〜愛のベトナム支援隊〜 Love and Support Vietnam

枯れ葉剤被害者を支援しよう!寄付金受付中!今年の衣類は目標達成!ご協力ありがとうございました!

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# 14蓮の花奨学生からの手紙供檻隠殴アンガイ省
今回も、ベトナム中部のクアンガイ省からの手紙をご紹介します。

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お礼の手紙

拝啓、櫻田基金 愛のベトナム支援隊 宮尾和宏様

私はクアンガイ省モー・ドゥック郡のグエン・ティ・カム・ヴァンNGUYEN THI CAM VAN)です。

櫻田基金、愛のベトナム支援隊の皆さんのご健康を知りたくて手紙を書くことにしました。
皆さんはお元気でお過ごしでしょうか?
 
2015年の初めに当たり、皆さんのご健康とご多幸をお祈り致します。
 
次は私の事情です、第1学期の試験が終わったところです。点数はそんなに高くはありませんが、一時的に満足しています。第1学期より第2学期には良い結果を得て、家族の皆、それから、櫻田基金、愛のベトナム支援隊の皆さんのご期待に応えるため、一生懸命頑張ります。
 
ご支援して下さり、ほんとうに有難うございました。私のような人も皆さんからのご支援を頂くことを期待しています。
では、失礼します。

 グエン・ティ・カム・ヴァン(NGUYEN THI CAM VAN) 
     

+++                    
 
【北村より】
 
お手紙ありがとうございます。
 
こちらは、皆元気です。日本の人々のことを心配して下さり、ありがとうございまし。
櫻田基金の方も、宮尾さんも元気です。
カム・ヴァンさンもお元気ですね?
 
試験の成績が一気にあがらなくても、コツコツと、黙々と勉強してください。
發ぅ▲襯廛垢猟詐紊癲∀爾らコツコツです。
そうやって勉強していれば、いつか、必ず花が咲く時がきます。
その時です・・・怒涛の如くうってでてください。
 
手紙には、もっともっといろいろ書いてください。
締切間際にかくと、頭の中がまとまりません。余裕をもって、少しずつ書くのも一つの知恵です。私たちにいろいろなことを教えてください。ご家族の事、健康の事、ご自分が考えていること・・・もっともっと広がりのある手紙にしてください。
 
元気で8月に、モードゥックからクアンガイまできてください。


                      愛のベトナム支援隊・北村 元
                            Love & Suport Vietnam
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| comments(0) | - | 10:44 | category: 奨学生の作文 |
# 支援ツアーHnad-in-Hand(37)ヴィンフック省7・作文私の母
昨日のホアさんの作文に、岩田真弓さんが投稿をしてくださいました。

 こんにちは。
いつも読ませて頂いてますが、今日は初めてのコメントです。
ホアさんの作文、本当に感動しました。
涙が出てきました。
来年もベトナムに行きます。
ホアさんのお母様に会いたいですね


投稿ありがとうございました。はい、私も是非お会いすると、心に決めました。

そして、今日の『私の母』は、岩田さんが奨学金を渡してくれました相手のティちゃんの作文です。ティちゃんは、奨学生の中で、一番きちんと手紙をくれる子です。お母さんの教育かも知れません。かつて、「お金をためて、日本にいきたい」と、宮尾さん宛の手紙にかいたこともあります。

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                                  「私の母」    フン・ティ・ティ(Phung Thi Ty)

色々な悲しいことや苦しいこと等に一生堪えて、一言も文句も言わない人は私の母です。旦那さんがいなくても、一人で子供を育てて、一生頑張っている人は私の母です。それに、いつも、私のことを見守ってくれている人は、私の母です。

私の母は丸くて長い顔をしていて、初めて私の母に会った人なら誰でも母の優しさを感じると思います。私良い生活を過ごせるようにと、母は色々な苦しいことに堪え、若白髪で、手には沢山のしわができています。そして、私はいつも母のことを、優しいエンゼルと思っています。

私は予定より数日間早く生まれたそうです。その結果普通の子より体が弱いので、あまり元気ではないところがります。天気が変わると私はよく高熱ます。そんな時、母は食欲がない私の為に余り寝ずに一人で私を介抱してくれま
す。

私の痩せる姿を見て母の心にはとっても痛々しく感じたのでしょう。高熱が出ると、私は凄く疲れます。しかし、母が熱心に介抱してくれおかげで私の病気は早く治ることが出来ま
す。

とともに、私もだんだん丈夫で元気になり大きくなりました。それと同時に私の母はだんだん老けてきて、皺が段々多くなりました。母の年齢と同じ人と比べて、母の方が年を取った人みたいに感じます。一般のお母さんと比べ、母はとても苦労が多く、大変な思いで一人で子供を育てているのです。

5年生6年生の試験を受た時、色々なことを勉強しなくてはいけないので、私は凄く心配しました。母は私心配していることをを感じとって、色々慰め励ましてくれました。その時は私より母の方がもっと心配してくれていたと云うことがわかりませんせんでした。受験日、母は仕事を休んで、試験が終わるまで私を待ってくれました。そして、私が中学校に合格したことを知らせると、母は凄く喜んでくれて、私を抱き締めて私のことが誇りに思ったと言ってくれました。

