〜愛のベトナム支援隊〜 Love and Support Vietnam

枯れ葉剤被害者を支援しよう!寄付金受付中!今年の衣類は目標達成!ご協力ありがとうございました!

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# 東北学院大学経済学部FW・10・完
2月9日(月)東北学院大学経済学部FW・10・完
 
昨日のアクセスは、89でした。ありがとうございました。
 
今日は、昨年12月22日の午後訪問したホアビン省在宅訪問2軒目のブイ・ヴァン・ノンさん宅の御報告を、要約してお届けします。
 
ノンさんの家は、ホアビン省カオフォン郡バックフォン村にあります。家族が住んでいる住宅ベッドは、政府の資金で作られたものです。
 
このお宅は、子ども五人のうち三人が盲目という大変不幸を感じさせる被害者宅でした。家族全体にかかるご苦労も容易に想像できます。
        

       
       ノンさん(白髪の方)と三男ブンさん(左)

世帯主のブイ・ヴァン・ノンさんは、1951年生まれ。枯れ葉剤の被害者。耳が遠いのです。
奥さんは、ブイ・ティ・ニャックさんといい、1954年生まれ。ここで、1953年生まれか、54年生まれかで議論噴出。結局、午年生まれということがわかり、1954年で落ち着く。いや、にぎやかな議論でした。
 
ご夫妻とも、ホアビン省の生まれ。
 
ノンさんが入隊したのは、1970年。入隊してすぐ、ラオス戦場に派遣されました。
ラオスまでは歩いていきました。タインホアからゲアン→ハティン→クアンビン
→チュオンソンへと入って、ラオス国境です。3か月歩きましたよ。40キロの荷物を背負ってです」 
数え年で二十歳の時の行軍だったわけです。
 
40キロの荷物の中には何が入っていましたか?
食糧、水、衣類、医薬品、ナイフ、照明、銃、米、鍋、スコップ・・全部です。当時の体重は58キロでした
ラオス国境では最前線の歩兵として二年駐屯。
クアンチ省(ケサインなどを中心に。但し北ベトナムとは別の南ベトナム共和国の領土です)とラオス国境のチュオンソン山脈で防備に就いたそうです。
軍隊からの退役は1973年。わずか三年の軍隊生活でした。
 
1970年だとまだアメリカ軍が枯れ葉剤を撒布していたとおもいますが、ノンさんは、枯れ葉剤が撒布されているのを見たことはありますか?
見ましたよ。それが霧雨みたいに降ってきました。頭、目、鼻、口にかぶりました。苦い味がしました。霧を浴びた時には吐き気を感じました。当然、体にも撒かれていると思います」
 
体に浴びたような時は、タオルとか手ぬぐいで口に当てたりするのでしょうか?
「布きれに水をつけて、口と鼻をふさぎます。普通の水をつけました。最初は、普通の霧だと思ったんです。まさか化学物質だと思っていませんから、普通に口や鼻をふさいだのです。気づいた時はもう遅すぎました。枯れ葉剤の影響を受けていたんですね。気づくと、木々は真っ黒に枯れています。土も真っ黒になりました」
 
貴重な証言だと思います。
        
        話を聞く共生社会経済学科の学生さん

アメリカ軍がそういうところに爆弾を落として、山が焼けているのをご覧になったこともありますか?
B-52が爆弾を落としていましたからね
 
ノンさん、寝ている時に、戦争の夢を見たりすることはありますか?
そういう夢を見ます。」
例えばどんな夢をみますか?
夢は戦争のものばかりです。戦場でアメリカ軍と戦っている夢です。とっても怖くて、また残酷な夢です。」
ノンさんは、それ以上夢の詳しい説明をしませんでした。その気持ちはよくわかります。
今でも、そういう夢をご覧になりますか?

気温の高い日とか、季節の変わり目には、そういう夢がでてきます
 
ノンさんが結婚したのは、1974年。
ご夫婦とも、ムオン族。ノンさんが戦場から戻ってきてから知り合ったお二人です。
子どもは5人。
  1. 長男:ブイ・ヴァン・トゥアンさん。1976年生まれで、先天的盲目。今一番したいことは何ですか?不自由なので、普通に出来る人のできることをしたいです
  2. 長女:ブイ・ティ・ティエンさん。1979年生まれ。既婚。 長女は、症状・障害は出ていません。二番目の子ども(現在8歳。女の子)に、生後3日目で障害が出た。ご本人は嫁ぎ先にいるので、会えませんでしたが、血液がんの白血病のようです。急性リンパ性白血病 か 急性骨髄性白血病の可能性が考えられます。ここでは、これだけの説明にとどめます。  

3.次男:ブイ・ヴァン・ティエンさん。1980年生まれ。先天的盲目。
          

      部屋の隅で私たちと家族の話を聞く次男ティエンさん。

今一番したいことは何ですか?
家族のために役に立ちたいと思っています」 

4.次女:ブイ・ティ・ニンさん。1982年生まれ。先天的盲目。
今困っていることは何ですか?「生活が不便と感じています。」 
今一番したいことは何ですか? 「普通の人の生活をしたいです。何故なら、何をするにも、人を頼りにしなければなりませんので。他人に依存せずに生きていきたいです

5.三男:ブイ・ヴァン・ブンさん。
1984年生まれ。
目も見えて一番元気のいい声を出して話してくれたので、何も障害もなく、お父さんから頼りにされているのだと思いました。しかし、頼りにされていることは事実なのですが、8歳の時から湿疹が出るようになり、それが全身に及んでいることがわかりました。体の一部をみせてもらいましたが、見た人からは「あ〜」と言う声があがるほどでした。


手にイボイボが出てきたのは、何年くらい前ですか?
手にイボイボが出てきたのも、8歳の時からです。そのイボは、増えたり減ったりしています。どうなっても、イボが無くなるということはありません。何時も出ています。ただ、多いか、少ないかです
イボイボが、段々大きくなっているということはありませんか?
だんだん大きくはなっています。」
ブンさんの一番の心配は何ですか?
自分のことは心配していませんが、姉、兄、両親のことが心配です。」
 
ブンさんは目がみえるだけ、逆に苦労されているに違いないと思うのですが、そのご苦労を聞かせてください。
自分にとって、苦労は山ほどあって、それを乗り越えてやってきました。この短い時間では、話せないほどあります。願っていることは、お姉さん、お兄さん、両親、(ブンさんは、必ずお姉さんのことを先に言う)が、健康でいてもらいたい・・ということです。自分は結婚していますし、家内も子どももいます。家族全員が健康でいてもらいたい。自分にも仕事が出来て、皆を支えていくことができるようになりたいです。」
 
そういう症状が出てきて、人から差別をされるとか、そういうことはないんですか?
そういう差別をする人もいるかもしれませんが、私自身の病気は直せない病気ですから、治療法がありませんので、そういうことを自覚して、家族とか家内が理解してくれれば、私には十分じゃないかと思います。社会は複雑ですから、理解してくれる人もいるし、そうでない人もいます。でも、私は、家族さえ理解してくれれば、それでいいです。」
 
