〜愛のベトナム支援隊〜 Love and Support Vietnam

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# 絵画で見るホーチミン・トレイル(7)・完

絵画で見るホーチミン・トレイル(7)・完

 

昨日のアクセスが281となっていました。皆様 ありがとうございました。元気が出ます。

  

この絵は、「後方連絡基地」というタイトルです。

どのくらい後方なのかわかりません。チュオンソンの地名も出ていません。

   

 1954年に開かれたジュネーヴ会議で、ベトナムは南北分断されましたが、何ボー(南部)に残留した解放勢力に資金援助するために、北ベトナムは、南ベトナムの通貨ピアストルで支援をしました。当時は社会主義国からの支援はモノによる援助が中心だったので、北ベトナムの国家予算を使って主に香港でピアストルへと両替し、南ベトナムの解放勢力へピアストルで支援していました。15号決議以前は、毎年50万ドル相当の ピアストルが現地に送られていた(279頁)。

 

 1959年の15号決議以降、南ベトナムへの支援金額も増加し、1965年には1100万ドル相当のピアストルが支援されたが、これは1960年の支援金額と比較して128倍の額であった。1965年、特別外貨基金、通称 B29が立ちあげられました。

 

 南ベトナムへの解放勢力への支援は、現金をチュオンソン・ルートで運ぶ AM方式と、金融機関の外国送金で送るFM方式の二つがありました。

 

 陸路のAM方式では、アメリカ軍の爆撃を受けるために安定送金はできなくなり、1972年と73年の2年間だけで、503万6千ドル分の外貨が輸送中に失われたそうです。(出典:ダンフォン著の5つのホーチミン・ルートより)

 

連載の最後に、少しだけ南ベトナムの通貨ピアストルの話をしましょう。

(1)1875年にコーチシナ植民地(ベトナム南部)の発券銀行として創設されたインドシナ銀行は、フランスの領土拡大とともに北上し、サイゴンからハイフォン、ハノイとその拠点を移動させました。1930年から1954年まで、ハノイの現国家銀行を拠点としました。1920年以降、インドシナ銀行が発行するピアストル紙幣は、フランス領インドシナ全域で流通していました。

 

(2)ベトナム戦争の終末期、南ベトナムの首都サイゴンでは、陥落が目前に迫り、富裕層は、4月中旬以降次々と民間航空便で国外への脱出を図りました。サイゴンのタンソンニャット空軍基地も狙われ、ベトナム航空、パンアメリカン航空、シンガポール航空などの民間航空機は4月26日全面的に飛行を停止しました。一般市民も南ベトナム政権崩壊を予測、南ベトナム通貨ピアストルを金、ダイヤモンド、アメリカドルに換金し、ピアストルの価値が暴落したものです。

 

この連載は、もう少し続ける計画でしたが、夏の支援ツアーの準備にかからなくてはならず、残念ながら、今回で終わりにします。

ご声援ありがとうございました。

 

        愛のベトナム支援隊
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