母は我慢強く素晴らしい人なので私は一度も私の父のことを聞いた事がありません。母は私の前で優しい母と厳しい父の二の役割を果たしているのだとう事を分かりました。

私が間違ったことをした時から叱られました。それは母が私を良い子に育ってほしいからです。だから、母を恨んだりしたことはありません。私は、母と父がそろっている家庭の子ではないので、それはあたりまえのことです。母は自分と父の二人の役割を演じているからです。今では母だけで十分で、母より最高の宝物はありません

幼稚園の時、母は毎日私を幼稚園まで連れていってくれ、教室に入る前に、良い点数を取ったことが分かるととても喜んでくれました。家に帰ってから、母に満点の10点を見せることができた時は凄く嬉しかったです。私は母の笑顔が大好きです。その笑顔を見たいために、今の中高生良い成績をとれるようにいつも一生懸命頑張っています。

る日数学のテストが終わっ、テストの結果を友達と一緒に話し合っている時、私は財布の落とし物を見つけました。それから、私は財布を落とした人が見つかるように委員会まで届けました。二日して、財布を落とした人は財布を受け取りました。私は、そのことを母に話しました。「良い子だね。お母さんはTyちゃんが誇りだよ」と、母は褒めてくれました。良いことが出来て私は凄く嬉しかったです。

526日は母の誕生日でしたが、私は花を買うお金が無いので、母へのプレゼントとして満点を取ることを心に決めました。そして母の誕生日に家に帰って「お母さん、お誕生日おめでとう。私、花を買うお金がないから、お母さんのプレゼント、満点を取ってきたよ。この満点を、大好きなお母さんにあげるわ」と言いました。母はその時、とっても喜んでくれました。

私の考えでは母は素晴らしい人で、高貴な性格を持って、伝統的なベトナム女性で、自分より私のことを大事にしてくれ、一生涯私のため自分の事を犠牲にする人だと思います。

昔、私がまだ小さい時、母は他のお母さんと何か違うものがあると思っていました。どうして母の心は優しくて広いのだろうかいうことが、自分ではなかなか分かりませんでした。大きくなって、勉強したお蔭で、分かるようになりました。他のお母さんと私の母も共通点が有ります。それは利他主義です。それは自分を犠牲にして子供の利益を第一に考えて、子供の幸福を願う事です。

               ↑ 2010年のときのティちゃん

私の母は、ヴィンフック省タム・ダオ市イエン・ヅオンという田舎に生まれました。母の誕生日は526日です。母の名前は、フン・ティ・ハイン(Phung Thi Hanh)といいます。母は自分のためだけでなく家族のために生きています。家族のこと母が一人できりもりしています。だから、叔父さんは母がすることを安心して見てくれています。

叔父さんはよく私たちにこう話してくれます。「あなたたちのお母さんは自分の幸せを犠牲にしてあなたたちの幸福を願っています。しっかり覚えていきなさい、忘れちゃいけないよ。そして、お母さんの期待に応え、良い子になるんだよ 叔父さんの教えのお蔭で、私は母がもっと好きになり深く尊敬しています。

叔父さんが教えてくれなくても、私と私のお兄ちゃんは母の犠牲の精神十分に気づいていました。大好きな母が喜んでくれるように、私たちは一生懸命頑張ります。

母さん、いつも私を見守ってくれて、色々有難うございます。心から感謝します。お母さんからの愛をもらった私は幸せ者です。お母さんのため、私はいつも頑張ることを約束します。お母さんが大好きです。


Phung Thi Ty

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ティちゃん!作文ありがとう。
よく書けています。

お母さんの誕生日プレゼントに、決意をして10点満点を取ったのはすごいです。お花のプレゼントよりはるかにはるかにすばらしいものです。お母さんも本当に喜んでくれたでしょうね。

お母さんのために頑張る・・・これほど素晴らしいことはありません。
ティちゃん、元気で勉強を続けてください。

                 愛のベトナム支援隊・北村 元
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| comments(0) | - | 07:59 | category: 奨学生の作文 |
# 支援ツアーHand-in-Hand(36)ヴィンフック省6・作文「私の母」
 8月19日:私達がヴィンフック省の奨学金贈呈式の会場で受け取った「私の母」という作文の中に、今日ご紹介する作文が入っていました。

枯れ葉剤・ダイオキシンの怖さを良く表した作文です。そして、書いてくれたホアさんの母の大変さを見事に描き、その母を思う優しさが存分に出ている作文です。

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グエン・ティ・ホア (ヴィンフック省) 誕生日:1993118

 私の母

寒い夜に灯る蝋燭があらゆる物を照らし、人の一生を温めてくれます。その蝋燭は母です。生まれてから母の優しい胸の中で抱かれ、母の子守り歌を聞いたり、母の優しいお話を聞いたりして誰もが大きくなっていくのだと思います。

私の一番大好きな人は母です。母はいつも私を可愛がってくれます。そんな母を愛し、一生母に感謝し続けたいと思っています。

私の母は農家で、生活の中で多くの苦しい事や悲しい事に堪え、今までのうち喜んだりする時や暇な時間も無く辛いこと涙を流しながらの生活でした。

父は戦争から帰ってから、戦争のせいで病気を持っています。それは枯れ葉剤と云う病気で、とっても有毒な毒薬です。その毒薬のせいで母は 普通の子供じゃない不格好で、植物人間みたいの子供を産みました。私の母は全部で6人の子供を産みました。3人が亡くなっていましたので、残っている3人は母の希望を託された子どもです。