以上がまとめです。質問がありましたので、付記します。
 
質問1(ホアさん)「ブンさんの奥さんは、枯れ葉剤の被害者を結婚すれば、子どもにも影響がでるということを知りながら結婚したのでしょうか?」
2003年に結婚しました。彼女は、枯れ葉剤の被害者と結婚すれば、その子どもにも影響がでるということを考えずに、ただ私の家族の状況を理解して結婚しました。子どもは二人います。一人は12歳、もう一人は8歳です。いまは、元気です。」
 
質問2 お父さんに質問ですが、戦争中に一番怖かった経験はどんな経験ですか。
怖い思いをしたことは無いんです。戦闘をみたら、もう怖い物は何もありませんでした。独立のため、国ために命を犠牲にすることは、怖くかったのです。」
 
質問3 兄さん、お姉さんは。普段はどんな生活をしていますか?(これもブンさんが答えてくれました)
  「盲人の普通の生活をしているといえます。目が見えないので、移動が不便です。家族の生活の手伝いもできません。手伝いで出来るのは、例えば、コップを渡して、その場でそれを洗ってもらうことですね。そのくらいしかありません。米を渡しても洗い場まで行って米をとぐというわけにはいきません。洗い場まで連れて行って、そこで米をといでもらうということになります。仕事は全くありません。」
 
北村:元気な声を出すブンさんこそ何も病気がないことを祈っていましたが、案に相違して、そうではなかったということで、かける言葉がありません。
ブンさん「お言葉ありがとうございます。」
 
ここで、学生さんが足浴をしました。次女のニンさんに、足をお湯につけてもらいました。
                     

                    

そして、学生さんが、全員で合唱しました。
        
ハンドロールピアノに初めて触れる次女のニンさん。音を出してもらいました。嬉しそうでした。そして、楽しそうでした。
        
       
すると、三男のブンさんが、「お兄さん、笛を吹いたら」と言って、横笛をどこからかもってきました。まさに、日本の横笛である篠笛でした。
指名を受けたトゥアンさんは、むしろ喜びすら表していました。

トゥアンさんの篠笛の音色は、私たちの心を揺さぶりました。

        
       篠笛を吹く長男トゥアンさん

演奏が終わると、ひときわ高い拍手が。白い歯を見せて喜ぶトゥアンさん。今回のフィールドワークでの枯れ葉剤被害者宅訪問は4軒。そのうち、3軒で、学生さんの合唱に対して返歌とお返しの演奏を聞かせてくれました。ほんとうに、珍しいことです。
遠くから来た人に対する音楽の返礼は、学生さんの純な心が呼び出したと考えたいです。立派な文化交流を果たしたといえます。

 
3人が盲目という家庭状況の中でも、遠来の人をもてなす心を披露してくれたことを、私たち一人一人が学ばなくてはならないと思います。
私は、少なくとも、この最後のノンさんの家との交流をしばし続けてみたいという気持ちが湧きました。
 
野崎先生から寄付をお送りし、学生さんから、日本で集めた衣類を贈呈し、別れを惜しみました。
        
        
「三男のブンさんの元気のいい声が、10人の学生さんの心の中にしみこんでいると思います。今日は勉強の場としていろいろの話を聞かせてくださったことに、厚く厚くお礼を申し上げます。お父さんも、お元気で長生きをなさってください。」
 
挨拶した私も、涙がこぼれそうでした。

10回にわたりました東北学院大学経済学部 共生社会経済学科の第2回ベトナム・フィールドワークの報告を終わります。本日が、ベトナムに来た学生さんたちの大学での発表の日です。成功していることを願っています。(了)


                      愛のベトナム支援隊・北村 元
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# 東北学院大学経済学部FW・9
2月7日 東北学院大学経済学部FW・9 
ホアビン省1軒目の在宅訪問は、ホアビン市フォンラム町のチャックさん宅です。

 
家族構成  
世帯主のクォン・ティエン・チャックさんは、1945年生まれ。
奥さん:チャン・ティ・ヴァン(Tran Thi Van)さんは、1952年生まれ。
お子さんは四人います。上二人が男の子、下二人が女の子。

                    
                     チャックさん(前列左から二人目)ご一家と 

チャックさん戦場へ
チャックさんは、1965年7月。20歳の年で、クアンチ戦場(当時は北ベトナムとは違う皆ベトナムという国です)に派遣され、クアンチ戦場で10年間従軍生活を送ってきました。クアンチの戦場に10年もいて、よく生きて帰ってきたと、私は思いました。しかも、1965年からは、戦闘が一層激しさを増した時期のクアンチ省への派遣ですから。
 
クアンチ省に入る時は、列車ですか? 車ですか? 歩きですか?
「クアンビンから歩いてラオスに入ったりしながらつきました。ヒエン・ルオン橋(註:当時の南北べトナムを分ける国境の橋でした)を渡ることができないので、チュオンソン山脈沿いに歩いて南部に入りました。

 
1960年代だと、クアンチで、アメリカ軍の飛行機が枯れ葉剤を多量に撒いている時期ですが、クアンチで飛行機からの撒布をご覧になっていますか?
1966年とか1967年では、アメリカ軍は爆弾で森林を潰しました(焼いたという意味と破壊した意味が入っています)。その後、飛行機でエージェント・オレンジ(註:当時は枯葉剤と分かっていなかった)を霧雨のように撒きました。われわれは、この後、アメリカ軍は何かやるという予測をして壕に入りました。ですから、枯れ葉剤の影響を少しは防ぐこともできたかもしれませんが、しかし、地上にでて生活をしたことで、やはり枯れ葉剤の影響を受けました。頭の上を飛行機が飛んでいて、何かを撒いているのを見ています
 
ケサインは、南ベトナムの北部の基地の中でもアメリカの重要基地だと思いますが、死にそうになった経験はありますか?
命を失いそうになったことは3〜4回ありました。アメリカ軍が爆弾を落とした時は、地下壕にいたのですが、爆弾の爆風を受けて、死ぬのではないかと思ったことがあります。地下壕にいても3〜4回爆弾の爆風で倒れました。気を失って病院に運ばれ、また戦場に戻りました。註:ここで言う病院とは、鉄筋建ての立派な病院ではなく、野戦病院のことです)」
 
終戦の時の南ベトナム大統領の放送の話は貴重です。

 
1975年の4月30日には、チャックさんは、どこにいらっしゃいましたか?
戦争に勝ったという話は、どこで聞きましたか?

