〜愛のベトナム支援隊〜 Love and Support Vietnam

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# ハノイの二分割を計画していたフランス
ツアーに関する長期のご報告が終わったところで、一人の方から激励をいただきました。
感謝と御礼を申し上げます。

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夏の支援隊活動のご報告、お疲れ様でした。
あのようにまとめて掲載されることは本当に大変なことなのに、長期に渡って
ご丁寧に報告をしてくださり、ありがとうございました。本当に頭が下がります。

支援隊のブログを読み、「私の母」の作文を読んでいると、
まだまだ頑張らなくては、と力になります。

お忙しいとは思いますが、お体ご自愛下さい。

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今日は、昨日で昨年のわが支援隊の夏の活動報告をおえましたので、ちょっと気分を変えて、ハノイの現代史の一駒に触れます。

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かつてベトナムを植民地としていたフランス共和国。

1902年の地図には、ハノイを人種的に二分する都市計画を立てていたことがわかります。

ハノイをニ地域に分けてベトナム支配を強固なものにしようとしていたマスタープランが地図に示されているのです。一つは、ヨーロッパ人居住区。もう一つは時ともベトナム人の居住区である。フランス人のやりそうなことですね。

2010年8月に、ハノイ市内で、それらを示す68の地図と9件の文献が展示されました。展示資料には、1873年から1954年までのフランスの管理地域であるハノイのことが示されています。

地図のうち、5枚の地図は布に描かれ、現在は、ハノイ市に編入されているフースエン、タイン・オアイ、ダン・フオン、チュオン・ミー、ミー・ドゥック地区が特集されていました。

フランスは、1873年から1895年までの間に、市の境を確定し、ベトナムの由緒ある主な建物を取り壊して、碁盤の目風の街路を作り、ヨーロッパ調の街づくりを計画していたようです。

取り壊しの対象になった建物には、現在のカソリック教会と今日建っている中央パゴダと旧王宮が含まれています。ベトナム人が言うには、「それらを取り壊して、得体のしれないフランス植民地風の建物を建設しようという意図」だったようです。

現在のハノイでも十分にフランス風ですが、人種別に別け隔てをするという・・・何を考えていたのでしょうか? 産業も興さず、刑務所と保養地しか作らなかったフランス。もっとも、第二次世界大戦では、日本もベトナムに飢餓状態を作ったりしましたね。 植民地解放軍ではなかっったのですね。ベトナムの人々に苦しみを与えていたのです。反省! 

        愛のベトナム支援隊・北村 元
        Love & Support Vietnam

     <本ブログの無断転載・複製を固く禁じます>

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