毎年連続で、自分が産んだ子供を亡くしたことに堪える母の心はものすごく辛いものがありとっても悲しい思いだと思います。残っている3人の子供のため、母はいつも頑張っています。

1979年、お母さんは可愛、初めて子供を産みました。その時、母はとっても喜んだそうです。そして、子供が明るい将来を過ごせるように、お金を稼ぐため母はあちこちで仕事をしました。

私のお兄ちゃんは12、足ががくがくし始め、記憶も体力も少しずつ弱り、病気が段々厳しくなってしまいましたので学校を止めてしまいました。母はお兄ちゃんを色々な病院に連れて行きました。病院にかかるためお金が必要で、家の物も売ったり、借金したりしましたが、お医者さんの言う通りで、お兄ちゃんの病気は治せないものでした。痛ましくて、絶望のどん底の思いでお兄ちゃんを家まで連れて帰ってきた母でしたが、何も言わなくても母の苦痛が分かりました。それでも、母はお兄ちゃんの前では一生懸命でした。

時間が経てば経つほどお兄ちゃんの病気はますます悪くなり、足も手も動かせなくなり、話せなくなり母の可愛がる目しか見えませんでした。お兄ちゃんは本当に可愛そうですが、母もまたもっともっと可愛そうに思いました。その悪病を発症してから、5年後お兄ちゃんは亡くなりました。母は寂しさの底に沈み、悲しさ一杯で、涙が無くなるほど泣きました。

1982年に母は二人目のお兄ちゃんを産みました。一番上のお兄ちゃんの病気と同じで、母はとっても心配し、どのようにお兄ちゃんを育てたら良いかよく考えました。二番目のお兄ちゃんを見るたびに、母は涙を流しました。他の誰よりも母にはお兄ちゃんの病気が治せない事が分かっていましたが、中央病院へ病気を治してもらうため、母はあちこち走り回って借金をしました。

しかし、病院を治せないと云う同じ診察結果を病院からってしまいました。お兄ちゃんの病気は段々悪くなり、動けなくなりました。母は一日の仕事が終わってから、家に帰って、お兄ちゃんを介抱しました。凄く大変でしたが、お母さんは一度文句を言いません。1992年に二人目のお兄ちゃんが亡くなりました。

お母さんは二回も子供が亡くなった事に堪えました。子供亡くした事以上の苦しみはありませんが、母は頑張って生き続けいます。大事な二人のお兄ちゃんが亡くなりましたが、お兄ちゃん達と一緒に過ごした時間を母は一生で忘れられなくて、仕事から帰ってもお兄ちゃんはまだ生きていると思って、習慣的に兄ちゃんの部屋に入りますがそこにはお兄ちゃん達のベッドだけしか残っていません。

1985年、お母さんはお姉ちゃんを産みました。小さい時、他の子供と一緒で、お姉ちゃんは普通の子として成長しましたが5年生になったら、お姉ちゃんは異常な症状がでて前の二人のお兄ちゃんと同じように病気が段々悪くなり、4年後お姉ちゃんも母から離れて逝ってしまいました。

1990年、お母さんはもう一人のお姉ちゃんを出産しました。そして、お姉ちゃんが3のときに、母は、双子で私とThanhを産みました。私たちは母の最後の希望の星なのです。母は私たちを育てる時もとても心配を持っていました。

なぜなら母は私たちの兄弟が亡くなった三人と同じ病気になるのではないかと心配していたからです。だから、私たちに何もやらせないで、私たちが元気でいるだけでお母さんは凄く嬉しく幸せを感じている事が分かります。

父はよく病気をし体が弱いので、家の小さい事から大きい事まで、母一人負担がかかっています。毎日、畑で仕事をしている母はとっても大変なので、私たちは母のお手伝いをしたいのですが、母は「うん」と言ってくれませんので、家でご飯やおかずを作ったり、掃除したりなど軽い事だけ母の手伝をしています。

時々母を見ると、私には質問したくなる事がります。それはどうしてお母さんは早く老けるのかと云う質問です。それは、子供のためなのか、いつも心配事や苦しいことを持っているせいなのか、心に余裕のある時間などが無いせいなのか?

今年、母は62歳になり、顔に沢山の皺が有り、背骨退化するう病気をもっていますので、仕事をする時に差しさわりがあります。私は母のため、時々母の肩や背中などをマッサージーしてあげますが、ある時私は涙てしまいました。何時になったら母は全ての苦しみから抜け出ることが出来る聞きたいのですが、聞けませんでした。

「寒い夜に灯る蝋燭が全ての物を照らし、人生の一生温めてくれます。その蝋燭はお母さんです。」

私の母は一番素晴らしい人だと思っています。宇宙の中には美しい宝がいっぱいありますが、私にとっての宝は母です。優しいお母さんの心です。

どうしたら良い人になれるか・・・母から教えてもらいました。母の全ての愛は私たちに注がれています。私たちが病気になった時母は寝ずに徹夜で私たちを介抱してくれました。本当に母に感謝しています。だから母が大好きです。ことは母の前で言えませんでした。

「お母さん!私お母さんが大好きで、お母さんは私の一生の宝です」。いつも私を見守っていて下さい。そして私たちが親孝行が出来るように、母は長生きして欲しいのです。母子の愛は一番神聖な愛で、その愛今まで私を育てくれています。母は私の愛の全てです。だから、いつも母が好きで、一日も早く親孝行したいので、早く大きくなりたいです。