クアンチにいて新聞やラジオで知りました。勝利の報を受けると、部隊の兵士は、北ベトナム国旗を道路に刺したり、喜びを表していました

副会長「軍隊の中でも政治委員の人は、一人一台ずつラジオをもっていて、それで受けた情報は、兵士の皆に伝えることになっています。4月30日に、ヅオン・ヴァン・ミン(註:南ベトナム政府最後の大統領)さんが、戦争は終わった。アメリカ国旗を降ろし、これからはベトナム国旗を掲げるようにとラジオで呼びかけました
 
家族の健康状態
チャックさんが軍隊から退役したのは、終戦から3か月後の1975年8月1日。

その後子ども4人が生まれています。

長男  次男 と生まれて、私たちが会ったのは、
長女 クオン・ティ・トゥ・ハーさんです。1981年生まれ。
  「奇形性をいくつか持っています」と、父親は言いました。先天的に、左右の足の長さが違う。指が異常に長いのです。
      

       指が本当に長い
「あちこちの病院に連れて行きました。いろいろな治療をうけて、生後10年経ってようやく歩けるようになりました。」と、母親。
「今は、歩けますが、それでも長い時間、長い距離は歩けません。手にも奇形性があって、いろいろなことができません。食習慣にもばらつきがあって、食べない時は2日〜3日も食べないことがあります。」
 
どうも、歩けなかった理由は、生まれつき腰骨が、短かったことと、左右で形が違っていたためとみられます。そして、歩けるようになったときには、背中が曲がり始めた時でした。

 
次女 Khuong Thu Huong さん。1983年。
「記憶力が乏しい。自分で言ったこともすぐ忘れてしまう。専門学校に行ったがだめだった。仕事をみつけても、長続きはしない。今は、無職です」と、お父さんは説明してくれました。
 
チャックさんの現在の仕事は、ホアビン市7区のVAVA副会長という役職。
健康状態は、それほどよくないと、私は判断しました。
2012年に直腸がんの切除手術をして、現在は人口肛門を使用していること。
2013年にも、癌がみつかって(部位は不明)手術しました。
 
奥さんのヴァンさんは、腎臓結石を持っていて、左脇が痛むと訴えていました。
 
両親の心配:「親がいなくなったら、長女のハーはどうなるのか?」
長女のトゥー・ハーさんは、枯れ葉剤の被害者として認定され、現在月々122万ドンの手当てを受けています。
 
また、御主人のチャックさんは、枯れ葉剤によって、身体能力の81%を失った傷病兵と認定されて、国の特別政策で、一人の介護を雇える手当(毎月70万ドン)を受けています。その手当は、現在奥さんに支払われており、奥さんが介護できなくなったら、その手当で、一人の介護人が付けられるという制度です。
 
質問:(野崎)今は、アメリカのことをどう思っていますか?
チャック:ベトナム国民は、アメリカに対して不満を感じていると思います。人間性がない行為をしたので、アメリカには戦争の補償を求めたいです。
 
質問:(一色)生活で大変なことは?
チャック:今は、政府の支援で生きているが、私たちがなくなってしまったら、子どもたちの生活はどうなるか? 

ここで学んだことは、
●北ベトナムから越境して南ベトナムに入ったことを、直接兵士から聞いたこと。
●枯れ葉剤と知らなくても、何か化学剤が飛行機から撒かれた光景を、チャックさんが自分の目でみたことを話してくれたこと。
●南ベトナム最後の大統領が、終戦のラジオで呼びかけた内容の一部がわかったこと。ヅオン・ヴァン・ミンさんのことをインターネットで少しでも調べてみると、興味ある事実が出てきます。
●世帯主のチャックさんのがん手術を含めて、家族の健康状態が十分でないこと。


足浴をしました。
      

皆で歌を歌いました。
           

すると、チャックさんと副会長の二人で、戦争の歌を聞かせてくれました。1曲ならず、2曲まで。チャックさんにとっては、一瞬でも、自分の病気のことを忘れる時間であったように見えました。枯れ葉剤被害者世帯のかたが、学生の歌に応えて、返歌をしてくれたのは、これが二軒目です。
           

野崎先生から寄付と、衣類の贈呈をして、失礼しました。
       
 (左から) 野崎先生 チャックさん 長女のトゥー・ハーさん
       母親のヴァンさん


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# 東北学院大学経済学部FW・8
2月7日 東北学院大学経済学部FW・8 

昨日のアクセスは143でした。
この数字の内容は、海外からのアクセスより、絶対に日本国内でのアクセスが多いと信じます。
訪問して下さる皆様に感謝申し上げます。
 
今日は、昨年12月22日に東北学院大学経済学部共生社会経済学科の皆さんが、ホアビン省を訪問しましたので、そのご報告です。

***

 
ハノイから2時間ほどかけて、ラオスの山の方に向かい、ホアビン省の省都ホアビン市につきました。冬の柔らかい日が射す穏やかな朝でした。

ベトナムの流儀ですが、初めての訪問の場合、いきなり在宅訪問の目的地には入れません。まず省都にある省VAVA事務所で、型通りの自己紹介や訪問目的などを説明する儀式に出席しないといけません。
 
事務所の講堂に入りますと、ホアビン省枯れ葉剤被疑者協会の会長グエン・スアン・カオ会長ら幹部が待っていました。
 
はじめに、ハノイから同行してくれたマックさん(VAVA中央本部対外連絡部)が、私たちをまとめて紹介してくれました。「特に愛のベトナム支援隊は、この10年間、各省に援助を続けてきていること。北村さん、野崎先生が、今回は、被害者の生活を実際に見聞するために、学生さんを連れてホアビン省を訪問した」と、説明してくれました。
 
そこで、カオ会長が挨拶に立たれました。
                 

ホアビン省VAVAを代表して、愛のベトナム支援隊、東方学院大学の皆さんをお迎えできたことを嬉しく思います。ホアビン省には、4691人の枯れ葉剤の被害者がいます。171の区があります。7つの少数民族がいます。最大の少数民族は、ムオン族です。枯れ葉剤の被害者が多いため、区や郡の中にもVAVAを置いています。ホアビン省VAVAが創立されてから、ホアビン省内の支援だけでなく、ベトナム全国からの援助も受けています。枯れ葉剤の被害者への支援回数は延べ1万5千回に及んでいます。国内の支援だけでなく、海外からの援助もたくさんあります。海外からの援助は、総額にして70億ドンに及びます。その中には、日本の組織、団体からの支援も含まれます。4691人の被害者の内、政府の手当てを受けているのは、2400人です。残りの2000人ちょっとは、いろいろな理由で政府の手当てが貰えていません。そこで、海外からの援助が受けられることを希望しています。
 
今日は、被害者家族を訪問して下さるそうですが、一軒は、ホアビン市の中心部です。もう一軒は、カオフォン郡です。皆さんのようなご訪問は、被害者家族や、私たちVAVAにとっても、やさしい慈悲の行動であると思います。
 
本日の一軒目は、お父さんと子供が枯れ葉剤の被害者です。昼食後の二軒目は、一家のうち四人が被害者になっています。

 
ホアビン省VAVAと、ホアビン省の全枯れ葉剤被害者を代表して、本日お越しの東北学院大学と愛のベトナム支援隊に改めて、感謝の気持ちを述べさせていただきます。ありがとうございました!(拍手)
 
そして、遠い日本からいらして下さったので、皆さんには、ホアビン省の伝統織のマフラーを用意しましたので受け取って下さい

                  

どこの省でも予算が不足しているのに、こういう風に来た人をもてなすために、おみやげを用意してくれる東洋のしきたりに、嬉しさを感じつつも、心を痛めるのです。
 
北村:私は北村と申します。ハノイ周辺では、ナムディン省、タインホア省、ニンビン省、ヴィンフック省、ハノイなどでの支援をささやかに25年してまいりましたが、ここホアビン省は初めてです。今日は、私たちに機会を作って下さりありがとうございました。今後ともよろしくお願いします。
 
