〜愛のベトナム支援隊〜 Love and Support Vietnam

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# ある枯れ葉剤被害者の半生
蓮の花奨学生からの便りは、随時掲載していきます。

今日は、ダナンの枯れ葉剤被害者であるグエン・ゴック・フオンさんという一人の男性をご紹介したいと思います。

当ブログで、見覚えのある方がいらしたら、記憶力抜群の方です。

+++

グエン・ゴック・フオンさんにとって、生まれ持った自分の障害が大きすぎたと思ったことはなかった。コツコツと、ひたすら耐えて、人生を切り開いてきた。彼の前に現れた人は、すばらしい人ばかりだった。

出生時の身長はなんと20センチ、体重はわずか0.8キロだった、という。だから、グエン・ゴック・フオンさんの人生は苦難の
連続だった。

7の時、故郷、中部クアン・ナム省上り下りのあるでこぼこ山道を、5キロも毎日歩いて通学した。

彼は、自分の教室の黒板の前の机にたどりくまでに、重い折り畳み式椅子を持ち歩いたのだ。 彼は、平坦でない田舎道では転ぶこともしばしば
だった。

彼の一歩は、同級生の3分の1のサイズ
しかなかった。友達といっしょに登校するには、走ることもあった。追いつかないのだ。そして、ひたすら歩いた。彼のペースでいくなら、人の三倍の時間がかかった。

悪いことがやってきた。彼の通っていた学校が、家からさらにキロも遠くに移転することになってしまった。
 フオンさんの両親は、健康と安全を気遣って、で勉強させたいと学校に頼んだ。

7年間、フオンさんは、家の周囲の小さな雑用をし、両親を手伝いながら、在宅で勉強した

しかし、「何もしないで、貧困に苦しむ両親を見るにしのびなかった」と、
フオンさんは言った。

「それから、私は自殺考えた!でも、私は思ったのだ。私が生まれた時に、もし両親が私が生きることを望まなかったなら、私を殺していたろう・・・と。だから、私は生きる努力をしていかなくてはならないのではないか」と、彼は言
った。

15歳で家を出たフオンさんは、街でライターに液体燃料を充填する店で働いた。その後、腕時計と時計を修理術を学んで、別の店で仕事を得た。

彼は、自分自身家族を養
っていけるまでに稼げるようになりつつあった。

家族はこれが奇跡であると思った。しかし、フオンさんの成功は序の口だった。ホーチミン市
へ出て、この大都市で仕事のチャンスを見つけようと決心したのだ。

ホーチミンへ乗り込む

フオンさんがホーチミンへ出たのは、ちょうど二十歳。でも体重は20キロしかなかったホーチミン市で勉強している彼の親友が、仕事を探すために、いくつかの職業
紹介所に連れていった。

カット・ティン電気機械店の経営者マイ・タイン・ホアンさんがフオンさんの願書に興味を示した。ホアンさんは、フオンさんを訓練すればなんとかなると、食事
提供することに同意した。

しかし、社長は、見るところをちゃんとみていた。フオンさんがくらい勤勉にき、どれくらい速く技術を飲み込んでいるかを知った社長は、フオンさんを普通のパートタイムの従業員にとどめておくのはもったないと・・・、フオンさんにすべての秘密を伝授し、昇進させて、平均より高い給料
で遇した。