そして「私大きくなってもお母さんの子供で、どこにいってもお母さんに見守って欲しいと思っています。」

 「どこに行っても   お母さんの大きな愛より大きいものは無い

  お父さんにかかる一生の負担ほど大きいものは無い 

  広い海でもお母さんの愛と比べられない

  広い空もたくさんの雲も お父さんの愛とは比較出来ない

  朝早くから夜遅くまでお母さんは私を育て

  
痩せながらも お父さんは私を見守ってくれる

  
お母さんが居る人はお母さんを泣かせないで、

  お母さんが居る人はお母さんを寂しくさせないでください!」

Nguyen Thi Hoaより

          懇談会の席上で談笑するヴィンフックの奨学生 左コン君 右ホアさん

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ホアさん、すばらしい作文をありがとう。

最後の二行の詩は他の人たちに呼びかけている点で、私達の胸に迫ってきます。お母さんをなかせることをしない・・・ことこそが、世界平和の原点ともいえるものでしょう。

  
お母さんが居る人はお母さんを泣かせないで、

  お母さんが居る人はお母さんを寂しくさせないでください!

いつか、そう、来年必ず、ホアさんのお母さんにお会いして、お話を聞こうと心に決めました。

こういう作文を書いてくれたホアさんに、大感謝です。

亡くなった2人のお兄さんと一人のお姉さんの分まで、ホアさんが頑張ってほしいと思っています。

もう1ヶ月もすると、ホアさんの20歳のお誕生日がめぐってきますね。

ホアさんは、お誕生日には、お母さんに感謝のマッサージをしてあげるといいですね。

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# 支援ツアーHand-in-Hand(34)ヴィンフック省4・私の母1
 フオン・リンさんの作文「私の母」です。

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「私の母」

「母の手は私達を抱いたり、育てたりする。私達が食べるご飯も母の手で作られる。そして、水を飲む時も母の手から貰う。暑い日も 母の手から涼しい風を貰い、良く眠る。寒い日は母の温かい手が私たちを守ってくれる」

これは母が子供に教えてくれる愛の美しい諺ですが、これから私のための母の大きな愛と母の大変さについて話したいと思います。

愛の中でも、母と子の愛は一番神聖な愛とよく言われます。それはそうだと思います。なぜかと云うと、母の愛は他のどんな愛とも比べることができないからです。生まれる時には、誰でもお母さんとお父さんが居ます。そして生まれてから、私達は母にお世話になり、沢山の愛をもらいますが、母への恩返しは私達が一生かかっても、その恩を返しきれないのではないかと思います。

子供を産むため、母はお腹を抱えて10ヶ月以上もの間沢山の大変な事に堪えて、子供が太陽の光を見た時、母は最高に嬉しい時を迎えます。そして、私達にとって幸せな事は、いつも母が見守ってくれている事です。

私が何か悪い事をして謝りますが、いつかまた母に叱られて泣いてしまったと云うことを忘れる事は出来ません。どんな小さい事も、また大きい事も悪い事に対してはしっかり教えてくれて良い人になるようしつけてくれました。

母が私の行いで良い事、悪い事などを教えてくれた事を通して、母の心配や苦労が分かるようになりました。私の生活は、母が居て、毎日楽しく学校に行き、楽しく過ごせるように母は家の事を全てをまかなっています。

私が友達に勉強で負けないため、母は朝早くから夜遅くまで仕事を頑張ってやっています。晴れた日も雨の日も、母は頑張って働いています。私の幸せな事や嬉しい事等は全て母の喜びです。だから、私の笑顔を見るだけで、母の心も嬉しくなり、母の沢山の苦労もどこかへ消えて行くそうです。

毎日、仕事が忙しくて大変ですが、母は一度も文句等を言いません。私のため、母は自分の事を犠牲にしています。

ある日、私は学校をさぼって、友達と一緒に凧揚げをしに行きました。母はその事を知っても、私を叱りませんでしたが、母の目を見ると悲しそうに見えました。その時、母は落ち着いて、優しく私に注意をしてくれました。そして、私はとっても後悔し、これから母を悲しませない様に悪い事を繰り返さないと云う事を約束しました。

一生のうちでいつも、私達には安易な道があるだけではないと思いますが、母がそばに居てくれるだけで、私は自信を持って、厳しい道に出会っても乗り越える事が出来ると思います。

優しくて、利他主義の母の姿はいつも私の心の中にあります。

母は私の理想の人です。いままで困難な事に出会った時、全てを諦めてしまいたいと云う気持ちが有りましたが、母が励ましてくれて、母がそばに居てくれるお蔭で力が強くなり頑張る事ができました。

でも、私はまだ母に「お母さんが大好きだ」と云う事を言った事がないです。「私は心からお母さんに大きな愛をあげます。そして、一生お母さんに大きな愛をあげ続けますよ」と、母に言いたいのです。

誰が言った言葉か分かりませんが、
「お母さんが居る人はお母さんを泣かせないように
お母さんの目に寂しい事を残さないように」

これは子供たちに贈るための諺ではないかと思います。すべての人が小さい頃から大きくなるまで、いつも母がそばに居てくれるわけではないので、今母が居てくれる事を大切にしたいと思います。

