〜愛のベトナム支援隊〜 Love and Support Vietnam

枯れ葉剤被害者を支援しよう!寄付金受付中!今年の衣類は目標達成!ご協力ありがとうございました!

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# 報告書が届きました!

報告書が届きました。

 

昨年12月中旬から下旬にかけて、私は東北学院大学のフィールドワークに同行させていただきました。

 

経済学部共生社会経済学科では、2016年度に、AからFまで六つのフィールドワークを行いましたが、ベトナムでのフィールドワークは「C」です。

 

担当の野崎教授が送って下さった報告書は、写真の通りです。

        

全75ページにわたる報告書の中で、C参加の九名の学生さん執筆の報告は、16ページから52ページまでにわたっています。

 

ある意味で、参加した学生さんにとって、世代を超えた枯れ葉剤の被害はここまでひどかったのかという、戦争の脅威をまじかにみた強烈な印象が、報告書の半分弱という占有率にまで突き動かしたとも言えます。

 

そして、はしがきで野崎教授が「しかし、そうしたあまりにも過酷な生活環境の中でさえも難病の子どもたちや孫たちを必死に守り、世話をしている母親や父親の生き抜く姿に接する度に、いつも彼ら/彼女らの中に人間の崇高さと強靭な生命力に気づかされる」と書かれているように、その生き抜く姿に多くを学んだ学生さんが、このまま黙ってはいられなくなったこともたしかだと思います。

 

9名の学生代表を務めた渡邊佳奈子さんは、「現地でしか味わえないこと、被害者に会ってみて初めて分かったこと、さまざまな発見ができた」と記し、「この経験は忘れることはないだろう。たくさんの人たちに敬意をひょうすためにも、ベトナムの現状を伝えていき、支援の輪が広がっていくことを願っている」と締めくくっています。

 

まさに、フィールドワークの大切さが記されています。

 

野崎教授は、この3月に定年退職されました。長い間、たいへんにご苦労さまでした。学生さんも、第6回のフィールドワークCでよく頑張ってくれたと思います。これからも、皆様、御健康で、ご活躍ください。

 

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| comments(0) | - | 12:42 | category: 東北学院大学 |
# 東北学院大学経済学部フィールドワーク同行記26・完

昨日のアクセスは、125でした。ありがとうございました。

 

12月24日 打ち上げ会・クリスマス・イヴ

 

東北学院大学 経済学部共生社会経済学科FWCの打ち上げ会は 、かつて私が住んでいた場所から徒歩で15分くらいの場所のビュッフェスタイルのレストランで行いました。ついに、今回も全食、違うレストランを通しました。

 

こんなに早く打ち上げをしてもいいのかと思うほど、1週間は矢のように飛び去っていきました。

「1週間は、速かったです」・・が、東北学院大学の学生さんの感じた1週間でした。

 

野崎 明 先生

伊藤 優作 さん 遠藤 良記さん 奥山寛也さん 糠澤圭太さん 山田崇弘さん

千田 瑛理香さん 横田 絵美さん 吉田佳純さん 渡邊佳奈子さん

 

体調を崩す人も出ず、好天に恵まれ、私には、金の思い出が出来ました。ありがとうございました。シン・カム〜ン!

野崎先生の最後のFWに携わることができたことも、私の光栄でした。

学生の皆さんが、金の体験が出来ていたら、望外の喜びです。 まずは、「乾杯!」

  

ベトナムでの体験をいかすのは、これからです。

ハーヴァ―ド大学ビジネス・スクールの学生が、2017年も東北にやってきます。5年連続です。

 

リーマンショックという世界的な金融危機を引き起こした人の中に多くの卒業生がいたことから、「われわれは、世界に良い変化をもたらすリーダーを育ててきたのか」とハーバード大が受けた大きな衝撃を反省に、HBSの学生が日本にやって来たのは、HBSが教育改革を迅速に進めた結果だったことが言われています。

 

知識偏重から、“現場"に身を投じることで、知識の習得におわらず実践し、文化や価値観を共有できない異空間で自分を見つめ直してその後のキャリアを推進する内なる情熱を見いだすことを狙ったものです。

 

私は、自分の手作りの粗末な旅の栞を皆さんに差し上げました。

「「現場」とは、そこにいる一人一人の生活であり、仕事であり、思いです。喜びであり、悲しみです。さまざまな苦難に耳を傾け、励まし合う対話に、心を尽くそうではないですか」 と書きました。

これは、皆さんがほんとうに真摯に実行してくれました。

 

しかし、「わかった」ということは、何を意味するのでしょうか。

「自分が考える「知る」とは、単なる理解や知識ではない。大事なのは(中略)勉強して知ることによって、あなたの人生がどう変わったか」。もし何も変化がないなら、それは本当の意味で「知る」ということにならない、と(佐治晴夫・養老孟司共著『「わかる」ことは「かわる」こと』河出書房新社)と書かれている通りです。

 

より豊かな人生を送るには、他者への貢献は欠かすことが出来ません。「何のために生きるのか・・・」が、求められます。

 

これからの実り多き人生を楽しく創造して行ってください。12月18日〜25日までの珠玉の1週間をありがとうございました。

野崎先生、長きにわたった教職生活 ほんとうにご苦労さまでした。

皆様、どうか、お元気で。ご活躍を祈っています。

 

頂戴したベトナムのTシャツを、この8月の支援隊のツアーで使わせていただきます。

 

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| comments(0) | - | 09:36 | category: 東北学院大学 |
# 東北学院大学経済学部フィールドワーク同行記25

昨日のアクセスは、137でした。ご訪問ありがとうございました。

 

12月24日 クリスマス・イヴ

 

キリスト教の国ではありませんが、やはり人の動きがいつもとちがいます。

 

勉強という勉強は、ホーチミン・トレイル博物館で終わりました。

私たちは、ホーチミン廟に向かいました。

気温は真冬のそれではなく、高めです。

まずは、ホーチミン廟をバックに、記念撮影です。

    

ちょうど、運よく衛兵の交代が始まりました。居合わせた人々が、一斉にシャッターをきっていました。

    

    

    

