〜愛のベトナム支援隊〜 Love and Support Vietnam

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# 「綱引き」がユネスコ無形文化遺産に登録されました!
このところ、わが家の事情でブログを休んでおりました。
この間のアクセス数を書いておきます。
12月3日 195  12月4日 112 
12月5日 137  12月6日 128 でした。
皆さま ありがとうございました。
 
また、今日から少しずつ再開しますが、ベトナム夏のツアーの御報告再開には、もう少し時間がかかります。
 
ベトナム情報をお伝えすることで、ブログをつないでいきます。
 
「綱引き」がユネスコ無形文化遺産に登録
 
4か国が共同申請

 文化スポーツ観光省文化遺産局によると、12月2日にナミビアで開かれた国連教育科学文化機関(ユネスコ)の第10回無形文化遺産保護に関する政府間委員会で、ベトナム、カンボジア、韓国、フィリピンの4か国の「綱引き」が、人類の無形文化遺産の代表的な一覧表に登録されることが決まりました。

     http://www.viet-jo.com/home/magick_img.php/151204075835.jpg?part(300)

 「綱引き」は、順調な天候や豊作の祈願または稲作の作柄を占うために、東アジアや東南アジアの稲作文化圏で広く行われています。登録が決まった4か国では、全国または一部の地方でこの伝統行事が行われています。

 ベトナムでは、稲作文化発祥の地とされている紅河デルタ地方のヴィンフック省、バクニン省、ハノイ市を中心とするホン川(紅河)デルタと北中部地方に集中している。また、北部山岳地の少数民族、タイ族、ターイ族、ザイ族の間でも行われています。

 
 「綱引き」の無形文化遺産登録は4か国が共同で申請していたもので、ベトナムが複数国で共同登録を申請し、認められたのは今回が初めてです。
 
近い将来の愛のベトナム支援隊で、一度楽しんでみようと思います。3年前にいちど実現する機会がありましたが、運ぶ綱が重いという理由で実現していません。ヴィンフック省がいいかも知れません。

やるぞぉ!


                愛のベトナム支援隊・北村 元
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| comments(0) | - | 10:15 | category: ベトナム文化 |
# 南部訛りのニュースキャスター
国営放送に、南部訛りの

男性キャスターが登場


 ベトナム国営テレビ(VTV)のニュース番組で、南部訛りのベトナム語を話す男性ニュースキャスターが初めて起用され、話題となっています。ホーチミンテレビ(HTV)やVTVホーチミン市事務所でニュースキャスターやリポーター、エディターとして勤務していたメコンデルタ地方カマウ省出身のベト・フォン(Viet Phong)さんです。
      http://www.viet-jo.com/home/magick_img.php/151029075100.jpg?part(300)
 VTVはハノイ市を本拠地としており、数年前まで北部訛りのニュースキャスターのみを起用していました。しかし、情報の享受において各地方の国民の平等性を確保する必要があり、地方訛りでも発音と声調さえ正しく話すことができれば問題ないとの考え方から、VTVでは近年ニュース番組に南部訛りや中部訛りのニュースキャスターを起用するようになりました。

 日本で言ってみれば、関西弁や東北弁の全国放送のアナウンサー 登場というわけです。

 フォンさんはVTVにおける南部訛りの男性ニュースキャスター第1号。南部訛りや中部訛りの女性ニュースキャスターとして、ホアイ・アインさん、トゥイ・ハンさん、アイン・フオンさんなどが以前から起用されています。フォンさんも含めて、いずれも美男美女ばかりです。

 ベトナム語は北部訛り、中部訛り、南部訛りに大別さますが、文字表記と照らし合わせると、首都ハノイ市のベトナム語は発音及び声調の誤差が最も少なく、いわゆる「標準語」とされています。一方、発音は大きく異なるが、最大の経済都市ホーチミン市のベトナム語も標準語とされており、多くの地方出身者が地方訛りを矯正し2大都市の標準語を見に付けようと、クラスに通っている人もいます。