野崎:日本から参りました東北学院大学の教員の野崎と申します。今回のベトナム訪問は3回目です。今挨拶された北村さんとは20年以上のお付き合いで、北村さんの話をきっかけに、枯れ葉剤の勉強を始めました。枯れ葉剤被害に関心を持ちまして、学生の研修旅行の一環としてベトナムに来ることになりました。ホアビン省の訪問は初めてですが、被害者宅の訪問を通じて、いろいろと勉強させていただき、日本に戻りましたら、学生たちと学び合って、また、多くの学生たちに知らせたいと思っています。本日は、非常に貴重な機会を与えてくださりありがとうございました。よろしくお願いします。

こうして、通過のための儀式は終わり、ホアビン省在宅訪問の一軒目へと出かけました。


                       愛のベトナム支援隊・北村 元
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# 東北学院大学経済学部FW・7
2月6日(金)東北学院大学バックザン省2軒目の家庭訪問

昨日のアクセスは99でした。
何時もありがとうごさいます。
 
本日は、東北学院大学経済学部のフィールド・ワークによる家庭訪問の二軒目です。
バックザン省二軒目の家庭訪問は、12月20日の午後行われました。


バックザン省バックザン市チャン・グェン・ハン町にお住いのディン・イ・ニョーさん宅をご紹介(要約)します。


ニョーさんが挨拶されました。
「皆さんは、本日、日本からきてくださり、大変に感謝しています」

 
ご家庭の構成をご紹介します。
世帯主(夫):ディン・イ・ニョーさん 1931年生まれ。
妻:チャン・ティ・ベーさん 1946年生まれ。再婚。
長女:ディン・ティ・ヅオンさん 1976年生まれ。38歳。
 
※ 事前にVAVA中央本部からもらった資料とは、御主人の名前も生年も違っていたので、現場でご本人から聞いた話を優先しました。
 
ニョーさんの家は、ベトナム国鉄の線路から30メートルほどしか離れていない所にあり、バックザン省VAVAの支援で建築された家です。。
 
お嬢さん一人の3人暮らしですが、妻のべーさんは、再婚で、前の夫の間にできたお嬢さんがいたのですが、自宅近くの線路脇で物売りをしていて、足を滑らせ、列車にはねられたそうです。事故は、「タン・サオ」と言っているので、事故死は1986年頃のことでしょう。そのお嬢さんは、当時17歳だったといいます。今、生きていれば、43歳です(2014年)。
 
今年83歳のニョーさんは、抗仏戦争と坑米戦争にも従軍した方です。1949年に入隊。除隊は1973年。軍歴は長いです。
 
ニョーさんは、南部タイグエン地方のザーライ省(註:コントゥム省の南の省)の少数民族(バナ族)の出身。バナ族は中部高原地帯に住んでいる少数民族の中で多い人口を抱えており、同地ならではの独特な文化の一翼を担っています。ニョーさんは、抗仏戦争の時もタイグエン地方で戦っていました。1961年までタイグエンにいて、1962年から北部(ホアビン省)に行ったそうです。

しかし、戦争の長期化と激化が予想されたのに、なぜホアビン省に行ったのか? ホアビンで何をしていたのか謎です。このことでの肝心のポイントは、枯れ葉剤の接点ですが、「タイグエンだと思う」とニョーさんは言います。確かにベトナム初の枯れ葉剤の撒布は、コントゥム省で1961年8月10日から始まったのですが、枯れ葉剤の接点の一番の可能性がどこにあったかについては、調査の必要を感じます

 
「泉の水をよく飲みました。その時の泉の水はとても汚かったので、その後は、小さい井戸を作って飲みました。」と言う話だけでは、不十分です。
 
 
長女:ディン・ティ・ヅオンさんについて
 
先天的に精神障害と身体障害をもっている。歩けない。また、体を支えられなくて、粗末な車いす(小型寝台車のようなもの)に常時座っている、と言うより寝た状態です。
 
ハノイの病院を含めて、何回もいろいろな病院に連れて行ったが、治らなかった。
病院の診断:「脳に問題がある」。
「当時38年前に、ハノイまで娘を連れて行くことは大変でした。」(ニョーさん)。
「小さい時から、あちこちの病院に連れて行きましたが、直すことはできないと、何回も言われました」(ベーさん)。
 
今ヅオンさんが自分で出来ることは何もない。すべて親のサポートが必要である。ご両親の話は、ヅオンさんは理解できるわけですね?
「ある時には理解できて、たくさん話をする。ある時は何も分かりません」と、母親。
 
「『この家を売ってくれれば、たくさんのお金で有名な医者にみてもらえる。病気が治れば、自分で生活できる。でも、両親が死んだら、私は死ぬしかない』と娘が言ったことがあるんです」と母親のベーさんは教えてくれましたが、ショックを受けたようでした。
 
ヅオンさんが中庭に出る時には、特製の車いすに乗せて引っ張り、父親が寝台車まで運ぶ。母親は、腕の力もよわり、体の調子が悪くて娘を運ぶことはできません。「昔は政府から車いすが支給されましたが、高すぎて、使えませんでした。それで、自分で買って、少し調整しました」
個々の患者の状態に合った機具などは、政府から支給されないのです。あてがいぶちです。
 
「今の娘の状態は、何もできませんので、全部親がやらなくてはなりません。」(ニョーさん)
 
今のお二人の心配の種は何ですか?
「もし私たち二人が死んだら、娘がどうなるか。ということです」
 
ベーさんに、戦争の経験はないかどうか聞いてみました。
「1966年から駅員になりました。駅員の時は、武器や物資を運びました。最初は、バックザン省のKepという駅(省都バックザン市の北のランザン郡にある駅)で1年間勤務、その後ランソン省のドンダン駅(北村註:これは、1979年2月17日〜3月16日までの中越戦争に備えて派遣されたと推測します。これを第三次インドシナ戦争と呼びます)で、列車で運んできた武器・弾薬をトラックに移し替える仕事でした。(北村註:Beさんの記憶が薄くなっているようで、隣のVAVAの男性は、ドンダン駅ではなくて、ランソン駅だと主張しています。しかし、いずれにしろ、中越戦争が始まって、1979年にバクザンに戻ってきたそうです)1986年に駅員から引退しました。」
 
御主人のニョーさんは、現在は無職です。ニョーさんは、戦争で負傷しているので、傷病手当として毎月230万ドン、妻のベーさんは、毎月300万ドン受けているそうです。
 
この後、フオンさんの足浴に移りました。
           
高野さんと本郷さんたちが浴剤を使って交流を深めてくれました。
          
学生さんが歌を歌うと、ヅオンさんは喜びました。
         

          
     高野さんが弾いてくれたロールピアノは有効でした。
          
イケメンの一色君には好感をもっていたようです。記念写真を撮る時に、一色君を側に呼んでいました。
 
その後、支援の寄付と衣類を贈呈し、記念撮影をして失礼しました。
       

        歌里君からニョーさん(青い帽子の人)に衣類の支援を。
        
        野崎教授から奥さんのベーさんに寄付が贈られました。

        
   イケメン一色君がヅオンさんの隣りに呼ばれました。

ここで学んだことは何でしょうか。
「両親の死後、娘はどうなるか・・」といういずこにも共通する子に対する親の心配です。
ベトナム社会に介護制度を持ち込むのはさほど難しくないですが、近隣の社会でも面倒をみていく地域の共助精神をどう育んでいくか・・。
そして、そういう家庭の悩みを吐露する場所や機会が、極めて少ないことを感じました。
さらに、
変形の車いす(写真)・・これは体が楽に収まる形ではありません・・個々のニーズに合うものを与えていく姿勢が必要でしょう。全員に合うものは、つまり個々には合わない・・・ということではないでしょうか。


                          愛のベトナム支援隊・北村 元
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# 東北学院大学経済学部FW・6
2月5日(木)バックザン(Bac Gian)省1軒目在宅訪問
 
2月3日のアクセスは183でした。
2月4日のアクセスは120でした。
ありがとうございました!
 