ホーチミン主席が亡くなって6年後に、戦争は終結しました。先日の両陛下は、初のベトナム公式訪問で、クアン主席と会見された後、建国の父が眠る「ホーチミン廟」で、供花をされましたね。

 

学生さん達は、今度は、「廟」の真正面にある新国会議事堂を背景に、記念撮影です。

    

そして、下町でショッピング・タイムに入りました。

あるショッピングモールで解散しましたが、買い物客でごった返すショッピング・モールで駐車場も全くなく、運転手さんの精神状態はよくありませんでした。学生さんたちはいくつかのグループに分かれて、夕方まで買い物をしていました。疲れているはずなのなのに、元気でした。

 

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| comments(0) | - | 04:33 | category: 東北学院大学 |
# 東北学院大学経済学部フィールドワーク同行記24

昨日のアクセスは170でした。ありがとうございました。

 

12月24日 クリスマス・イヴ

 

この日泊まると、明日は帰国の途・・という前日です。FWの第4コーナーをまわって、最後のストレッチです。

 

朝、ホーチミン・トレイル博物館に向かいました。ハノイから15キロほどです。昔は、ハタイ省でしたが、ハタイ省が合併して、ハノイ市になりました。運転手さんが、ちょっと自信なさそうに運転しています。案の定、ちょっとあらぬ方向に行き過ぎて、さりげなく戻っていました。さりげなく戻っているくらいは、私にも分かります。

      

かつて、ここは559博物館という名称でした。入場客は私たちのみで、閑散としていました。

入場料を払った後、おそろいのTシャツで、記念の写真です。

    

係りの人が、慌てて、客席を明るくし、映画の準備をしてくれました。

 

ここは、私たちがなかなか行くことのできないチュオンソン山脈の様子を、ある程度詳しく教えてくれます。

    

ホーチミンルートに関する博物館です。私たちは、ホーチミン・ルートといいます。しかし、欧米の人は、トレイルです。何となく、そう呼ぶ気持が理解できます。ホーチミン・ルートいうと「アジア・ハイウェー」のようなしっかりした道路を想定します。しかし、実際は、獣道も含めた道路です。

 

1階には、ホーチミンルートでの輸送、構築、防衛、医療、慰問団等々について、テーマ別に写真を中心とした展示があります。

  

また、アメリカ軍からの攻撃についての解説、枯れ葉剤による被害についても展示がありました。この川をトラックが渡れるわけがない・・・アメリカ軍の裏をかいた作戦は数多くあります。

    

アメリカ軍の大型爆弾のクレーターがあちこちに。

    

屋外にはトラック等の車両の展示があり、ソ連製や中国製のトラックのほか、日本の日野自動車製のトラックも展示されていました。また、61-K 37mm対空砲やS-60 57mm対空機関砲等の対空兵器の展示もありました。

    

559の由来は、以前のブログにのせましたので、ここでは触りだけを書いておきます。南ベトナムでの軍事行動強化を決定した北ベトナム政府の15号決議が出された後、1959年5月19日にチュオ ンソン山脈ルートを通って南ベトナムへの輸送を行なう559部隊(Đoàn 559)が設立され、初代指揮官にヴォー・バム(Võ Bẩm)が任命されたのです。

 

「559」は、5月1959年を意味します。これまでに、私は、これまでたくさんの559部隊の方とお会いして来ました。多くは女性でした。それも、二十歳前後の、青春真っ盛りの女性です。

    

この髪の毛は、1972年にチュオンソン山脈に派遣された、ニンビン省出身のファン・ティ・ゴアンさんものです。彼女は、悪性マラリアにかかり軍隊生活は苦労しました。苦労の多かった559部隊をしのんで、チュオンソン・ルート開拓50年を記念して、自分の髪の毛を切り、博物館に寄贈しました。          

    

中にはなんとしても戦争に参加したいと、血判状まで書いたり、年齢を偽って、戦場行きを希望して、参加した女性もいました。

その血気盛んな若さは、後の彼女たちの健康を大ききく蝕むことになりました。

 

今回のフィールドワークに参加した女子学生の年齢とほぼ同じか、少し若かった年代です。

そういうことが将来絶対にないように・・・私は、うら若き559部隊の女性兵士の写真の前で、東北学院大学の女子大生を撮りました。

    

出口で、東北学院大学のパーフォマンスです。

    

    

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| comments(0) | - | 11:27 | category: 東北学院大学 |
# 東北学院大学経済学部フィールドワーク同行記23

昨日のアクセスは、105でした。ありがとうございました。

 

このブログの記事は、昨年12月23日、VAVA本部表敬訪問した時の話合いの内容を三分の二に縮めたものです。長いですが、読んでみてください。

 

Pham Truong 国際部長

   

本日、野崎教授を初め東北学院大学の学生さんにお会いして、大変うれしく思います。皆さまは、本日VAVA本部を訪問されるまでに、各地のVAVAを訪問してくださり、ありがとうございました。

 

ヴィンフック、ホアビン、ハイフォンを訪問して下さいまにした。今日の午前中は、友好村も訪ねてくださいました。

本日、会長は皆さんにおめにかかることにしていましたが、別の用事が入り、お会いすることができません。誠に申し訳ございません。

 

リン会長からの伝言は以下の通りです。

「皆様、一週間にわたり、各地を訪問して下さり、その支援の訪問が大成功であったことを祝し、おめでとうございますと申し上げます。と同時に、そのような訪問をしてくださったことに、本当にお礼を申し上げます。本日、私の代わりに、副会長のグエン・テ・ルックが出席しました」

 

ルック副会長

   

「北村さん、野崎さん、そして皆様と親密な雰囲気にするために、着席したまま、お話しをさせて戴きます。

 

多分、皆さんはこの1週間でお感じになったと思いますが、ベトナム戦争が受けたアメリカの枯れ葉剤の影響で、子どもたちが受けた影響はとてもひどいものがあります。この本部には、外国からのお客様が見えますが、お客様の中で一番多いのは、日本の皆様です。

 

愛のベトナム支援隊との協力は、とても長くなりました。今日ここに来られた皆様は初めてと思いますが、今後とも是非ベトナムとつながって下さいと願っています。

 