 何年か前に、ベトナム外務省新聞局の日本語を話す女性が通訳として私たちに中部まで同行しました。通訳の流れが悪いので、聞くと、「中部訛りで、まるでわかんなあい・・・」と言いました。
     
http://www.viet-jo.com/home/magick_img.php/151029075100_2.jpg?part(300)
 行き先が分かっているんだから、もっと勉強しろ! と思ったものです。カネをとるなら、わかる通訳をしなさい・・昨日、今日できた方言ではないだろ! できないなら、出来る通訳と最初から交代しなさい ということです。ベトナム外務省の通訳は、概して甘ったれている者が多いです。親方日の丸の精神がちがちですから。ま、彼女に肩を持つ気はさらさらないですが、そのくらい違うのです。

                   愛のベトナム支援隊・北村 元
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| comments(0) | - | 12:04 | category: ベトナム文化 |
# 二人の岩将軍

ベトナムには、たくさんの民話がありますが、これもその一つです。終わり方がいまいちなのですが、双子の兄弟が、死ぬ前に悪役人をあぶり出したということなのでしょうか?

 

二人の岩将軍

 

李朝時代に、西方へ旅をしていたある王様が、丘の上で、二人の大男にであった。彼らは、二人とも大きな石を運んでいた。驚いた王が、尋ねた。「そのもの、どこから来たのか?」と。


 「あっしどもは、この山に住んでいる双子でございます。あっしどもは、相撲を得意としております」と二人が答えた。

 王はこのお男たちを宮廷に連れて帰り、宮廷の中で最強の男と相撲をさせた。だが、この大男に勝てるものはいなかった。その強さに驚いた王は、彼らをボディガードにした。

 彼らは、「象の相撲取り」と呼ばれた。豪華な正装には慣れていないので、二人は、簡単な腰布だけをしめていた。

 

王が地方を行幸するときには、二人は王の警備をした。天候がどうあれ、疲れ知らずで何日も見張りをすることができた。それゆえに、二人は岩の将軍として知られるようになった。

王室の祭りの時に、民衆の楽しみとして、二人は相撲を取りました。戦時には、めっぽう強く、たくさんの勝利を勝ち取りました。

戦場では、彼らは腰帯をつけ、斧型の帽子をつけて、鞭を巧みに駆使した。

 

王は、敬虔な仏教徒だった。王は、仏陀を尊敬して、町の中心部に巨大な塔を立てるように命じた。何千という農民が駆り出された。ある日、大きな岩が崩れ落ちて、何人かの労働者が下敷きになった時に、岩の将軍たちが、建設現場を通りかかった。

 

二人の岩の将軍がかけつけ、岩を持ち上げた。「仏陀が人々をころしている」と、悲しそうに惨事を見ながらつぶやいた。

この時、この話を、力持ちの二人に焼きもちを焼く王の側近の人値が聞きつけた。彼は、王のもとに走り、こう言った。

「あの相撲取りどもが力を乱用しておりまする。王様に謀反を起こすかもしれませぬ。王様、大混乱を引き越す前に、あの二人を首にすべきでございます」

 

 次の日、二人は、尚絅大に引かれた。生かし、いろいろな方法を使っても、二人を殺すことはできなかった。この双子は、神通力のある人だと思って恐れた。

 

実際、焼きもちを約顧問の部下の提案で、二人は杭に貼り付けになった。二人が息を引き取る前に、不正を働く王室の科挙どもを呪った。


              愛のベトナム支援隊・北村 元  
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| comments(0) | - | 13:56 | category: ベトナム文化 |
# ベトナムの一枚の紙

今日は、ハノイ近郊の村で作る一枚の紙の話です。

ハノイのギア・ゾー地区は、ハノイの西にある西湖の西側に広がる地区です。そのゲー村(Lang Nghe)の村人は、かつて毎年2000枚の条例布告用の紙を皇帝におさめてきました。


これらの紙は、皇帝が、科挙に対して出す条例とか命令の布告用に使うものですが、もっと大事なのは、さまざまな神に対する布告・宣言です。条例布告の紙は、共同社会の寺の祭壇に置かれます。王様に代って、神々に捧げられます。

 

布告用紙は、科挙命令用紙として分類されます。布告は、地方の科挙と全国レベルの科挙を対象にしているほか、国に偉大な貢献をした人々にも布告するものです。

 