お母さんの期待に応えるため、一生懸命頑張りたいと思っています。

グエン・ティフオン・リン(Nguyen Thi Phuong Linh)より

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リンさん。作文ありがとう。
とってもよく書かれています。

「私の笑顔を見るだけで、母の心も嬉しくなり、母の沢山の苦労もどこかへ消えて行くそうです。」 この一文は、お母さんの本当の気持ちを表しているように思えます。鋭い文章です。

りんさん、年二回のお手紙をまっていますよ。またステッキな文章でまとめてください。

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| comments(0) | - | 10:21 | category: 奨学生の作文 |
# 支援ツアーHand-in-Hand(19)ニンビン省18・私の母

きょうは、ニャムさんの作文です。
作文を書いてくださいとお願いしたのですが、感想文と受け取られたようです。
こういうコミュニーケ−ションは、とても難しいですね。
作文を課題にするという支援隊の文章を翻訳の方が、どういう単語を使ったかにもよりますし、ベトナムの南の人が訳してくれていますので、北の人に通じにくいことは今まででもありましたので、言葉の問題は、いつも悩みのタネです。

まあ、ご一読ください。

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母についての感想文を書くのは、なかなか難しいです。なぜかと言いますと、母については色々な事を話したいのですが、どこから始めたらいいのか分からなくなるからです。

母の事を考えるたびに、母が教えてくれた諺を思い出しました。

それは、「父の愛はタイソン山のように大きい。
母の愛は水源のようにいつも豊富だ」です。

この諺の比較は面白いな〜と思います。母の愛情は水源のようにつねに豊富な水源なので尽きる事がありません。その表現は私の母についての考えと一緒です。

母が私にその諺を教えてくれた時、母は祖母の事を考えていたのではないかと思いました。

父の愛情は山のように雄大だ、それと比較して、お母さんの愛情はいつでも優しくて、温和で、親しみを感じます。もし、水源が命の源だとしたら、母は私の命です。そして、母は私とって特別な水源です。

母の愛情のお蔭で、私は生活での楽しみ方や他の人を愛する事を身に着ける事が出来ました。母の振る舞いを見て、どのような人にならなければならないかを学ぶことが出来ました。そして、母はいつも私のそばにいてくれます。

私は大きくなっても、母の子供ですし、どこに行っても母が見守ってくれています。

私のため、母は一生頑張ってくれています。小さい頃から今まで色々な事を教えてくれました。だから、母は私の最初の先生です。母の愛は言葉で言い尽くせませんが、私はその大きな愛をいつも理解できるわけではありません。

自分の事だけしか考えない私は、母を時々寂しく感じさせることがあります。母はいつも私のそばに居て、いつもとっても優しく私を見守ってくれて、私のために苦しいことや悲しいことなどがあっても精一杯頑張ってくれます。

私には、母への感謝の気持ちで一杯です。お母さん!私はお母さんの笑顔が大好きです。だから、いつもその笑顔を私たちに見せ続けて下さいね。お母さんはいつでも私のお母さんです。お母さん有難う!!

                ファム・ティ・ニャム(Pham Thi Nham)より

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# 支援ツアーHand-in-Hand(17)ニンビン省16・私の母

今日は、知らされなければそのまま単なる15日でしたが、後輩が七五三と教えてくれたので、分かりました。

多摩川から遠望する七五三の日の朝の富士です。後輩の写真を借用しました。

これは、小生が二年前に川越で撮った七五三の写真です。

七五三では、千歳飴を食べて祝います。千歳飴は、親が自らの子に長寿の願いを込めて、細く長くなっており(直径約15mm以内、長さ1m以内とか、やけに厳格な寸法です・・・どうでもいいのはだめなのでしょうか)、縁起が良いとされる紅白それぞれの色で着色されています。千歳飴は、鶴亀(つるかめ)や松竹梅などの縁起の良い図案の描かれた千歳飴袋に入れられている。

千歳飴は、江戸時代の元禄とか宝永の頃、浅草の飴売り・七兵衛が売り出したのが始まりとされていますが、これも商魂だったのでしょうね。親には悪いですが、私は祝ってもらった記憶がありません。こればかりは、いまさらやっても仕方がありません。

+++

では、昨日ご紹介したファム・ヅイ・タイン君の『私の母』という作文です。

↓      ↓      ↓      ↓
 

今夜 私はよく眠れました。
お母さんは私の一生の風です ”

一生でお母さんの胸の中に育てられたり、お母さんからの子守り歌を聞いたり、暑い夏の昼に母の扇子の風の下で夢を見たりすることが無い人はいないと思います。

一番私が感心している人は、母です。いつも私を見守っている人は母です。

一生母を愛し、一生母に感謝し続けます。

 私の母は白い肌で無く、綺麗な顔でも無く、今まで心配事が多くて顔には沢山のしわが有り、苦労がにじみ出ている母は決して美人じゃないと思っています。しかし、父がよく言った通り、母は他の女性より知的な美しさを持っています。それはその通りだと思いました。

 私の母は頭がいいし、キビキビして賢い人です。周りの人たちは、私の母が厳しい人だと思っていますが、私が母のそばに座ると、母が手で私の髪の毛をなでてくれた時に、周りに人たちが思っている様な人でないと云う事がよく分かります。そして、その時母の手から私に素晴らしい愛が伝わっている事を感じます。その愛情は私の心の奥深くまで感じられます。

