城県では、地震、津波で被災した民家の蔵などから、古文書を探し出し、デジタル画像で被災地の歴史史料を残すプロジェクトが進行しています。

マグニチュード8・1の地震が起き、北海道から三重県までが被害が及んだ1611年12月の地震。岩手県の田老と大船渡では津波が20メートルに達したと推定されています。ところが、宮城県で発見された古文書から、この時、津波に襲われた地域で、数年後には新田の開発が進んでいた、ということが分かった、のです。東北の民衆の不屈の建設の歴史の一端が資料に刻まれていたのです。

今年も、また、私たち愛のベトナム支援隊は、東北福祉大学の学生さんら東北の方々をまじえて、ベトナム北部中部でボランティア活動を続ける予定ですが、東北の人たちの不屈の精神を、ベトナムに運んで行きたいと願っています。

        愛のベトナム支援隊・北村 元
        Love & Support Vietnam

     <本ブログの無断転載・複製を固く禁じます>

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