東北学院大学経済学部のFW、本日は6回目ですが、
<20141220日午前>に在宅訪問したフンさん宅の事情を要約して掲載します。

 
御主人のチャン・ヴァン・フンさんは、1947年生まれ。北ベトナム人民軍入隊は、1969年。1972年に歩兵として南部戦場に入った。戦場は、チー・ティエン戦場(註:クアンチ省とトゥア・ティエン省)。チー・ティエン戦場には、南部が解放される1975年までいた。Hungさんは、1975年の4月16日にトゥア・ティエンで負傷した。VAVAの説明では、「このチー・ティエン戦場で、枯れ葉剤と接触した」ということです。
 
奥さんは、Le Thi Chienさん。
 
御主人Hungさんのご挨拶:
今日、皆さんにお会いできて、とてもうれしいです。私は、チー・ティエン戦場で従軍した元兵士です。私は、南部が解放されてから、ここに戻りましたが、自分の体内にダイオキシンのような有毒の化学物質があるのは全く知りませんでした。しかし、生まれた子どもを見てから、分かるようになりました。本日、皆さんがいらしてくださったことに、とても感謝しております。ありがとうございました!
 
このお宅は、子どもは二人で、二人とも男の子です。男の子といっても、年齢は、立派な成人年齢です。

●長男 Tran Anh Hai 見かけは健常だが、正確に言えば、精神不安定。今は、親と同居。訪問した日は、仕事でお会いできませんでした。

チャン・アイン・フアン< Tran Anh Huan>さん。1980年生まれ。「生後7歳で突然、精神障害が出てきた。それまでは普通の子どもだった。風邪をひいたり、重病が出てこうなったのではなく、突然、こういう風になった。」とお父さんは言いました。次男は、両親が全部してあげないと、一人では何もできない状態。トイレも、シャワーも食事も一人ではできません。
 
息子の生活の挙動によって、判断するしかないです。トイレかな、食事かな・・と言った具合に。排尿も、私たちが時間で判断してトイレに連れていきます。ですから、うっかりしていると、大便も匂いが出てきた時は、もう遅いです」と、父は悲しそうに笑いました。
 
「額と頭に傷がありますが、どうしたのでしょうか?」
父親「彼は精神的に不安を感じているようで、不安の時は自分を抑制することができなくて、あちこちに頭をぶつけます。それが傷として残ってます」 
母親「7歳の時に、病院につれていきましたが、何回治療してもらっても治せませんので、国から薬の援助を受けました。精神不安定で、自分を抑えることができないんです。たまには荒れてしまいます。私も何回も殴られました」
父親「息子には皮膚炎がたくさん出来ています。この皮膚炎もある日突然出てきて、治療をすれば一定期間すると治ります。でもまた、発症します。その繰り返しです。」と言って息子の足を見せてくれた。お父さんは、「治療をしなければ、だんだん広がってくると思います」と言う。
 
国から支給されている枯れ葉剤手当は、息子さんに、月々122万ドン。父親には、毎月154万ドンだそうです。これを、米ドルに換算すると、息子さんは61ドル。お父さんは77ドルと言う安さになります。
 
今一番心配していることは何ですか?
「私たちはもう年をとってきていますので、私たちが死んだ後、息子はどうなるのだろうか・・これが一番の心配のタネです」もっともな心配です。
 
ここで学生さんが、フアンさんに足湯をしました。
      
そして、学生さんが全員で合唱しました。
      
それに応えて、奥さんのチエンさんが、戦争時代の歌を歌ってくれた。いい声でした。私たちの歌声に、歌で応えることは、非常にまれなことです。
      
     戦時中の歌を歌う遅延さん 次男のフアンさん(手前)

♫ 戦闘の日々は・・・戦場に・・ 私(妻)は手紙をだします・・・戦場に行って、国のために安心して戦ってください。(元気で戻って)故郷でまたあいましょう(^^) 
銃後を守った奥さんのお気に入りの歌だったのかもしれないと思いました。

最後に、学生代表が挨拶しました。「今日はほんとうに素晴らしい経験させていただき、ほんとうにありがとうございました!

フンさんのご挨拶:今日は、北村さん、野崎先生、学生の皆さん、わざわざ遠い日本からいらして下さり、とても嬉しく、感謝の気持ちでいっぱいです。私は、復員兵でベトナムのために闘いました。自分の任務、責任は果たしました。ベトナム国政府からの関心だけでなく、この様に外国からも関心を寄せて頂いていることにとても喜びを関します。もうすぐ新年がやってきます。家族を代表して、皆さまが良いお年をお迎えになるように、お祈りします。そして、皆様のご家族の御健康も併せてお祈りします。皆さんが日本にお戻りになる前に、家族と一緒に集合写真を撮らせてください。

謝礼と衣類を贈呈して、一軒目の訪問を終えました。支援の衣類をご寄付下さった方々に厚くお礼を申し上げます。ありがとうございました。

       
       
       

                         愛のベトナム支援隊・北村 元
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# 東北学院大学経済学部FW・5
2月1日(日)ソン博士講義・2完  
 
昨日のアクセスは189でした。ありがとうございました!
 
 
ベトナム社会主義共和国天然資源・環境省のソン博士による学生への講義(2014年12月19日 ノーブル・ブティック・ホテルでの講演)の二回目・最終回です。
 
質問(北村):アメリカとの交渉に長年従事されて、一番苦労された点とは、何でしょうか?
 