ベトナムの戦争のことを、今日ここで、簡単にご説明申しあげます。

 

アメリカ軍は、1961年から1971年まで、枯れ葉剤を8千万リットル撒布しました。その撒布面積は、旧南ベトナムの四分の一を占めるに至りました。

 

その散布量8千万リットルの中に、ダイオキシンが366キロ含まれていたとされています。このダイオキシンの猛毒性はすごくて、10億分の1グラムだけでも多くの人を死に至らしめるというものです。

 

皆さんも帰ってから、また勉強さえると思いますが、とても毒性が強いということを、私は強調したいです。(北村註:つまり、人間が作り出した毒物で史上最強のものです)

環境面での被害度ですが、土壌が汚染されると、植物はほぼ生きることはできません。死滅します。

 

人間の被害ですが、アメリカ軍の撒布を受けた人の数は、480万人と想定されています。(北村註:これはベトナムがはじき出した数字ではなく、アメリカ側科学者の科学的推論で出てきた数字です)この数字は、正式に確定された数字ではありません。実際には、もっと多いと考えています。

 

暫定的な数字として出されている480万は枯れ葉剤を浴びた人の数ですが、そのうち被害者となったのは300万とされています。

 

枯れ葉剤の被害者となった人は、ほぼがんなどが発症したりし、さらに第二世代、第三世代に引き継がれて症状が出てきます。

 

枯れ葉剤を受けてすぐ死んでしまう人もいました。しかし、枯れ葉剤を受けても何十年と生存し、その後、第二世代にも、第三世代にも被害が受け継がれることは、残酷です。短期にもむごいですが、長期的にもベトナムの将来を揺るがす毒の被害です。

 

日本でも、アメリカの投下した原爆で、今も被害者が残っています。これは全くベトナムと同じだと思います。これを同じ痛みと皆さんは感じていらっしゃるだろうし、この痛みを私たちも分かち合うことが出来ればと思います。

 

皆さんは、原爆の影響を受けずに元気で生まれたと思います。枯れ葉剤の被害を受けた人達を支援して頂いて、そのうえで、戦争が起きないように皆さんのご協力をお願いします。(拍手)

 

野崎教授 

VAVAのルック副会長、そして、VAVA本部の皆様、VAVAのおかげで、私たちの研修旅行が、大成功のうちに終わりました。感謝申し上げます。私自身は、今回で3回目のVAVA訪問になります。学生を連れて、2011年、2014年、そして2016年の今回で三回目です。今回は9人の学生が参加しています。私たちの研修旅行は、大学の授業の一環としておこなっています。

 

この訪問では、枯れ葉剤の被害者、そのご家族を訪ね、私たちにどんな支援が出来るか・・・そういうことを知りたく、また学ぶためにやってきました。

 

過去すでに二回学生がこちらに来ており、そういう学生が、日本に帰ってから、大学で枯れ葉剤の問題の報告会を開き、あるいは社会人が参加する大学祭での報告会をやりました。また、高校にも出向いて、枯れ葉剤被害のことを話しました。

 

今回も、同じように、多くのことを学びました。日本に帰りましたら、出来るだけ多くの日本人に、枯れ葉剤被害の現状を、学生と一緒に伝えていきたいと考えています。

 

もう一つ付け加えますと、昨年、北村さんと、私と、生田目教授(東北福祉大学)の三人が、VAVAのタムさんのご協力をうけて、ハイフォンで、枯れ葉剤被害者の調査研究が出来ました。これもVAVAの多大なるご支援のおかげです。そして、今年8月10日の国際会議に招待されまして、生田目さんが発表し、また論文も書くことが出来ました。その研究を今後とも続けていきたいので、VAVAのご協力をお願いしたいと思います。また、その研究の出版化も考えています。今回も、VAVAの多大なるご支援を頂きまして、改めて感謝申し上げます。ありがとうございました。

 

ルック副会長

今回は、とても貴重な経験をされたと思いますが、それが、卒業の時、或は勉強の時のテーマとなればと思います。また、社会貢献のテーマになれば、嬉しいです。私が、もし大学院の研究生であれば、枯れ葉剤の被害について研究したいと考えます。(拍手)

 

チャン・ゴック・タム(科学部)さん

 

学生さんに伝えたいことがあります。世界で枯れ葉剤の勉強ができるところは、ベトナムしかありません。

今、フランス、オーストラリアから研究生が来て、ベトナムについて研究していますが、日本の代表として、皆さんが来て、研究してほしいです。

もし、皆さんが研究を希望すれば、私たちが資料の面でサポート出来ます。よろしくお願いします。

 

ルック副会長

学生さんの質問を受ける前に、北村さんに窺いたいことがあります。

北村さんは、かなり長期的に私たちと協力し、医師や看護師とともに、長く研究を続けてこられましたね。

 

北村 

私が初めて枯れ葉剤の被害者におあいしたのが、1989年です。1989年にバンコクに赴任して、一番最初に出張したのがベトナムです。その時、初めて枯れ葉剤の被害者さんをみたのが、枯れ葉剤との長いお付き合いの始まりです。

私は、日本のテレビ局のジャーナリストでしたので、一端被害者をみてしまったら、そのまま通りすぎることはできなくなりました。

それ以来2016年の今年まで、お付き合いをさせて頂いています。この支援は、ただ長くやったらいいというものではなく、出来る限り今後も、心のこもった支援を続けていきたいと考えます。

こういう若い方たちが一緒に来てくれるのは、すごくうれしいです。御答えになっていますでしょうか?