子供の頃から今まで沢山の愛情を貰って成長してきました。

子供の考えで「母は子供を育てるのは当たり前だ」と私は真剣に考えた時、でもどうして、お母さんは私のために自分の事を犠牲に出来るのかと自問したことがあります。

お母さんはいつも私のことを心配してくれていますが、時々母は悪い人だと思う事が有ります。母に叱れた時、私は泣きました。泣いたのは悔しくて泣いたので、後悔したからではありません。ある日、学校から帰った時、母が勝手に私の日記を読んでいたのを、私は見てしまいました。私は凄く怒って「お母さん 悪い!悪い!何で私の日記を読んだの!日記は私の秘密でしょ、何で読んだの?悪い!お母さんなんて要らない、要らない」と言いました。こんな暴言を吐いたら、引っぱたかれるかな〜と思いましたが、違いました。母は何も言わず、涙を流し始めました。よく分かりませんが、その時、直接に母の顔を見る勇気がありませんでした。私は、すぐ自分の部屋に入ってドアを閉めきり、
父がどんなに呼んでもドアを開けませんでした。私は泣きました。一杯泣いたので、
枕は濡れてしまいました。

夜が深まれば深まるほど私は落ち着かないで、眠れなくなってしまいました。寂しさの中で自分自身を慰めたりしましたが、満たされません。何か足らない物を感じました。もしかして、私は母親の愛情が欲しかったのではないか?

色々複雑な事を考え、私はいつ眠りについたのか分からないうちに眠ってしまいました。

そして、夢の中で誰かの温かい手で私の髪の毛をなでていると感じました。私はその感じの中で、自分はいつも感じている愛が欲しいのではないのか。その伝わってくる感じは甘くて、愛情一杯です。私はその素晴らしい感じをいつまでも続けたい思いで、出来るだけ目を閉じようとしていました。目を開けるとその感じは消えてしまうのではないかと思ったのです。

ある朝、起きたら普段より家は何か変で、寂しいと感じました。何か足らないものがあると思いました。そして、その日の朝食は普段の朝食と違ってご飯の代わりにパンでした。

「お父さん!お母さんは?」と聞いたら、「お母さんは病気で、一週間入院しなければならなくなった」と、言いました。その時、悲しい気持ちが私の心を取り囲みました。母が入院したら、誰が美味しい料理を作るの? 誰が洗濯をするの? 誰が私の話し相手になってくれるの? 本当に後悔しました。母が入院したのは全部私のせいです。母がいなかった一週間はとても寂しかったです。家にはお母さんの笑顔が無く、とっても寂しかったです。その間、私はよく外食しました。母が入院していましたので、美味しい料理を作ってくれる人はいませんでした。本当に母の料理が懐かしかったです。

一週間後、お母さんは家に戻りました。母を見て、いきなり私は母を抱き締めました。「ゴメン!悪いのはお母さんで、貴方の日記を読んではいけないのに読んでしまった。貴方の秘密を読んだお母さんが悪いので許してちょうだい」と、母が言いました。

その時私は「お母さん、私のせいです!悪いのは私です!全部私のせいです」と言いたかったのですが、私は言えませんでした。私は母を抱き締めながら一杯泣いてしまいました。その事を通じて、母の大切さがわかるようになりました。

私は初めて母の退院をお祝いしました。

毎日とっても忙しくても、朝食と夕食は家族のために美味しく作ってくれました。その料理は高級な料理ではなくて、普通の料理ですが、お母さんの愛が一杯はいった料理です。私にとってお母さんは本当に素晴らしい人です。

そして、私と父は、毎日母からの愛を沢山もらっています。母が留守の時、私と父は本当に困ります。洗濯や掃除等の事は全部母がやってくれていましたから。

母さんは私のため、どんな事があっても頑張りますが、私は今まで母の恩に報いたことはありません。愛の言葉さえも、母に言ってことがありません。何回も何回も勇気をもって、母に感謝の言葉を言おうと思いましたが言えませんでした。

「お母さん!大きくなって私はお母さんがどんなに大切なのか理解できるようになりました。間違ったことがあっても私は怒らないで、口答えせず、お母さんの厳しい教えをちゃんと聞きますし、自分の間違いをちゃんと受けとめますし、その間違いを繰り返さないことを約束します。寂しいことも、悲しいことも喜びも、ちゃんとお母さんに話します。お母さんはいつも私のそばにいて下さい。お母さんは私だけのお母さんでなく、お姉ちゃん達のお母さんでもありますが、お母さんは私の全てであり、宝物です。私にとってお母さんが居ることが本当に幸せです。お母さんは私の為に色々な犠牲を払ってくれましたが、今まで何も恩返しが出来ないでゴメンなさい!私にとってお母さんは一番素晴らしい人です。お母さんが大好き、大好きです。母の愛は一番神聖な愛です。だから、お母さんは一生私のそばに居て下さい。私はいくつになってもお母さんの子供で、一生でお母さんは私を見守ってほしいと思います」と云う事をお母さんに言いたいです。

ファム・ズイ・タイン(Pham Duy Thanh)より

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【北村 より】

タイン君・・・勇気を出して、お母さんに言ってみましょう。精悍な顔をされたお母さんです。何回か、お芋のケーキを作ってくださって、私たちのバスの通過を待ってくれていました。