ソン博士:アメリカと言う国は、何時も枯れ葉剤、エージェント・オレンジの影響に関しては、自国の責任を拒否する、認めたくない国です。何時も、自国の責任から逃げようとしています。特に、人間への影響については、責任を認めません。
 
それにはいくつかの理由があります。第一に、もし、アメリカが責任を認めたら、膨大な費用がかかるからです。環境中のダイオキシンを処理するだけでなくて、人体への治療の費用も膨大なものになります。人体への影響となると、ベトナム人だけの影響ではなく、アメリカ人、オーストラリア人、タイ人、ニュージーランド人、フィリピン人、韓国人復員兵士への影響の問題があります。
 
20年以上前に、アメリカ軍の元兵士は、ベトナム戦争中に枯れ葉剤を製造したモンサント社やダウ・ケミカル社などアメリカの化学企業を訴えました。元アメリカ兵による集団訴訟では、1984年に1億8千万ドルをアメリカ化学企業が支払うことで和解が成立しました。
アメリカ政府は、元兵士に援助することはありますが、自分の罪を認めて補償したことがありません。 
 
第二に、もし、アメリカが枯れ葉剤の影響を認めると、それはアメリカの憲法に違反することになります。ベトナムにダイオキシンを撒いたことは、3代の歴代大統領が承認したものです。アメリカの憲法では、一般国民は、大統領の戦時中の政策を訴えることはできません。この憲法に関することは、非常に複雑で、敏感な問題です。しかし、アメリカ側にもベトナム人と協力して、ダナン空港のダイオキシン汚染の問題を一緒に解決してくれる人がいました。そして、彼らは、ビエンホア空港の環境問題もいろいろと検査してくれました。
 

また、アメリカ側は、ベトナムの障害児を援助するいくつかのプロジェクトを立ち上げてくれました。北村註:実際、ダナン及びダナン周辺の省では、枯れ葉剤被害にこだわらずに、障害児援助が始まっていますベトナムでは、(ダイオキシンの)「被害者」と言う言葉を使っていますが、アメリカ側は、被害者と言う言葉は使いません。なぜなら、被害者という単語は、アメリカでは非常に敏感な言葉だからです。
 
これらの理由を述べれば、アメリカとの交渉の難しさが、皆さんにもわかってもらえるのではないかと思います。ダイオキシンの交渉といっても、ダイオキシンの問題にとどまらず、アメリカの政治、外交、経済の問題が関わってきます。ベトナムとアメリカの関係は、日米関係とか韓米関係とは全く違うものです。なぜなら、ベトナムの政治制度が、日本や韓国と違うからです」 
                

           ソン博士(後列一番右・背広の人)と東北学院大学の野崎教授・経済学部のみなさん

 講義全体を通して、ソンさんの心の中に占めている物・・、それは二つのマグマであったと思います。

一つは、「こういう患者がベトナムにいる現状を、とても悲しい」という発言に代表されるように、医化学者として被害者を救えないもどかしさのマグマ。

そして、もう一つのマグマは、すべての意味において「持続可能の環境を作りだすにはどうしたらいいか」という医化学者としての生命・環境救済に燃えるマグマでしょう。それは、汚染地の土壌の蘇生を含む環境の蘇生、被害者の体内に入り込んだ
TCDDの毒性の究極の無毒化の実現、支援を引き出すアメリカとの交渉の持続可能な政治的・経済的環境づくり打ち込むマグマではないでしょうか。

核廃絶にしても、化学兵器の被害の後始末にしても、日本の原発事故の放射能の無力化にしても、原子炉廃炉にしても、気の遠くなる長い道のりです。例えは違いますが、
中国の唐時代、629年に玄奘三蔵が長安からサマルカンドをへて、インドへと法を求めて苦難の道をたどった時空にも似ています。 
 

とりあえず「2030年代に原発ゼロ」を目指す日本政府の方針を打ち出した日本にしても、商業用原子炉の廃炉では技術的な経験に全く乏しく、技術的開発をしながら廃炉を進めていかなくてはならないという現状を見るにつけ、史上最強の毒性をもつ2378−TCDDダイオキシンの無毒化にむけて研究中であるベトナムやアメリカの実態とくらべても、何が違うのかと思いたくなります。

ソンさんの歩みは、「『誰かの不幸の上に幸福を求めない』生き方であり、『故郷(地域)や地球が傷つけられたままで、次の世代に受け渡すことを良しとしない』精神であり、『現在の繁栄のために未来を踏み台にせず、子どもや孫たちのために最善の選択を重ねる』社会のあり方」を必死に求め続けた歩みです。
 
ベトナムの重度汚染地の環境に比べれば、日本ははるかに、はるかにましです。だからこそ、日々の暮らしの中で、私たち自身がそれをわが身を振り返る指針とすべきであるし、また真の共生社会を目指して被害者へ寄り添う人道的精神を醸成していく貴重な機会にしていかなくてはならないと考えるものです。


                         愛のベトナム支援隊・北村 元
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# 東北学院大学経済学部のFW・3
1月30日(金)
 
昨日のアクセスは94でした。
ありがとうございました!
 
私たちの愛のベトナム支援隊を昨年から支援して下さっている鈴木志郎さんご夫妻がしドニーにみえていますので、今日は、午後面会にいきます。
 
当ブログは、東北学院大学経済学部共生社会経済学科のVAVA訪問の続きです。
 
リン会長が、学生さんとの質疑応答に入ろうと提案して始まりました。
 
Q:(一色翔平君)枯れ葉剤被害者に対して、私たちが出来ること・・どういうことがあるでしょうか?
 
リン会長:学生さん、ありがとうございました! 枯れ葉剤被害者にも、いろいろな年齢の人がいます。私たちの世代のように、60代70代の人もいますし、第二世代の40代の人もいますし、そのまた孫の世代の10歳に満たない人もいます。枯れ葉剤の被害者には重病の人もいます。というわけで、枯れ葉剤の被害者への支援には、いろいろな方法があると思います。被害者との交流だけでも、精神的な支援になります。
 
枯れ葉剤の被害者は、友好村のような施設に入っていて、健康回復のための治療を受けている人もいます。日本からの支援で一番感じるのは、支援側の想像力が非常に働いていて、医薬品とか医療器具なども頂いています。VAVA本部でも、最近は、学生サポーターがいろいろ援助の手助けをしてくれるケースが増えてきました。枯れ葉剤被害者となっている子供たちは、歌とかダンスが好きなので、参加出来るようにしてあげたら、子どもたちも必ずや喜ぶと思います。ですから、皆さんの支援は、このVAVA中央本部を通してもいいですし、地方のVAVAとやってもいいです。私の名詞の中にも、私の電話番号とかメルアドや住所も印刷してありますので、援助をしたい場合には、是非連絡して下さい。質問、ありがとうございました」
                       
                       メモを取る東北学院大学生(VAVA本部会議室・12月19日)

Q:(歌里拓真君)枯れ葉剤被害者は、ベトナム社会で当たり前に居る存在なのか、それとも特別視されている存在なのでしょうか。日本にいると、限られた存在と言うイメージが強いですが。ベトナムの社会では、当たり前にいる存在なのでしょうか。
 
リン会長:枯れ葉剤の被害者というのは、直接枯れ葉剤の影響を受けているだけでなく、その子ども、孫もたくさんいますので、枯れ葉剤の影響を受けた人は、この社会ではとても多いのです。というわけで、枯れ葉剤の被害者は、政府からの援助も受けているし、国内、国外の組織からも援助を受けている場合が多いです。
 
枯れ葉剤の被害者のほとんどは、身体的障害や精神的障害を持っているので、各世帯で面倒を見てもらっています。ごく一部の人々は、政府関係の組織に入所して面倒をみてもらっています。
 
先ほども申しましたが、第一世代の人は身体障害が起きていないことが多いですから、普通に社会の中で生活しています。第二世代以降には、身体的障害、精神的障害をもった人が多いですから、そういう人たちは、各家庭で面倒を見ているケースが多いです。
 
Q(相澤衿香さん)枯れ葉剤の被害者が第三世代、第四世代、第五世代と進むにつれて、被害者の数が減少していくのでしょうか。
 
A:難しい質問です。世界の化学者によると、この質問にはまだ解答できないと思います。しかし、私たちの経験と実際的な観察によると、第一世代はほぼ普通の人間にみえます。そして第二世代でも、普通の人もいて、障害・疾病を持った人がいます。そして第三世代もいます。そして第四世代はごく少ないと・・・
 
Q(長谷川裕奈さん)枯れ葉剤の影響を受けて生まれてしまった第二世代の人たちは、親が世話をして、育てていくのに苦労されていると思いますが、そういう人達を精神的に支えていく専門機関などはあるのでしょうか?
 