 

千田絵里香 

はじめまして。千田絵里香と申します。今回初めてベトナムに来て、枯れ葉剤を受けた被害者にお会いしましたが、最初はとても、衝撃が大きかったです。実際におあいいしましたが、直接の会話はできませんでしたが、聞き取りという形で話しを聞かせて頂いて感じたことは、直接会うということがとっても大事なことだと感じました。

 

大学の入っているゼミでは、ハンセン病の被害者のことを勉強していますので、今後はこの枯れ葉剤被害のことも並行して勉強していきたいなと思います。とても貴重な体験でした。ありがとうございました。(ベトナム側が拍手)

 

ルック副会長  

アリガト。

 

渡邊佳奈子

はじめまして。渡邊佳奈子と申します。私が一番心に残りましたのは、20日に行ったヴィンフックで、魚鱗癬症のミン君、タイン君兄弟に会った時が、一番衝撃が走りました。しかし、話を聞いたり、ふれあってみて、病気はもっているけれど、普通の少年と全く変わりがないことがわかりました。

 

VAVAの方々が、こういう被害者にこころよく会わせてくださり、本当にありがとうございました。(拍手)

 

奥山寛也

日本にいれば、間接的でしか支援で来ませんが、ベトナムにきたからこそ直接支援ができたのが、すごく良い体験だったと思います。

ですから、日本にこの体験を持ちかえって、日本の人々に枯れ葉剤被害者のことを伝えられたらいいなと思います。

 

糠澤圭太です。初めまして。

まず最初に、質問にお答えします。

私も、奥山君と同じく、12月20日、ヴィンフックで足湯をやらせてもらったのですが、足に触れる、手に触ってということは、そんなに難しいことではありません。これは、人生に一回できるかできないかの体験だと思うので、全然難しいということは感じませんでした。むしろ、自分自身は、どんどんこういうことに挑戦していきたいと思っています。

 

山田崇弘といいます。

今回インターネットの情報だけではなくて、自分の目で見たいという気持ちで来たのですが、ハイフォン市の二軒目の訪問の時に聞いた「辛い生活の中に、幸せはなかった」という言葉が一番印象に残っています。

 

そこから考えて、この二軒目を訪問するまでは、子どもを育てる・・・それが生きがいだと思っていたのですが、本当にそうなのかと考えるようになりました。枯れ葉剤被害者の生きがいって何なのか・・・そこで私の質問がこの場所でふさわしいかどうか・・わかりませんが、枯れ葉剤被害者にとって、幸せとは何だと思いますか?

 

私レ・クオンと申します

   

今年58歳です。抗米戦争、カンボジアのポルポトの戦争と中越戦争に参加しました。これは私個人の誇りではなくて、国の誇りの代表として話させてもらいます。

私だけではなく、戦争の参加し多人は皆誇りを持ったと思います。今のご質問は、とても脅威ある質問だと思います。幸せの定義について話してみます。

 

幸せというのは、人によって考え方が違うと思います。私が考える幸せは、人に幸せを上げるということです。一番幸せな人は、たくさんの幸せを他の人にあげる人です。

 

ここに居る皆さんも、幸せな人だと思います。何故なら、ベトナムの被害者に幸せを上げているからです。もし皆さんに時間があるなら、幸せについて、2時間くらい話せますよ。

 

レ・クオン

私は、日本人とベトナム人はどこかで共通しているものがあると思っています。皆様は、愛のベトナム支援隊のグループだと思いますが、もし愛の日本支援隊というグループがあれば、私は参加したいです。私の家族全員を参加させたいです。(大拍手)私は隊長になりたいです。(爆笑)

 

初めまして、伊藤優作です。

被害者のお話しを聞いていて、多少の差はあるものの、経済的に苦しいことが分かりました。家計が苦しい中で、当事者である家庭が私たちの訪問を引き受けてくださり感謝にしています。

 

五軒の家庭を訪問しましたが、どこでも、足湯になると皆さん笑顔になり、握手し合ったのが印象に残っています。

枯れ葉剤被害者が亡くなると、その家族への手当がゼロになるのが、被害者家庭の貧困が続く原因だと、私は思っています。

質問ですが、ゼロにするのではなく、半分でも手当の支給の継続をできないものかと考えます、どうでしょうか?

 

ルック副会長

いろいろの支援の仕方があります。伊藤さんは、国からの手当のことを言っていますね。この手当は、当事者の死亡によって支給は打ち切られます。しかし、その後も、遺された家族には、別の形で定期的に支援の事業をしております。

第一世代に相当する世帯主、或は元の世帯主が亡くなった時には、より手厚い支援が行われています。

 

レ・クオンさん

先ほどの伊藤さんの質問は素晴らしいと思います。枯れ葉剤の被害者の皆さんは、同じような心配をし、同じような気持ちを抱いています。

ベトナムを訪れた外国の団体からも、同じような質問が出ました。ベトナム政府も、いま、同じようなことを検討しています。VAVA内部でも、被害者の生活安定について、種々健闘をしています。

 

今検討している案件は、友好村のような施設を増設すること。面倒を見る家族に先立たれた子どもたちの支えるために支援活動をすることです。

 

現時点で、ベトナム全国に、友好村のような施設は26カ所あります。これらの施設は、父母のいなくなった身寄りの無くなった子どもたち向けの施設です。

 

ハノイから40キロほど離れたところに、150名ほど収容できるセンターが部分的に完成しました。まだ全部が出来ていませんので、150名しか収容できていません。すでに150名の生活が始まっています。

 

ハノイだけではなく、中部のダナン、南部のホーチミンにも、同様のセンターを設立する計画です。それらのセンターは、すべてVAVA本部直属のセンターとなります。身よりの無くなった人たちを100%,そのセンターに入ってもらって、生活できるようにしたいと努力しています。

 

ルック副会長

いま、私たちが一番困っているのは、各世代にわたって被害者をもつ世帯が多いことです。祖父、父、子ども、孫・・・それぞれの世代で被害の障害が後を絶たずにでてきます。政府と民間企業の支援も、一部だけであり、十分な支援が出来ているとは言えません。支援が満たされている状況ではないです。ベトナムはまだまだ発展途上の国ですが、経済発展とともに、官民ともにそういう被害者家族への支援の精神を育てていきたいと思います。

 

私は、共生社会経済学科に所属している3年生の遠藤良記と申します。

私は、ベトナムの被害者に足湯をさせていただきました。皆さん、働きの者の足をしていて、そのような方々が枯れ葉剤の被害に苦しめられていることに、私は心を痛めています。

 

副会長のお話しにもありましたように、日本なら広島、長崎、さらには全世界で悲しんでいる方々がいると思います。そのように苦しんでいる人々と手を取りあって生きようと思えたのは、今回のベトナム訪問が大きな理由の一つだと考えています。

私は、ベトナムがとても好きになりました。インターネット、書籍にも勝る貴重な体験をありがとうございました。ベトナムの被害者の方々の御健康とご幸福を祈ります。(拍手)

   

初めまして、吉田佳純と申します。

枯れ葉剤の被害を受けた人達に、何をすれば一番いいと考えていますか?