お父さん亡き後、タイン君が心の拠り所でしょう。成長を楽しみにしていらっしゃると思います。
一年一年、大きく成長してください。

作文ありがとうございました。

              愛のベトナム支援隊・北村 元
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| comments(0) | - | 13:28 | category: 奨学生の作文 |
# 支援ツアーHand-in-Hand(12)ニンビン省11私の母
 初めて蓮の花奨学金を受けたレ・ティ・ランさんの「私の母」という作文です。
ランさんも、お母さんを亡くしています。

読んでみてください。

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私はレ・ティ・ランです。これから、私の母、グエン・ティ・ベンについての作文を書きます。

生まれてから、母に育てられなかった人がいるでしょうか? そして、母より深い愛情を子どもに注げる人がいるでしょうか? 一生野人生で、子供のため、自分を犠牲にできる人、それはもちろんお母さんです。私にとって、一生で一番感謝する人は母です。いつも一番私を愛してくれる人は、母です。

母のそばに座るたびに、母は手で私の髪をなでてくれて、本当に嬉しく、幸せを感じる時です。世の中で、私は一番幸せ人だな〜と思いました。母の子供になって本当に良かったと思います。母から、沢山の愛をもらいました。それは私にとって何にも替えがたい宝物です。私のために、母はいつも自分を犠牲にして私を助けてくれました。私はとっても嬉しいです。

私の母はニンビン省ホアルーに生まれました。母の幼年時代には、母は平和な生活ができなくて、戦争の時代に成長しました。国を愛する気持で、母はどうしても国に貢献したいという気持ちで、1970年に義勇兵としてラオスへ行きました。そしてベトナム軍兵士と協力して、ベトナムの平和のため一所懸命頑張りました。1972
年、母は帰国して結婚しました。

戦争の時、母さんはとても大変でしたが、平和な時代になっても楽にはなりませんでした。私たちのため、母は朝早くから夜遅く迄休みなく働きました。しかし、母が叱った時、母は子供を叱ってしまい悪いことしたな〜と思って泣いてしまったことがあったそうです。泣いたのは、子供の心に傷を付けてしまったのではないかという後悔からだと思います。

時間が経って、ある日学校から家に帰った時、母が交通事故で病院に運ばれたと云う知らせをもらいました。母が亡くなった日は2010年10月13
日でした。すべての力が抜けてしまいました。心が痛とてもとても悲しい出来事でした。

母が亡くなってから、家
の中で母の笑い声を聞く事が無くなり、家の中は火を消したように寒々としています。それに、母が作ってくれた美味しい料理はなくなり、父が簡単な料理を作ってくれて
それを頂きます。

私は母をいつも凄く思い出します。私のため母は色々な事を犠牲してくれたのに、私は親孝行せずに、母は私から去って行ってしまいました。

「お母さん、私はいつもお母さんを思い出しています。お母さんが大好きです」と、いつも母に言いたいです。大きくなればなるほどはいつまでもてほしいと深く感じるようになりました。私の考えでは
母はいつも一番偉い人です。

レ・ティ・ラン Le Thi Lan
より

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愛する人と別れることほど悲しいものはありません。まして、その方が、母親であれば、心が破裂するほどの、悲しみです。
お母さんは、きっとランさんの考え事をしていたのでしょう。

でも、この悲しみに涙にくれてばかりいてはいけません。 逆境の中で粘り強く学び、自身を鍛え上げてこそ、ランさんの充実した青春が光っていきます。

タンスの中から選び出した晴れ着を着てきてくれてありがとう。おそらく、お母さんも「今日はこれを着ていきなさい」と、選んだかもしれません。常に、お母さんのために、お赫さんと共に、充実した学生生活をおくってください。

お母さんの死を乗り越えて、立派に成長してください。試練は、思ったより早く来たかもしれません。目標をたてて、お母さんに素晴らしい報告が出来るように、いっそう勉強し、社会に雄飛してください。期待していますよ、ランさん。

          愛のベトナム支援隊・北村 元
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| comments(0) | - | 16:13 | category: 奨学生の作文 |
# 支援ツアーHand-in-Hand(10)ニンビン省9 私の母
 今日は、ニンビン省ディン・ティエン・コン君の「私の母」という作文です。

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私は、ディン・ティエン・コンす。私の母は グエン・ティ・シーといいます。

私たちは誰でも一人の母が居ます。母は私たちを生んでくれただけでなく、一生懸命に育ててくれています。母の愛情ほど深い愛情は無いと思っています。

ある時夢を見てのことを思い出しました。

時々母から「いつまもあなたのそばに居る事が出来ないので、今から自分で掃除したり、洗濯物をしたりしてちょうだいと言われました

自分が遊びすぎて、忘れてしまったも有りましたが、母は私を叱らないで、黙ってやってくれました。

私たちの3人の兄弟のため、母は毎日朝早くから夜遅くまで一生懸命働いてくれています。

アメリカとの戦争の時、母は若い女性義勇兵としてだけでなく、父が家族の心配無く安心して軍人の役目を果たせるように、母は家事を全て担当して、父の役目まで果たしたそうです。

今年、母は60歳を超える歳になり、母の髪の毛は段々白くなりました。しかし、私たちの学費や私たちが友達に負けずに勉強できるように母は毎日毎日精一杯頑張ってくれています。