リン会長:政府が援助する組織はあると思います。しかし、そういう組織に、子どもを預けたりするのは、各家庭次第です。ベトナムの一般家庭の家族のつながりはとても強いので、ほとんどのケースは、障害があっても子どもを自分の家で面倒をみます。そういう場合は、政府機関は精神的な支援はします。しかし、面倒を見る人が少ない“孤独”なケースでは、施設に送られています。その場合は、政府が援助します。それでも、政府の援助のお金は少ないです。家庭で面倒を見る場合の一人当たりの月額手当は40ドル(概算80万ドン)です。また、施設に送られた子どもの手当ては、それより高い金額です。
 
Q(鈴木若菜さん)枯れ葉剤の被害者で、手当を受けられている人と、受けていない人がいるということですが、具体的にどういう人が枯れ葉剤の被害者と認定されて手当てを受けているのでしょうか。認定されていない人も、手当を受けているのかどうか?
 
リン会長:認定される場合は、枯れ葉剤被害者の子どもや、子孫です。その場合は、必ず政府からの手当てをもらっています。第一世代の場合は、認定されなくても、政府の別の手当てを受けています。就職の場合も、企業、工場などで優先的にはからってもらう努力をしています。保険の加入でも条件が緩和されます。
 
Q(奥平千尋さん)VAVAは8000万ドルの支援金を受けていて、25%が海外からの支援ということですが、それらの支援金は募金で集まっているのか、海外からの35%の支援金は、主としてどこの国からきているのでしょうか?
 
リン会長:皆さんの統計を訂正します。援助は8千万ドルではなくて、4千万ドルです。そのうち、200万ドルが海外から受けた援助です。つまり、海外らの援助は5%にすぎません。海外からの援助国としては、日本、韓国、オーストラリア、アメリカ、ドイツです。
 
Q(奥平千尋さん)残りの95%は、国内からと見ていいですか? それは募金によるものなのなのでしょうか?
 
リン会長:VAVAに対する援助の形は、二通りあります。一つは、被害者への援助の募金箱があります。二つは、枯れ葉剤の被害者に直接贈られる援助です。金銭、医療支援(医薬品、車いすなど)などです。
 
北村:学生の質問に丁寧に答えて下さり、厚くお礼を申し上げます。戦争を語り継ぐ、大震災を語り継いでいくということは大事なことで、また、来年学生が訪問した時は、ぜひ会っていただきたいと思います。
 
野崎:私も微力ながら、枯れ葉剤被害の問題について、研究叢書(東北学院大学福祉研究所研究叢書Ⅺ 福祉社会論 人間の共生を考える―多文化共生とは何か・パート2―)にまとめました。そして、VAVAが発行した枯れ葉剤国際会議の議事録を今、翻訳しており、来年(2015年)の3月に資料として出版する計画を進めています。そうすることで、出来るだけ多くの日本人に枯れ葉剤問題を啓蒙できればと思っています。本日は、貴重な話をありがとうございました。
       

                               リン会長・役員との記念撮影

                          愛のベトナム支援隊・北村 元
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# 東北学院大学経済学部のFW・2
1月29日(木)

昨28日のアクセスは154でした。
ありがとうございました!
 
東北学院大学経済学部のFW一行のVAVVA中央本部訪問は、12月19日午前中に行われました。
                  

グエン・ヴァン・リン会長が迎えに出てくださり、下記の通りご挨拶がありました。
                      

リン会長:野崎先生、東北学院大学の学生の皆様。本日、VAVA本部を代表して、私は、皆さんを大歓迎いたします。まず、今回の皆さんの旅が順調に進むことを、心より祈っています。
 
皆さんは、私たちの大親友です。私たちは、今回の野崎先生と学生さんが枯れ葉剤被害者に会っていただくことで、被害者の皆さんが、人生の上でさらに生きる力を出してくれることと期待しています。
 
今回、皆さんをお迎えする時期は、後少しで2015年を迎える時でもありますが、ベトナムは旧暦のお正月を祝う国ですが、旧正月まではあと2か月あります。この時期に訪問して下さったことに、VAVA本部を代表して、皆さんに感謝の気持ちを述べさせていただきます。
 
私たちは、愛のベトナム支援隊、野崎先生の東北学院大学とVAVAとの関係を高く評価しています。今後とも、皆さんとVAVAとの関係がさらに深まっていくように願っているところです。
 
私たちにも、御報告することがあります。愛のベトナム支援隊・東北学院大学からの寄付は、きちんと枯れ葉剤被害者に贈られています。その寄付や贈り物を受け取った被害者の皆さんも、皆さんに感謝の気持ちを伝えたいと申しております。
 
本日、皆さんにお会いできたことはとてもうれしいことです。改めて、感謝の気持ちを申し述べます。今回の訪問が無事に終わりますように、お祈りします。
 

そして、今回出席できなかった愛のベトナム支援隊の皆様にもよろしくお伝えください。(拍手)
 
野崎教授:皆様、初めまして。日本の東北地方の仙台から来ました野崎です。そして、学生10名です。本日は、お忙しい所、私たちのために、これほどまでに歓迎してくださり、心より感謝申し上げます。本日は、会長他VAVAの皆さんとは初めてお目にかかります。
 
私個人的には、VAVA訪問は今回で3回目です。その3回とも、北村元さんと一緒でした。
もう一つ、この場をお借りして、お礼を申し上げたいことがあります。私たちは、先ほども申しあげましたように、東北の仙台から参りました。ご存知のように、東北は2011年に大震災に見舞われましたが、その際に、ベトナムの皆さんからも心からの激励のメッセージを頂きました。この場をお借りして、改めてお礼を申し上げます。そのことは、一生忘れません。ベトナムのいろいろなグループが激励のエッセージを下さいましたが、これもその一つです。「ベトナムから命と力をえっさっさ」これは、北村さんが奨学金を贈っている子どもたちからの激励のメッセージです。こういう暖かい励ましで、私たちもようやく、少しずつですが、立ちあがってきています。
 
最後に、学生の話をさせて頂きます。私たちのグループは、特に大学で共生社会について学んでいます。私たち国民は、過去に原爆の被害に遭いました。また水俣病などの公害の被害も出すなどの経験をしています。そして今回の震災に伴う原発事故で被害に遭っています。そういう経験と、ベトナムでの枯れ葉剤被害者の経験を、お互いに共有し合い、共感し合うことによって、共に生きていける社会をつくっていきたいと願っています。
 

そういう意味でも、今回のVAVAの訪問を含めて、御地でたくさんのことを学びたいと思っています。どうぞよろしくお願いします。ありがとうございました!(拍手)
 