 

ルック副会長

私たちは、被害者の一番必要なことをするべきだと考えています。被害者の人の一番必要なことは、それぞれ異なります。その方が何を必要としているかを知るために、まず調べなければなりません。

被害者の方々は、肉体に抱えた被害に苦しんでいるだけでなく、精神的にも厳しい試練に直面しています。必要としているのは、薬や治療だけでなく、困難を乗り越える力とも言えます。

私たちに求められていることは、被害者一人一人の必要なことをきちんと把握して、二−ズに応えられるように協力することです。

 

Pham Truong 国際局長

私たちの努力目標は、被害者が一般社会の一員として入って行けるようにすることです。

 

ルック副会長

ベトナムの諺に、「喉が渇いている人には、水を与えよ」というのがあります。「空腹の人には、パンを上げます」 人によって、必要なものは違うということです。

枯れ葉剤被害者は、社会の弱者です。ベトナムのみならず、世界の方々との連携やサポートを求めています。社会に入っていける努力が、私たちには必要だと感じています。

 

レ・クオンさん

支援に際して、覚えておいてほしいことが二つの側面あります。支援には物質面だけではなくて、精神的な支援も是非忘れないで頂きたいです。物資的な支援は誰でもできます。ある意味で、精神的支援は、もっと大事です。被害者にとってみれば、生きていくこと、そして、社会の中に入って貢献していくこと・・これが大きな目標になっています。それらの実現のために、応援することがすごく大事です。

 

横田絵美と申します。

被害者にお会いできる機会を与えてくださって非常に感謝しています。私は、被害者のお宅で、バイオリン演奏をしました。こういう機会は他でもございませんし、二度とない機会だと思いますので、バイオリンを持ってきてよかったと思います。自分のめでみたことを、日本に持ち帰って、多くの人に知ってもらおうと思います。ありがとうございました。

 

チャン・ゴック・タムさん(科学部)

来年2017年には、ダイオキシン2017の国際シンポジウムがカナダのバンクーバーで開かれます。【北村註:これに関しては、末尾に若干の説明をつけておきます】

第37回ダイオキシン国際シン歩ジウムです。折角ベトナムに来られて枯れ葉剤の勉強を直接されたのですから、事務局にレポートを書いて送ってみてはどうでしょうか。ホームぺージもあります。VAVAもこのシンポジウムに参加します。

 

ルック副会長

私が一番大事だと思うことは、人間同士の気持ちです。本日は、日本から来てくださった皆さんのお気持ちをよく感じとることが出来ました。被害者の方々にもきちんとお伝えしておきます。この経験を日本に持ち帰り、知らない方々に教えてあげてください。越日の友好が永久(とわ)に強く続くようにお祈りします。(拍手)

 

ここで、東北学院大学から、寄付として金一封と

  

日本のお茶をお贈りました。

  

日本のハンカチも東北学院大学からです。千田さんから。

  

東北学院大学から、ベトナムの戦場でカメラを撮り続けた澤田教一さんの「写真集」を贈りました。

  

最後に、2015年9月に科学部のタムさんと一緒に調査研究した報告書を、野崎先生から贈りました

  

ここで、記念撮影です。

  

 

VAVAの皆様、長時間ありがとうございました。

 

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| comments(0) | - | 18:12 | category: 東北学院大学 |
# 東北学院大学経済学部フィールドワーク同行記22

 

         

 

今日は、ひな祭りの日。全世界の子どもたちに、幸せな日々、健康な日々を祈りましょう。

我が家にも、小さいセット・・上のイラストでいうと最上段の二体を、二部屋に飾りました。お内裏様とお雛様 二人並んですまし顔 歌の通りの人形です。

 

昨日のアクセスは、134でした。ご訪問、感謝します。

 

12月23日 ちょっと悲しい話です!

 

スイカ割りを終えて、会議室にもどりました。

ここで、長年、友好村で暮らすロンさんから話を聞くことにしました。

      

名前は、グエン・ティ・ヴァン・ロン(写真上・左の人)

 

ロンさんに関しては、普通の会話はなかなか難しいと言われました。この友好村には、8人の寮母さんがいます。そこで、彼女の事情をよく知る友好村の寮母さん、グエン・ティヒエン先生に手伝っていただいて、話を聞きました。ロンさんのクラスは、グエン・ティヒエン先生だけが担当しているそうです。

ただ、ロンさんの家の事情は家の人ほど詳しくはないので、あまり深くを知ることはできませんでした。

 

ロンさんは、1987年生まれ。今年30歳。彼女は、第二世代の枯れ葉剤被害者として生まれました。

友好村に何年いますか? と質問しましたら、「覚えていない」と答えました。

寮母さんは、17年目と言いました

 

この友好村に一番長く滞在している人です。私の記憶では、友好村の形が整ってきた頃の2000年に入って来たと思います。私が、友好村に通い始めたのは、2001年ですから、彼女の方がちょっと早かったと思います。

     

     2014年12月 FW訪問時に野崎先生と・・。

 

生まれはどこですか?

「ナムディン」と答えてくれました。

ナムディン省は、有名なロバート・キャパが抗仏戦争の取材時、地雷を踏んで亡くなったところです。

 

お父さんは、1954年から1975年の間に、抗米戦争に参加して、その期間のどこかで枯れ葉剤を受けました。正確に、「何年から何年まで従軍」という正確な数字はもらえませんでした。

ロンさんには妹・弟がいて、ロンさんは三人兄弟の長女です。枯れ葉剤被害のクルーゾン症候群は、ロンさんだけに出ているそうです。

 

彼女は生まれた時から、クルーゾン症候群(後で少し詳しく説明します)に悩み続けている一方で、知的障害も持っています。

兄弟の二人は、ロンさんに似ている(つまりクルーゾン症候群が出ている、という意味で寮母さんはいっていますが、その程度は不明です)、知的障害はでていないそうです。下の二人は、普通の学校に通学していたといいます。

 

お父さんには、症状がないのでしょうか?