「私は、8年間サイゴンで自信と大きな活気をもって暮らした」と、
フオンさんは振り返った。

やがて、フオンさんはホーチミンでお金を貯めた後、クアンナム省の実家に戻る決心をした。

「私は、故郷の両親のことを一度も忘れたことがなかった!」と、彼は言
う。

2007年に故郷に戻って、フオンさんは金を借り、自分の貯金もはたいて、両親の住む所からさほど遠くないダナン市内に店を開業し
た。

フオンさんに固定客がつき、利益をあげ、社員の訓練をするまで、若干の時間がかかった。しかし、今は成功している。


そして、彼は、仲間を育てるために、ダナンの枯れ葉剤被害者を支えるダナン・センター職業訓練コースで教鞭もとっている。

「毎日学生と交流し、彼らの逆境を理解しながら、私は、自分のハンディが彼らのものと比較してもの引け目もないということがわかった」と、
誇らしげだ。

フオンさんは教師として忍耐と優しさを学んだと言う。彼は現在学校最も人気のある先生となっている。そして、クラスほとんどの学生を惹きつけるほどだ


その傍らで、彼はまた、ダナンの枯れ葉剤被害者協会
のスタッフにもなっている。おそらく、ヒエン会長のたっての要望でもあったろう。

いつも、ダナンの枯れ葉剤被害者センター1を訪問するときに、オーディオの機械の調整でお世話になるフオンさんの来し方を、私は紹介したかった。

2008年9月フオンさんは、枯れ葉剤被害者協会の他の代表と一緒に”ピース・ボート”乗船し世界平和を進めている海外をめぐった。それが、いい思い出になっているという。下の写真は、ピースボートで、原爆被災者の手を握って激励するフオンさんである。

苦境にめげない忍耐力・・独学と修行で切り開いた技術と生きる道・・勤勉さ・・・知れば知るほど、私の心には尊敬の念が湧いてくるのだ。(おわり)

                    愛のベトナム支援隊・北村 元
               Love & Support Vietnam
           <本ブログの無断転載・複製を固く禁じます>

     © 2011-2012 Love & Support Vietnam All rights reserved.

| comments(0) | - | 07:54 | category: 枯れ葉剤被害者との交流 |
# 鈴木志郎さんご夫妻のサイゴン訪問

昨年12月。ベトナムへの出発準備で大忙しの日々が続いていました。

そこへ、東京の鈴木志郎さんという友人から、メールが入りました。合唱団
にも所属している底抜けに楽観的な明るい壮年です。

「月末29日に、夫婦でホーチミンに行くことになった。ついては、枯れ葉剤の人たちと少しでも交流できないものか・・・」という趣旨でした。実質3日、2泊の滞在だという。

鈴木志郎さんご夫妻は、車いすの生活です。いろいろと心配することがありました。「もっと早く言ってよ・・・」・・・口まで出ていました。

7000字の原稿の仕事を2種類抱えて、なおかつベトナム行きの東北学院大学の準備に忙殺されて、疲労も増して来ている時でした。この忙しさでどうしよう・・・受けるべきか断るべきか・・・私は、29日は、ハノイからシンガポールへの移動日。予定は組まれており変更は不可。100%ホーチミンに行けない・・・

しばし・・・思案しました。
「普段行けない自分に代わって、鈴木さんに行ってもらうことにしよう」

ホーチミンにいる旧知のYさんに、無理をお願いすることにしました。

Yさんから快諾がきました。「お手伝いさせていただきます。安心して下さい」
涙がでるほど心憎いばかりの文面でした。

まず、鈴木さんにご紹介するのは、この人しか無いと考えたのは、ホーチミン市11区に在住される元南ベトナム政府軍兵士で、枯れ葉剤を自ら撒いたことを告白したマイ・ザン・ヴーです。

Y
さんから「北村からのお願いだ」と伝えてもらって、ヴーさんに連絡をとってもらいました。北村のことをよく覚えていて下さっていました。「ぜひ鈴木さんにお会いしたい」との返事が、Yさん経由で届きました。

こうして、鈴木志郎さんご夫妻の、サイゴンでの初の枯れ葉剤被害者との交流が実現する運びになりました。

鈴木さんとヴーさんとの対話の場所に、サイゴン西部の元ゲリラ基地クチのトンネルが選ばれました。高齢になられたヴーさんに、ご長女ヴィーさんが同行してくれることになりました。

5年前のヴーさんとの語らいを、鈴木さんがつないで下さることになりました。

以下は、鈴木志郎さんの便りです。

こんにちは。ホーチミンの報告です。

30日の朝、私たちの滞在するホテルに
Yさん、ヴーさんとお嬢さんのヴィーさんが来られてました。
ヴーさんとお嬢さんは、8kmほど離れた自宅からバイクで来られました。

そして、Yさんが手配したタクシーで、クチへ行きました。


クチの解放戦線ゲリラ基地で 鈴木さん夫妻とヴーさん(右端)