ここで、VAVA役員の一人レ・クオンさんが急に手を上げて、挨拶をされました。
                    

野崎先生と、学生の皆さんにご挨拶します。レ・クオンと申します。私は、旧兵士です。今日の皆さんのご訪問をうれしく思います。野崎先生のご挨拶を聞いて、私も感動しましたので、一言述べさせてください。その2011年に大震災の見舞われた東北ですが、ベトナムから拝見する限り、日本人は逞しくて、とても偉大です。
 
2011年の東日本大震災の時は、テレビを通して現地の様子を見ました。いま、その時被害にあった皆さんが私たちの目の前にいらっしゃることを考えると、日本の皆様の特別に強い意思というものを感じないわけにはいきません。私の願いは、皆さんが、両国の懸け橋になっていただきたいということです。
 
いま、北村さんから頂いた名刺を拝見して、最後の一文字の漢字を読むことができます。そのことを通して考えると、越日両国には、たくさんの共通点があるのではないかと考えるのです。それを考えただけでも、すごく嬉しくなります。
 
両国にはすごく類似点があると思います。それは、日本では広島、長崎の被爆経験、ベトナムでは枯れ葉剤被害のことです。どちらもアメリカ人が関与したものです。
 
そこで私が気づいたことは、私たちはアメリカを憎むのではなく、私たちの責任は、原爆の投下と枯れ葉剤の惨禍を繰り返すことを防ぐために、私たちが努力する必要があるということです。
 

改めて、皆様に感謝の気持ちを申し上げます。と同時に、皆様の旅が順調に進みますように祈っています。(拍手)
 
ここで、野崎教授と参加学生一同の志として、寄付金をリン会長に贈呈。
        

「先生、学生の皆さん、ご寄付をありがとうございました」と。リン会長が謝辞を。
また、野崎教授から、VAVAの出席者に対して、記念品が贈られました。
また、リン会長から、日本側参加者に、クリスマス・カードが贈られました。
 
続いて、リン会長の提案で、学生さんとの質疑応答に入りましたが、次回に掲載します。


                         愛のベトナム支援隊・北村 元
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# 東北学院大学経済学部のFW・1

1月28日(水)

 

1月26日のアクセスが91

1月27日のアクセスが118でした。

ありがとうございました!

 

シドニーは、毎日雨続きです。高台にあるわが地域は、昨日70ミリほどのまとまった雨が降りました。

 

今日から6回ほど、昨年暮れに行われた宮城県仙台市の東北学院大学 経済学部の海外研修です。つまり、授業の一環です。もっと詳しく説明しますと、東北学院大学 経済学部 共生社会経済学科のフィールドワーク(以下FWとします)に参加させていただきましたので、その報告(要約)をします。

 

東北学院大学 経済学部 共生社会経済学科のFWには、ADまでの4グループあり、今回ベトナムで研修する学生さんはCグループです。4グループの中では唯一、海外でのFWになります。そこで、やはり、私としては応援したくなります。今年から、共生社会経済学科に更に2グループのFWが増えると聞いています。

 

一行は、野崎 明教授と10名の学生(リーダー:一色翔平君 男子2名 女子8名)の合計11名です。学生全員が3年生でした。若さが輝いています。

 

12月18日に、就航して間もない羽田発のベトナム航空機でハノイのノイバイ空港につきました。仙台出発時の雪が気になっていましたが、とにかく無事に全員元気に着きました。

            

初めての海外旅行がベトナムという学生さんもいました。日本のODAで建築が進んでいる完成間近な国際線ターミナルビルを横にみながら、市内に向かいました。

 

真冬のハノイ・・・といっても、仙台よりはるかに温暖なハノイです。間違っても零度以下になることはありません。間違っても、雪が降ることはありません。

 

おみやげ屋街と言われるハンガイ通りの、開業して半年ほどのホテルに入りました。ホテルそのものが旧市街の一角に建ち、ホアンキエム湖や郵便局にも近く、利便性の高いロケーションにあります。ホテルの一階は、シルクなどを売るお店で、経営者はホテルと同じです。かつて私がハノイに住んでいた頃には、ここでシルクのものを何度も買ったことがあります。値段の手ごろ感のものが多かったので。
         
         こんなところで釣りをするなよ!と言いたくなりますが、あるお役人から「ベトナムは自由国家だから」と皮肉交じりに言われました。私に言わせれば、皇居の内堀に糸を垂らしているようなもの。
 

FWの利点を私なりに考えてみました。
資料などで読んで体験してきた景色・音・匂い・声・苦しみを、現場で本物に接することで追体験し、自分の考えを深め、修正し、更に創造意欲を沸かせることができる。
二番目に、現場での生きた交流によって、自他ともにinteractiveという相乗効果を発揮する。
三番目に、相乗効果を創りだせれば、自身の情緒の多様性も生まれ、学校生活のみならず、人生の推進力を自身の中にもつことになる。
などではないでしょうか。

12月19日からは、早速、「現場での体験学習」が始まります。

「旅の疲労は残っているかもしれないが、明日は、朝食をすませて、9時15分出発です!」「はい」


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# 私がベトナムを選んだ理由(10)

おはようございます。

台風11号で被害に遭われた方々にお見舞い申し上げます。

猛烈な雨量だったようで、後片付けも大変だろうと思います。

さて、当ブログ・・昨日はちょうど100のアクセスがありました。

ありがとうございました。

今日は、東北福祉大学2年  津田 和君の一文です。

+++

私がベトナムを選んだ理由

東北福祉大学2年  津田 和

私は今回初めてこのツアーに参加しました。外国も初めてです。

私がベトナムに行こうと思ったのは、本当のところ、ベトナムの人を助けたいだとか、ベトナムが大好きだとかいった理由ではありません。

昔から漠然と外国に行ってみたかった、そして行ける機会が巡ってきて、掴んでみたらこのスタディーツアーだった、といった感じなのです。

ただ、きっかけはなんでもいいと思っています。このスタディーツアーは、異国の生活、ベトナムの明るさや楽しみ、大きな悲しみや暗さの一部、国民の気質や習慣など、とてもただの観光では体感できないことまで体感できると思います。とても貴重な機会を得ることがで きました。精一杯、欲張って色んなことを焼き付け、感じたいです。

またベトナムは東日本大震災の際に支援をしていただいた国の1つでもあります。実際に支援を受けた身として、どんな人達が、どういう生活の中で支援をしてくれていたのか、見てきたいと思います。

色々とまだ不安もありますが、ベトナムに行くことが今からすごく楽しみです。

+++

寄稿ありがとうございました。

そうです、動機は何でもいいです。ベトナムに興味をもってくれたことが大事です。

ツアー中に会う人たちは、大学生もいます。しかし、高校生も中学生も小学生もいます。全員が大学にいけるわけではありません。

また、お年寄りの支援でも、大学を出た人はほとんどいません。字も書けない人もいます。そういう人と出会った時に、あなたが何を考え、どうこうどうしようとするか・・・広い意味で、大学は大学に行かない人たちのためにあると考えると、他者への貢献が自ずとみえているのではないでしょうか。

元気で、会いましょう。(北村記)

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