母の願いは将来私たちが希望通りに成功出来る事です。

私が病気になった時、母は私の事を心配し、気遣って介抱したりしてくれたそうですが、私はその事を覚えていません。私はいつも母の言う事を聞かずに叱られたりしましたが、母は許してくれていつも私を見守ってくれたりしました。

その時、母の顔を見ると私の事を心配し涙が流れていました。許してくれたと思っていたのですが、実は悲しんでいたのだと後で気が付きました。その事を思うと私は心から本当に後悔しました。だから、母に恩返しをするために母に喜んでもらえるような事をしたいと思っています。

今、私は成長して、掃除や洗濯物等の色々な事が自分で出来るようになりました。

大学合格通知書が来た時、母はとても喜んでくれました。そして「大学合格と言ってもこれは貴方の初めての人生の試練です。これからも今まで以上に頑張らなくてはいけません」と言ってくれました。

これが私の母の感想文です。一言で言えば母は私の母ですから、母が大好きです。

Dinh Tien Congより


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            愛のベトナム支援隊・北村 元
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| comments(0) | - | 08:27 | category: 奨学生の作文 |
# 支援ツアーHand-in-Hand(8)ニンビン省7私の母

今日は、ティエップ君という奨学生の作文ですが、前回のラム君の文章に酷似した文章が出てきます。相談したか、誰かに教えられたか・・・残念ですが・・稚拙でも自分の文章で書いてもらいたかったです。

規定の字数には遥かに及ばないものであり、もっと作文規定をきちんと読んでもらいたいと思います。

ベトナムでは、一地域で作文をかいてもらうと、こういう酷似した文章が比較的頻繁に出てきて、いつも首をかしげることになります。

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愛のベトナム支援隊の皆様へ

私は、ター・バー・ティエップです。現在の住所はニンビン省ホアルー市ニンアン区です。

ニンビン省枯れ葉剤被害者協会の皆様 そして愛のベトナム支援隊の皆様!

生まれてから今まで私は母に色々なお世話になりました。小さくて、まだまだ何も分からなくて、よちよち歩きの頃母は私に一歩一歩歩き方を教え助けてくれました。もっと大きくなってからは、学校に行かせてくれて、私が病気になれば母は徹夜で、寝ずに私の事を心配して、介護してくれました。本当に素晴らしく偉い母だと思います。

そして、今、私は大事な事に気づきました。それは「どこに行っても、私の母より偉大な居ない。海は物凄く広いですが、私の母の愛ほど広くない」と云う事です。

愛のベトナム支援隊の皆様に奨学金を頂いたことをとっても感謝しています。愛のベトナム支援隊の皆様には感謝の気持ちで一杯です。皆様の愛情は一生忘れられません。

皆様は私の二番目のお母さんです。私の母と愛のベトナム支援隊の皆様の期待に応えるため、私は一生懸命頑張って、将来母を助けるため、良い仕事をする事を約束します。

最後になりますが、愛のベトナム支援隊の皆様 そして、ニンビン省枯れ葉剤被害者協会の皆様のご健康とご多幸をお祈りしています。そして、私のような枯れ葉剤の被害に遭った人々を支援するため、愛のベトナム支援隊益々発展する事をお祈りしています。

Ta Ba Tiepより

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| comments(0) | - | 07:59 | category: 奨学生の作文 |
# 支援ツアーHand-in-Hand(6)ニンビン省5私の母
 今日は、母を亡くしたニンビン省ラム君の「私の母」という作文です。ラム君は、枯れ葉剤被害者です。ニンビン省の枯れ葉剤被害者協会の方が仰っていました。「成績優秀な子だったのですが、少しずつ、成績が落ちているのです。何かが変わってきているのが心配です」と。短いですが、ラム君の気持ちが込められています。

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愛のベトナム支援隊の皆様へ

私は高校生2年生のホアン・ホン・ラムです。母についての作文です。

生まれて小さくて、まだ何も分からない時から、母は食べさせてくれ、洋服をなどを買ってもらいました。母の話では、天気が変わるたびに、私は病気になったそうです。その時、父と母は、私の事を心配して寝ずに、看病してくれたそうです。美味しい物があれば、いつも母は、私にくれました。

小学生時代、毎日、母が学校まで連れて行ってくれました。学校が終わると、又母が迎えに来てくれました。中学校に入ると家から学校まで近くなりましたが、毎朝、母が学校迄連れて行ってくれたのを忘れません。

母がまだ生きていた時、私が不自由ない生活を少しでも送れるようにと、母は一生懸命に頑張りました。2008年に病気になって、母は亡くなってしまいました。それからというもの、ずっと母の世話を受ける事が出来なくなってしまいました。夢でもいい、母がいつも生きているようにと、私はお祈りをしています。私は一生、母の世話を受けられたらいいなと願っているからです。

母を思い出すたびに、自分自身頑張らないといけないと自分に言い聞かせています。そして、色々な人の病気を治せるように、将来医者になりたいという願望を持っています。

以上が、私の「母」についての作文です。

最後になりますが、愛のベトナム支援隊の皆様と、皆様のご家族のご健康とご多幸をお祈りしています。

                ホアン・ホン・ラム(Hoang Hong Lam)

              ラム君↑ (写真提供は、大庭祐介さんです) 
 
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| comments(0) | - | 08:18 | category: 奨学生の作文 |
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