「若い時は、何も出ていなかったが、年をとってから、骨に痛みがでたりして、普通ではない」と、寮母さんは答えてくれましたが、これ以上の詳しいことはわかりませんでした。

 

ロンさんは、テット(旧正月)の時に、年に一度の帰省をします。ナムディン省は、ハノイから遠くないのに、年一回しか帰省できないのかぁ・・と胸を突かれました。

 

その時、寮母さんは、こう言いました。

悲しい話があります。こういう症状がでていて、社会の人々から、偏見を持たれています。家族も周囲を気にして、あまり迎えに来ません。自分の妹の結婚式にも、ロンさんは呼ばれなかったのです。田舎では、枯れ葉剤の被害者に対する偏見が残っていますので、とても残念な話です

ヒエン寮母さんは顔を曇らせました。

 

障害者を、家族のお目出たい席や葬儀にも出さない話は、時々聞きます。

胸が詰まります。家族の員数に入らない時がある・・・・こんなに悲しいことはありません。

 

自分の子の力を親が信じてあげられないのか・・・

障害の子と真っ直ぐ向き合う中で育まれた絆を一家が経験できたはずなのに・・

支えてくれる人達への心からの感謝も、普通の人と違った深感謝の気持ちが湧き上がってきたはずなのに・・・

普通と違った子どもを忌避した両親の態度には、大きな違和感と悲しさを覚えます。

 

学生さんと共に、考えてみたいと思います。子の障害は親に恥を与えるのでしょうか・・?

       

       造花にかけるロンさん 抜群の技術です。

 

彼女が、ワークショップで造花を作り始めてどのくらいたちますか?

「本当に、この子は素晴らしい子です。この子は何をやってもすぐ覚えます。いまは、造花をやっていますが、パソコン、裁縫など・・すぐ覚えられる子です。勉強や造花のワークショップ以外では、寮母さん達のお手伝いもし、年下の子どもたちの面倒もよく見てくれます。」

「あとは、とてもよく気が付く子です。こちららが何かをしようと思ったら、すぐ手伝ってくれますし・・・」

 

答えは少し方向がずれていましたが、私の記憶では、造花の教室が出来てすぐ彼女が始めましたので、多分10年を越える経験を積み上げていると思います。

 

ロンさんが作った造花が、会議室のテーブルに置かれていることを、ヒエン先生が教えてくれました。もっと早くに、気づいてあげるべきだった・・と反省。

「とっても器用な人です。ここにある花は、すべてロンさんが作ってくれました。造花づくりは、本当に楽しそうにやっていますよ」

「造花だけではなくて、お正月の時に作る料理は、鶏肉をよく使いますが、上手に、しかも速く毛をさばいてくれますよ」

 

ロンさんの健康状態は?

「比較的、頭痛が頻繁にきます。そういう時でも、人にあまり甘えたりすることはなく、自分でできるだけがんばってみたりする・・・んです。賢い人です」

 

「多くの子どもたちは、一定の年齢がくると卒業していきますので、ロンさんのように(長期間住み込み)ケースは非常に稀です。経済的に困っている子は、ここで引き受けますが、それでも、年齢が来ると卒業していきます」

 

「卒業して実家に帰っても、必ずしも幸せでないことが予想される場合に、ここのように引き受けてくれる場所があることはすばらしいと思います」

 

「ロンさんは、ずっとここに居たいようですよ。ここですと、同じ境遇の友だちがいますので、周りの人から、偏見の目で見られることはありません。気が楽だと思いますね」

 

ご家庭の事情がロンさんにきびしいようすですので、できるだけ長く面倒をみてあげてください。お願いします。と、私からお願いしました。

 

同僚から聞きました。「ヒエン先生は、とてもすばらしい先生です。本当に良く面倒をみてくれます。」

皆で、ヒエン先生に拍手を送りました。

 

ロンさんに話しかけました。

「健康でいてくださいね。きれいなお花もいっぱい作ってください。

日本で作られた造花を野崎先生が持ってきてくれましたので、ロンさんにプレゼントするそうですよ。」

造花は、野崎先生の奥さま探してくださったと伺いました。(写真下:左から、野崎先生、ロンさん、寮母のヒエンさん)

    

   彼女の作った造花の前で、全員で写真を撮りました

     

 

記念写真に引き続いて、各種贈答品の贈呈式です。

クー庶務課長に、圭太サンタから、プレゼントです。

    

友好村職員の皆さんへと、代表して同じく庶務課長に奥山さんから品物です。

    

もう一つ、奥山さんから東北学院大学のFWCから、友好村に日本からのお土産です。

    

横山絵美さんから、伊日本から運んで来た衣類を贈呈です。

    

同じく、衣類を渡邊佳奈子さんからも。

    

最後に、圭太サンタから、サンタの衣装を。

    

 

+++

【クルーゾン症候群】について、少し触れておきます。

 

クルーゾン症候群とは?

 

クルーゾン症候群とは遺伝性の疾病で、頭蓋早期癒合症候群の一つで、 赤ちゃんが生まれた時に既に先天性疾患として持っていることが多いようです

生まれたばかりの赤ちゃんは頭蓋がまだ癒合していません。脳の成長に伴って頭蓋も自然と大きくなりながら自然に癒合していくのが通常の成長過程なんです

しかし、クルーゾン症候群にかかっている赤ちゃんは、 頭蓋が癒合してしまっているために脳が発育する事ができず、 そのために、頭蓋の中で早期に癒合した場所の骨が成長できずに 顔面奇形や頭蓋奇形などの奇形を起こしてしまうというものです

 

どんな症例?

 

クルーゾン症候群は、その顔面奇形や頭蓋奇形の一つとして知られています。早期癒合している場所や程度によっては、治療が必要ないまま成人に達する場合もあるのですが、 場合によっては眼球が突出してしまったり、顔面に奇形が生じる場合などがある。ロンさんもこの例です。

 

++++

 

楽しかった友好村を辞しました。皆さん、元気で!