かつては、北部90の地方では、9万もの布告・命令が出されてきました。

 

数年以上も前にその紙を作っていたライ・フー・バンさんという方が亡くなられました。そのために、伝統的な布告用紙はもうできなくなるのではないかと、多くの人々は心配しました。

しかし、2008年、亡くなったバンさんの息子さん、ライ・フー・タックさんがその伝統を引き継ぐ決意をし、復活させました。家族の歴史を引き継ぐ栄誉を希望すると一念発起したのです。王朝時代、ライ一族は、王室に布告書を収める独占権をもっていました。

 

ライ家伝統の紙には2面とも使われており、龍が描かれている面と、他面は四つの聖なる動物がえがかれています。紙の大きさは、縦120センチから130センチ、横幅は55センチから60センチまで。製作費は1枚400万ドン(約2万円)と、とてつもなく高い紙です。

 

この高価格は、信じられないほどの耐久性と品質の故だそうです。この紙は、乾燥した場所に保存すれば、数世紀はもつそうです。紙は強く、しかもシルクのようなタッチ、ふわふわしており、防湿性に優れ、腐食に強いといわれています。材料は、フート省で生育するゾーという木の樹皮を使います。

製造技術は秘密が厳しく守られ、世代から世代へと、口で伝えられてきたのです。

製紙法は、ゾーの他の紙を作る製法に似ていますが、より注意と技術が必要になります。ゾーの木の樹皮を3日間冷たい水に浸します。そして、更に3日間石灰水に付けます。樹皮は、その後、腐敗するまでタンクの中に置いておきます。外側の層を取り除きます。すり鉢の中ですりつぶします。

 

次の段階は“セオ”と言って、ここは典型的な女性の仕事になります。かつては、紙を作るのに、鋳型が使われていました。これらの鋳型に使われる木は、水や気候にさらされても、ゆがむことがありません。紙作りのツールは、小型の鎌です。

 

布告用紙をつくるのに、3人から5人の職人が必要です。濡れた紙の上に布を広げます。それをひっくりかえして、出来上がった紙の上に重ねていきます。その出来上がった紙を、ベトナム語で「ウオン」といいます。積み上げが終わると、まとめて絞ります。紙を一枚ずつはがし、炉の中で乾燥させます。

 

仕上がりの最終段階は、四匹の聖なる動物を描きいれることです。

古い言い伝えがあるそうです。「ギア・ゾー村の女性は、宮廷の布告用紙造りでは、長い間の定評がある」と。

 

タックさんは、貴重な伝統を維持するために先祖が歩んできた道を熱き続けるのです。 


「ハロン湾」だけみていたら、私たちには知られていない隠れた文化があるものですね。

               愛のベトナム支援隊・北村 元  
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| comments(0) | - | 10:28 | category: ベトナム文化 |
# ベトナム国花になれるか? 蓮の花
 

ベトナム国花になれるか? 蓮の花

日本の国花は、桜と菊である。なぜか二つある。

アジアはどうか。

韓国は木槿(むくげ)。北朝鮮はおおやまれんげ。中国は牡丹。台湾は梅。アフガニスタンのチューリップは意外だった。アルメニアはアネモネ。イエメンは  コーヒーの木も意外。イスラエルはオリーブとシクラメン。イラクは薔薇。イランは薔薇とチューリップ。インドは、蓮または睡蓮となっている。インドネシア茉莉花(まつりか)と読む。カンボジアは稲。サウジアラビアも薔薇。戦火の絶えないシリアは杏(すもも)だ。シンガポールはバンダ。スリランカは蓮。トルコはチューリップ。ネパールは石楠花(しゃくなげ)。バングラデシュは睡蓮。フィリピンは茉莉花(まつりか)。ブータンはヒマラヤの青いけし。ベトナムは、蓮になるのか、公式にはまだ国花はせいていされていない。マレーシアはハイビスカス。ミャンマーはさらそうじゅ。ラオスはプルメリア・・となっている。

 

東南アジアを含む世界各国では国花を制定している国が多く、ベトナムも自国の文化や国民性を象徴する国花を制定する必要があるとして、文化・スポーツ・観光省は数年前から国花選定の必要性を広める運動を推進してきた。