クチのトンネル(の地域)は車イスで行くには全く不向きなところですが、
Yさんとヴィーさんに押してもらいながら見学ができました。

その後場所を変えて、食事をしたりお茶を飲んだりしながら、長い時間をYさんの通訳でヴーさんと話をすることができました。


ゲリラが出入りする穴の近くで

ヴーさんは戦後、枯れ葉剤問題の解決のための活動をされていますが、当時は知らされなかったとはいえ、自身が枯れ葉剤を撒く側だったこととか、子供を亡くされていることで、とても辛い思いをされたことと思います。

亡くなった子供さんの写真や、枯れ葉剤のことでパリに行かれたときの写真を見せていただきながら、いろいろお話を伺いました。

ただ、ヴーさんの心の中まではうかがい知る事ができませんでした。{中略)

亡くなった息子さんの写真を見て、筋ジストロフィーの症状にとてもよく似ていると思いました。

(中略)

私からは、「人には誰でも使命があって、自分には障害に負けなかったことを人に話していく使命がある。だから、ヴーさんにもきっと使命があると思う」、「病気になったり障害を持つことは不幸ではなく、病気や障害に負けることが不幸」、「肉親を亡くした後、残された私たちが元気に前を向いて行くことで、亡くなった人を安心させると思う」等々、話をさせていただきました。

キリスト教を信仰するヴーさんも、私の話しをわかってくれたようでした。

ヴーさん親子もYさんも、私たちに会えて本当に良かったと言ってくれました。

勇気とか希望とか、そんな事を感じていただければ幸いです。

ヴーさん親子にとっては、一日中家族以外の障害者と行動するのは初めてだったでしょうが(Yさんはまるで初めて)、いつもニコニコしている2人の障害者と一緒にいて驚いたことと思いますが。


鈴木さん ヴーさん母娘 Yさん

Yさんには、私から自身の体験の原稿や合唱団流星が載った新聞の切り抜きや、合唱団のDVDを持って行きました。

初めて自由グループ(障害者を中心としたグループ)のことを知ってもらいましたが、ベトナムにも来て欲しいと何度も言われました。

少しでも自由グループ員としての使命を果たせたようで良かったです。

数々の出会いがあり、ホーチミンがとても近くなりました。

幸子も皆さんとの出会いをとても喜んでいました。

ホーチミンの街を歩いて、障害者が暮らすには全く不向きなところだと思いました。人の手を借りればどうにでもなるのですが、40年くらい前の東京と同じレベルかも知れません。

物心両面で、障害を持った人も幸せに暮らせる国になって欲しいと思いました。

以上、ホーチミン滞在記でした。

私は、鈴木さんには、当分、ハノイには行かないでくださいと書きました。ははは、本心です。歩道は、バイク置き場と化したハノイに、障害者への配慮など微塵もありません。政治のひどさに、開いた口がふさがりません。

ハノイという大都市には、政治の瓦礫があちこちにあります。支援の私たちも、命がけの時があります。

ま、それはともかく、鈴木志郎さんご夫妻の束の間の、しかし、何かヴーさんの心に残したサイゴン滞在でした。

そして、Y さんからもメールが来ました。

当日、Vuさんの末の娘も同行しました。

彼は2007年、フランスでの枯れ葉剤国際会議に参加して、帰国後、倒れたそうです。

今は、毎日、針灸治療を受けていますが、病人の姿ではなく、普通に歩き、食べ、会話など、血色も悪くないです。

当日、Vu さんには大変喜んでいただき、又久しぶりに娘と遠いとろろへ行けたこともあってうれしかったようです。懇談の際、彼は「鈴木さんご夫妻の振る舞いを見て、感動し、自分はもっと積極的に生きなければならない」などといわれました。

Vuさんはキリスト教徒ですが、鈴木さんの激励の言葉なども理解できて、有意義な交流ができました。

「この地球上に戦争が無くなり、特に、枯葉剤の戦争は絶対に二度起らないように」・・これが彼の人生の念願だそうです。

                            愛のベトナム支援隊・北村 元
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| comments(0) | - | 08:13 | category: 枯れ葉剤被害者との交流 |
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