 

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| comments(0) | - | 09:06 | category: 東北学院大学 |
# 東北学院大学経済学部フィールドワーク同行記21

昨日のアクセスは125でした。ご来場、ありがとうございました。

 

12月23日 友好村冬季スイカ割り・大会

 

スイカ割りは、日本の夏の風物詩ですが、冬のハノイには、スイカは一年中あります。全国のどこかで必ず獲れるところがあるからです。 でも、冬のハノイではちょっと割高です。割高を吸収するために、少し小ぶりのスイカを注文しました。

 

買って下さったのは、通訳のミン・トゥイさんのお母さん。ちゃんとお目にかかって、先にお礼を申し上げておきました。まだまだ若いお母さんでした。

最初にお母さんが業者に聞いた時の値段より高かったので、かなり凄みを?利かせて値段を押し込んでくれたそうです。謝謝・・・いや、シン・カム〜ン!

 

用意したスイカの果実を、目隠しをした挑戦者が周囲の声だけを頼りに、手にした棒で割る遊びですね。前もって挑戦者の体を回転させ、平衡感覚を狂わせてから開始します。しかし、昨年の8月に、友好村で行った時には、申し訳ないと思うことがありました。

 

保養のために友好村に滞在している元兵士が参加してくれました。

しかし、少し身体が弱かったのか、3回の回転で、ふらふらしてしまったと、後で言われました。平謝りでした。

 

ヅンさんという友好村の前理事長が、「これは頭の運動にいいです」と仰って、すごく推進してくれましたので、私の願いは一瞬にして叶いました。子どもたちが、すごく楽しみにしてくれています。もう6年は続けています。

 

実は、「日本すいか割り推進協会」という組織があり、「すいか割り」の正式なルール?がありました!

・スイカと割る人との距離は5m以上、7m以内。
・スイカを割るのに使用する棒は直径5cm以内、長さ1.2m以内。
・目隠し用に手ぬぐい、またはタオルを用意する。
・スイカを「割る人」1名と「サポーター」を複数名で1チームとする。サポーターは、割る人に指示を出してスイカの位置まで導いていく。⇒ここ友好村では、ゲームに参加している時の一人胃がいは、全部サポーターです。ウィンウィンの関係です。
〜ゲーム開始〜
1、まず、「割る人」はフォーメーションローリング(スイカ割り前にぐるぐる回るやつ)をする。右回りで、5回と2/3回転する。⇒いつも三回にしています。
2、割る人はサポーターの声を頼りにスイカに近づき、棒を振り下ろす。ゲームスタートから棒を振り下ろすまでの制限時間は1分半。⇒このルールは適用していません。しかし、ほとんどの人がその時間内でやっています。今回、これに当てはまらない人が二人いました。
 

・勝ったチームはスイカを食べる権利があり、負けたチームは余ったら食べることができる。⇒ここでは、私たちは個人戦にしていますので、割れたスイカは全員が食べます。15個買って、3個を残して終えました。3個は、昼食時に食卓に出してもらいました。

 

では、写真でハイライトをご覧にいれます。まずは、サンタ・モテモテの写真から。

 

 

スイカ割り スタート!

    

  

    

さすが! 元女性兵士! その素顔!

 

 

 

 

残念賞二人(下)

 

元兵士も割りました!

 

 

 

伊藤さんを中心に全員で清掃しました!  無事終了! ただし、プラスチックの椅子二脚 崩壊。

     

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| comments(0) | - | 08:56 | category: 東北学院大学 |
# 東北学院大学経済学部フィールドワーク同行記20

昨日のアクセスは、153という数字を頂きました。ありがとうございました。

 

12月23日 おらあサンタだ! おらあ圭太だ!

 

戦後の復興が軌道に乗り始め、少しずつ明るさが見えてきた時代に「さらに底抜けの明るさ」を届けたNHKのラジオ番組「おらあ、三太だ」を私がもじったのですが、今の学生さんは全く知る由もありません。主人公の「おらあ、三太だ!」という元気な呼び声が子どもたちをとらえました。登場人物の花荻先生にあこがれ、教師を志望する女子学生もわんさか増えた時代です。

 

とうとう12月23日 イヴイヴの日になってしまいました。

東北学院大学の学生さんは、この日、ベトナム友好村を訪問しました。ひとえに、施設の子どもたちに喜んでもらうため、其れこそ底抜けの明るさを届けるためです。

 

3年前は、他のグループとかち合いましたが、ベトナム友好村は静かな朝を迎えていました。

糠澤圭太さんが、サンタになりました。

     

他の全員は、帽子をかぶりました。日本からお菓子を大事に運んできました。 

出陣式出陣式です。ハー事務局長を囲んで、さあ、出発です。     

             

           

   

 

    

 

  

 

  

 

    

 

  

 

  

    

  

恥ずかしがる子も(下)

  

 

    

 

  

 

  

 

  

 

  

 

  

 

  

  サンタとは、どこまでも一緒・・・

  

  圭太サンタが、誰からか、プレゼントをもらいました!

       

子どもたちの笑顔 いつまでも!!!!