 

 同省は国民に対し、国花を制定する場合どの花が最も相応しいかインターネット上でアンケート調査を行ったところ、「蓮」が最も多かった。この結果について専門家からは、既に数か国が蓮を国花に制定しているが、蓮は既に文学などの文化的活動の中でベトナム民族の象徴として扱われており、国民の意識に深く浸透しているとして、支持する意見が多く出されている。

 

国花は、その国の精神と文化を表す。現在97か国が国花を制定しており、多くの国が国花を選定中でもある。生物学的多様性という点でベトナムは上位16か国に入っており、美しい花の種類がたくさんある。多くの人々や専門家が、ベトナムは国花を決めるべきだという点で一致している。「われわれの花は、社会経済の発展とベトナムのイメージの推進に寄与できる文化の象徴であるべきだ」と。

 

最近では、専門家や科学者だけでなく、一般国民も国花の選択に興味を示してきた。2010年に行われたインターネットの投票では、調査対象になった75.56%の人が国花を制定すべきだと主張しています。これらの人のうち、42.93%が蓮を選びました。李(すもも)が19.36%、桜9.59%、その他が3.68%となっている。世界に開かれるベトナムなので、国花の制定には今が好機だ。

 

2010年8月に、文化・スポーツ・観光省がベトナム国花選定プロジェクトを発足させ、選定の基準を打ち出した。●ベトナム各地の自然条件に適応できる花であること。●ベトナムに起源をもつこと。●ベトナム文化、芸術・文化の精神が一致していること。とした。

 

2011年の最初の半年で、文化・スポーツ・観光省は、ハノイ、ダナン、ホーチミンの各市で市民の意見を集約した。ピンクの蓮の花がトップで70%を占めた。

 

同じ花を国花にしているケースがある。たとえば、チューリップ。これはオランダ、ハンガリー、トルコが一緒だ。バラは、ブルガリア、チェコ共和国、イングランド、イラン、イラク、ルクセンブルグです。蓮もまたインドの国花だ。インドは白い蓮だという人がいるが、ピンクの写真が写っている。ベトナムにとって、蓮の花は永遠の生命力、明るさ、純粋な美を具現しているとみる。

私たち愛のベトナム支援隊の奨学金の名前も、すでに数年前に、『蓮の花奨学金』と命名した。ベトナム航空のロゴもまた、蓮である。ベトナムは、ピンクの蓮を選ぶ最初の国になるのか。

 

ベトナム文化・スポーツ・観光省が出した選考基準とは別に、蓮は群を抜いている。全国どこでも高い適応力があり、各地に咲いているからだろう。また、国の文化行事にも使われている。「蓮のピンクの花びらと黄色のめしべは、黄色い星をあしらった赤の国旗に似ている。お互いに重なり合う花弁は、ベトナムの54民族の兄弟の縁と団結を我々に思い起こさせる」と、人は言う。加えて、蓮は非常に芸術的であり、鑑賞芸術に使うこともできる。

 

ベトナムは、豊かな生物多様性を天から与えられた国であり、多くの美しい花がある。蓮は言うに及ばず、バラ、桜、コメの花、竹の花、中国語でいう老白花、火焔樹の花などである。これらの花は、地域を表す。インターネットと直接の調査で、花をいくつか組み合わせて国花にしたらという意見がだされている。これはいい考えだ。たとえば、日本は、桜と菊だ。イングランドも水仙とバラ。インドネシアは花を並べている。

 

グエン・タン・ズン首相はこのほど、文化スポーツ観光省が提案していた国花の制定について同意した。今年の3月に報じられたのだが、今年は実現しなかった。来年の独立記念日、9月2日にも制定されるのではないか、密かに期待しているのだが。(おわり)

              愛のベトナム支援隊・北村 元           
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| comments(0) | - | 10:59 | category: ベトナム文化 |
# 旧正月間近かのベトナム

ベトナムでは、まもなく春節・旧正月・テットがきます。今年は、2月10日から12日までです。
私の経験では、9日から始まって9連休やってしまう人が多く、この旧正月到来で、もうベトナム社会の動きは完全に止まっていますね。お願いごとをしても、聞く耳持たず・・・後廻しか、忘れられるか・・・毎日が”ディーチョーイ”気分です。

