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# カウラ捕虜収容所の脱走から70年

70年前の1944年8月5日早朝、シドニー西方320キロにあるカウラの捕虜収容所で収容されていた1100人の日本兵が引き起こした脱走事件は、捕虜収容所の脱走では史上最大のものとなりました。

シドニー・モーニング・ヘラルド紙に掲載されたマイケル・ゴードン記者の記事を翻訳しましたので、若干の情報を付けて、当ブログにアップします。

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カウラ脱走生き残り兵が弔問

村上輝夫元日本兵にとって、この収容所跡地訪問は最後の訪問になるかもしれない。そして、彼が日本からきてかつて記憶としてもっていたものとは異なって、彼は一人の単独行動をしていることだ。

それは、暖かい抱擁、短命に終わった多くの人への祈り、そして70年前の寒い朝にカウラというニューサウスウェールズ州の一田舎町のはずれで起こった事件についての心からの謝罪の中にまとめられる。

彼がオーストラリアの主催者へメッセージがあるかと問われて、小柄の93才の元兵士は、手を合わせた。通訳を通して、史上最大の捕虜脱走を実行したことに対し、厳粛な気持ちで「すみません」と詫びた。(註:捕虜収容所の脱走事件としては、史上最多の人数(日本人収容者数1,104名の 内、545名以上)と見られる。死者数235名 (オーストラリア人4名、日本人231名)、日本人負傷者数108名)

1944年8月5日に、村上輝夫さんは死ぬ覚悟ができていた。そして、彼は「決起するか」どうかについて、カウラ・キャンプの1,100人の日本兵捕虜たちが行った秘密の投票をまざまざと思い出した。

日本人捕虜はおよそ30の班に分けられ、別々の小屋に割り振られた。小屋のリーダーは、白紙の紙を全員に渡し、そこに○ か X を付けるようにと指示したのだ。まるは脱走賛成、Xは脱走反対を表わした。

脱走賛成が、圧倒的多数だった。

「○は、死を意味しました」と、村上さんは説明した。脱走事件で、死んだ231人の日本人と4人のオーストラリア人にとって、またその後数日間でさらに死んだり、自決した25人の日本人の死は、そういう結果だった。

「私は、○を書ききました。 私も死ぬ覚悟でした」

脱走計画が練られた時、村上さんは下級の1等兵であり、収容所にきて比較的間もない新顔だった。しかし、彼は日本兵としての義務は知っていた。

「彼は絶対に捕虜になっちゃいけないと教えられました」と、日本から同行してきた通訳の山田真実さんは説明した。「彼は捕虜になるなら、むしろ、自決するように教えられました。だから、彼は死ぬしかないと考えたのです」

カウラ収容所の大多数の日本兵と同じく、村上さんは、疾病または負傷して戦闘能力なしとして捕らえられた。

捕虜日本兵は、カウラのキャンプで、もっと多くのイタリア兵と一緒になった。

イタリア兵は、西部戦線で多数で降伏した人たちで、収容所での生活態度は日本兵と非常に違っていた。(日本兵のあるべき姿を)悩み、脱走を練っていた日本兵とは違って、イタリア兵は収容所生活を楽しんでいた。そして、しばしば歌を歌いながら、ワインを飲み、農家の妻と娘をからかいながら、地元の農場で働いていた。

村上さんは、脱走したけど死亡しなかった。機関銃砲火を浴びて彼の周りの多くの人たちが倒れて行くときに、彼は排水溝に避難した人々の一人だった。そして、彼は夜が明けたとき、両手を上げて降伏した人々の中に入っていた。

いま、彼は、日豪の平和と友好のメッセージを持って、カウラでの5日間の記念行事のために戻ってきた。村上さんは、脱走日本兵最後の生き残りである。

脱走70年の行事では、カウラ捕虜収容所での日伊の歴史を映す絵画と写真展、花輪の献花、脱走劇の公演などが行われた。

主催者のローレンス・ライアン氏は、「この行事の目的は、亡くなった方々の冥福を祈念し、事件の風化を止め、平和、調和と和解を進めるである」と話した。

村上さんは、「脱走事件の後しばらくしてからですよ、”死が唯一”である考えを変えたのは」と言った。それはいつ頃だったかと問われて彼は一呼吸置いた。 「それは、難しい質問です。いつだったかはわかりませんが、私は生き残ったことに極めて幸せを感じています。この年になって、(いきていたことは感無量です」と、彼は答えた。

 http://www.smh.com.au/national/cowra-breakout-survivor-pays-his-respects-20140803-zzzlr.html#ixzz39TTZexk1

記事は以上です。

最後に、日本兵を縛りつづけた日本陸軍の戦陣訓のごく一部を付記しておきます。

恥を知る者は強し。常に郷党(きょうとう)家門の面目を思ひ、愈々(いよいよ)奮励(ふんれい)してその期待に答ふべし、生きて虜囚(りょしゅう)の辱(はずかしめ)を受けず、死して罪過の汚名を残すこと勿(なか)れ

『戦陣訓』「本訓 其の二」、「第八 名を惜しむ」

                愛のベトナム支援隊・北村 元
                             Love & Suport Vietnam

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