 

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| comments(0) | - | 08:35 | category: 東北学院大学 |
# 東北学院大学経済学部フィールドワーク同行記19

昨日のアクセスは159でした。ありがとうございます。

 

12月22日 タ・ニエット小学校分校・最終回

 

「講堂で、バイオリンの音楽を聴きましょう」

先生の声で、5年生全員が講堂に入りました。

講堂に入ると、一人の女生徒が、副校長先生のとなりで、一所懸命お茶を入れてくれていました。

    

こういう時の授業にない「お茶のサーブ」に、副校長先生の“人を迎える心を育む”気持ちを知りました。感謝の気持ちで、シャッターを切りました。    

この子も、今年の6月で小学校卒業です。その前に、私が、この小学校を訪問するあてもありません。でも、いつか、必ず、近いうちに、写真を届けたいと思っています。

 

さあ、横田絵美さんのバイオリン教室です。

    

サッカー優勝チームの吉田佳純さんが、楽譜を持ちます。

     

生徒の目がバイオリンに集中しました。生徒は、誰一人雑談をしませんでした。聞き入っていました。

    

初めて実物を見た子も多いと聞きました。本物を見る、本物の音を聴く・・・バーチャルではない、“本物に触れる”機会を与えてくれた横田さんに、拍手が湧きました。ひとりでいいから、この中から、音楽界で活躍する人が飛び出してほしいと思いませんか。やはり、“初めての経験”は、のちのちまでインパクトを与えてくれます。

    

余計な話しですが、バイオリン本体と弓は、密接な関係があると聞きました。箸と箸置き以上の関係ですね。

箸置きがなくても、ご飯は食べられます。

弓がなくても、爪弾けば音は出ますが、基本的にはだめです。

 

こんなことも言われます。「高いバイオリンには、高い弓が良い。逆もあります。
100万円のバイオリンに500万円以上の弓を使っても、あまりいい音は出ません」

弓とバイオリンの関係は不思議ですね。

       「無料イラスト バイオリン」の画像検索結果

では、もう一つ。バイオリンを先に決め、後からバイオリンに相性の良い弓を選ぶ
という順序を守った方が良いです。弓を先に買うと、弓に合うバイオリンを探すのは、難しいです。靴に合う女性を探す、シンデレラ探しになってしまいます。」

 

今度は、東北学院大学経済学部の“混声合唱団??”の歌です。楽しい歌を歌いました。

    

ここで、プレゼントです。

東北学院大学の学生さん達がお小遣いを出し合って日本で買った手袋を贈呈。

    

シドニーのフリーペーパーの社長・編集長の大庭さんから預かった、冬に必要な靴下を5年生全員に贈りました。もちろん全校生徒230人分を、私は運んできましたので、副校長先生に差し上げてました。

    

    

    

学校の催しの時に集団で腕に付けて使える、リンリンブレスレットは、シドニー・ハノイで和食レストランを経営する奥井 悟さんのご好意です。

    

ボールはこの時贈呈できませんでしたが、奥山さんから、サッカーに必要なグッズを贈りました。ボールが早く見つかることを祈りつつ。

    

タ・ニエット小学校を後にしました。「山の分校 さようなら」

気温29度だったモクチャウが、急に黒い雲に覆われました。寒冷前線の通過でしょう。気温が急に下がり始めました。霧が出てきて、視界が悪くなりました。少し暑かったけど、良い時にサッカーをしたものです。

 

後はひたすら、ハノイを目指しました。里に降りたら、霧は消えました。

 

途中、ホアビン省で、山羊のヨーグルトのおいしいところで、一息つきました。

    

    

       

そして、ハノイで夕食。

クインさんのご主人にも来て頂いて、ホテルの近くで夕食を取りました。

    

子どもたちと午前中目いっぱい走り回ったソンラー省タ・ニエット小学校でした。皆さん お疲れさまでした!

 

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| comments(0) | - | 09:16 | category: 東北学院大学 |
# 東北学院大学経済学部フィールドワーク同行記18

昨日のアクセスは、117でした。ありがとうございました。

 

実践サッカー教室は、最高学年の5年を対象にしました。学校側からは全校生徒を・・という要望がありましたが、偏に時間の問題です。私には、卒業していく5年生が、楽しかった思い出の中にサッカーをいれてほしい・・・そういう願いがありました。

 

32名の5年生。4チームに分けて、そこに東北学院の学生さんが2名入りました。1チーム10名の編成です。勝ち抜き戦で優勝チームを決めます。勝てば、決勝進出です。つまり、最初のゲームが、準決勝です。

    

キックオフの笛が鳴りました。3試合のプレーの写真をいくつか集めてみました。

    

    

    裸足の生徒あり、サンダルの子あり・・・糠澤さんの左となりにいる男の子が、ボール二はなかなか噛めませんでしたが、ひたすら自軍のために働いている姿が胸を打ちました。

    

    その子が一番左(上の写真)に写っています。

    

    

    この子は低学年で対象外ですが、一緒にやりたくて仕方がないようでした。

    

    

    

    

    

    

何と、決勝戦は同点で、延長戦はなく、そのまま、サドゥン・デスのPK戦に持ち込まれました。ペナルティ・シュートアウトですよ。

   

   

   

   

   

   

   

優勝チームは、吉田佳純さんの黄色組でした。表彰式が行われました。

   

   

表彰台にあがった子どもたちの可愛い顔、純真な顔をみておると、また来たくなります。可愛いメダルを贈りました。この日、世とはメダルを下げて家に帰りました。どんな言葉で、ご両親に報告したのでしょうか?

 

ところが、この表彰式の時点で、ボールがなくなりました。誰かが持ち去ったのです。この日、教育委員会のお偉いさんの身内の方の結婚式があり、途中で先生が出席のため、半分以上がいなくなりました。この隙をついてボールが行方不明になりました。

奥山さんたちが、懸命に探しましたが、「すいません、みつかりませんでした」と言って来てくれました。

 

先生は謝りました。「必ず探しますので」と。

 

そこで、通訳を通じて、私は、「なるべく広く周知して、ボールをあぶり出して下さい」と。

タ・ニエット小学校に学生さん達が寄付するボールでした。小学校では、サッカーボールを所望していましたので、差し上げますと事前に連絡しておきました。

 

なんと、11日後の1月2日・・・ボールが見つかったという連絡とともに、ボールの写真が私のところに送られてきました。「見つかりました。大事にします」との副校長のメッセージもきました。

     

     11日ぶりに見つかったサッカーボール!

 

発見場所は、養蜂農場とのこと。誰かが人知れず、置いてくれたのでしょう。蜂蜜がついた蜂の足について、蜂が運んでのかも知れません。

         

蜂蜜が付着した誰かの手から、ボールが離れなかったのかもしれません。

勇気を振り絞って、農場に置いてくれた方・・・ありがとうございました。

 

この後、私たちは、5年生といっしょに、講堂に入りました。

 

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| comments(0) | - | 09:03 | category: 東北学院大学 |
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