この時期、特によく見られるのが、中国将棋といわれるチェスです。ベトナム語でCờ Tướng コー・トゥオンといいます。将棋の駒はピンキリで、木、プラスチック、象牙(今は違法だと思いますが、違いますか)などでできています。写真のように、ボトルの蓋を使っての将棋も庶民的です。指し手の表情をみてください。真剣でしょう? いっちゃあ悪いですが、仕事より真剣なんですよ、ほんとに。いつもそう思います。

 この写真は、データから判断すると、ダナンで大庭さんが撮ってくれたものです。

この中国将棋は、ハノイのあちこちでも指しているのがいつでも見られます。必ず人だかりがしています。ベトナム人の外野が結構うるさいです。指し手の作戦に影響するのではないかと思われるほど、横から口をダシます。よく言えば、関わる・・・悪く言えばおせっかい・・・。

しかし、コー・グオイ(Cờ Người) と呼ばれる人間将棋がよく見られるのも、このテットの時期です。

1788年にレ氏が清国に救援を求め、清国軍20万人がタンロンに入城。1789年1月に、北上してきたグエン・フエ軍が清国軍を掃討しました。ダン・ハウという名の清朝の官吏が、遺体を集めるように命令し、パゴダが建てられ、その後ドン・クアン・パゴダへと発展しました。その決定的な戦場となったドンダーでは、清國軍撃破2XX年を記念して毎年行う人間将棋は、規模も大きいのです。

この人間将棋では、16人の美男子と16人の美女が、駒になります。彼らは、二人の指し手に操れらますが、この指し手は二人の子供が叩く太鼓の音で邪魔されます。

審判には、通常、美女が選ばれます。赤のローブを身につけ、頭には黄色のヘッドバンドをつけます。

儀式が終わると、女性審判が旗を振り、ゲームは始まります。男女合計32人が駒のように広い地面を移動します。通常、広さは、共同の家の広さ、或いはパゴダの広さがあります。

多くの場合、幅広の袖のついた青い長目のローブを着た解説者がつきます。解説者は、当然のことながらチェスに精通していなくてはなりませんが、重要な事はユーモアのセンスが無くてはならないことです。

ハノイ市ハイバー区には、チェスの王様デー・ティック(DeThick)にちなんだパゴダ(Vua 寺)があります。ここが、ベトナム将棋の揺籃の地とされているのです。ヴア寺のチェス祭りには、有能な将棋の棋士が殺到し、全国各地から集まります。予選を勝ち抜けず、ハノイまで来られなかった棋士には、大いに悔しがると聞きました。

それ故に、ヴア寺のチェス選手権に参加することは、大いなる名誉なのです。ここでの優勝者と準優勝者はチェス仲間に名を広く知られて、鼻も高くなる名誉をもらうことになります。

1930年代1940年代では、”金のノート”に選手権者の名前が記入されたといいます。すごいですね。

また、ハノイ郊外のティン・イエン村では、全村民がチェスができるそうです。子供ですら、ですよ。

チェス大会に参加しなくても、解説者を努めたり、熱狂的なサポーターになるということですが、子供が叩く太鼓よりうるさそうな気がしませんか。

最近のチェス・トーナメント選手権戦では、全国から70人以上の棋士が参加しました。上位三人に商品が贈られる。ここでの優勝者は、その時どきに応じて、ご褒美としてチェス戦に参加するために中国、タイ、シンガポール、日本にいけるようです。

しかし、ここからがベトナム人らしい言い分ですが、「世界広しといえども、人間将棋をやっているベトナムほど、この偉大な将棋が参観者の心に深い印象を残すことはない」と。左様でございますか、と受けておきましょう。

だが、その人間将棋も、過去のものになりつつあるという観を否めません。パソコンではありませんが、保存をかける必要がありそうですね。(了)

※今日から数日、テットにあわせて、私もちゃっかり休ませてもらいます。
その間、どなたか、筆者になりませんか?

         愛のベトナム支援隊・北村 元
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