〜愛のベトナム支援隊〜 Love and Support Vietnam

枯れ葉剤被害者を支援しよう!寄付金受付中!今年の衣類は目標達成!ご協力ありがとうございました!

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# 支援ツアーHand-in-Hand(88)クアンガイ省13・在宅訪問・足湯

2012年8月22日午後:

クアンガイ省で最後の在宅訪問に向かいました。クアンガイ市内です。
チャン・ティ・トゥイ・マイさん(写真下)のお宅です。狭くてもしっかりした自宅を持っており、働き手(次男)もいて、極度の貧困というわけではありません。

このお宅では末っ子のバオさんが足の障害を持っていて、枯れ葉剤被害者に認定されています。

マイさんのご家庭の概況を書いておきましょう。

ご主人と奥さんは、共にベトナム戦争に参加しましたが、別々の場所で参加していました。

戦場は、地元クアンガイ省です。奥さんは、ソンハー郡、チャー・ボン郡、ミンロン郡、モードゥック郡などを動いたそうです。軍隊への参加は70年から76年まで。マイさんは、青春の6年を戦場にかけたことになります。

奥さんは、従軍看護婦の役目を担っていたそうです。

「クアンガイの山奥に入っていき、山の中で生活していました(註:チャーボン郡のことを指していると思います)。治療薬は非常に少なかったです。山奥の野戦病院でいたので、麻酔薬を含めて薬が足りなくて、軍隊に薬品を運んできてもらわなければなりませんでした」

二人が結婚したのは終戦後です。しかし、ご主人はすでに他界されています。

お子さんは5人生まれたそうです。全員男です。
ところが、生んだ子のうち3人が亡くなっていきます。マイさんには、相当のショックだったに違いありません。

長男(生後10日ほどで死亡) 
次男(現在人民解放軍に在籍していますので、健常者と思います)
三男、四男は双子で、生後すぐ死亡。 
五男(この日お会いしたバーバオさんは末っ子で、下の写真でわかるように、左膝の部分で逆に屈折していて、松葉杖なしでは歩けません。)

バオさん(五男)は、枯れ葉剤の被害者に認定されています。

バオさんは、「生まれた時は普通の子でしたが、その後足の障害がでて、生後9ヶ月で外国人の医師団が来たので、手術を受けました」とお母さんはいいます。ここで見る限り、基本的な足の形に戻せなかったではないかと思います。これは、私の想定ですが。
でも、この足の障害を持ちながら、高校二年生までは通学していたそうです。

「松葉杖を使うと歩けるが、足が痛くなるのであまり遠くにはいけません。椅子に座っていても、腰に鈍痛があります」と、バオさんは言います。

趣味は、インターネットで新聞を読んだり、IT関係の情報を集めることだそうです。

母親「この息子を30年育てることは大変なことでした。冬になると熱がでました。それが枯れ葉剤の影響だとは思いませんでした。5人の子どもを産んで、3人死にましたので、どんなに苦しくても末っ子のために一所懸命育ててきました。学校にも行かせました」と、お母さんは苦労の一端を話してくれました。

聞き取りの時間は、これ以上はとれないので、足湯に移りました。


大庭さんと樋口さんがお手伝いしてくださいました。

その後、ご家族と懇談をしました。

時折、涙を交えて話すお母さんの話に、枯れ葉剤被害者を家族の中に一人持つことの大変さがわかります。まして、生んだ子を3人もなくし、生涯を一緒に歩めないことの、心が引きちぎれる辛さを秘めてきたことわかります。それでも、お母さんは、前へ前へと進んできたのです。

私たちは激励も兼ねて歌も歌いましたが、伴奏をしてくれる樋口さんとご家族の良い写真(大庭さんありがとうございました。)がありましたので、それに代えます。
お米の支援、日本製タオルの贈呈などをして、外で記念写真を撮り、お別れました。

 この日の内にハノイへ戻らなくてはならないので、付き添ってくださったクアンガイ省枯れ葉剤被害者協会の方にもお礼を申し上げ、一路ダナン空港に向かいました。

          
愛のベトナム支援隊・北村 元
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| comments(0) | - | 09:12 | category: 在宅訪問 |
# 支援ツアーHnad-in-Hand(87)クアンガイ省12・在宅訪問
2012年8月22日昼:

奨学金贈呈を終えた私たちは、昼前にもうひとつ予定をいれてありました。

チャン・ティ・アイン・ダオさんのお宅を訪問することでした。去年からの約束でした。一日中外にも出られないダオさんを、外に連れ出すことでした。

ダオさんといってもピンと来ないかもしれませんが、蓮の花奨学金を受けたチャン・ミン・ドゥックさんのお姉さんです。

早速、皆で、足浴のサービスです。石山さん、薄木さんが中心でやってくれました。
暑い時のぬるま湯。やはり気持ちがいいそうです。

お米と日本製タオルと衣類少々を贈呈して、その後、近くのお蕎麦屋さんに、ご一家と一緒にフォーを食べに行きました。
自宅からバスまで、弟のドゥックさんが車椅子を押します。

ほとんどバスなどに乗ることはないそうです。一家で楽しそうでした。

お蕎麦屋さんでも、若い人たちとの語らいで、笑顔が出ます。

食事と語らいが終わって、自宅までお送りしました。弟のドゥックんさんが大活躍です。バスに抱いて乗せる。抱いて降りる。抱いて車椅子からベッドに移す・・・もう、こういうことはお母さんのレさんでは危険でしょうね。すっかり、ドゥックさんにお世話になりました。ありがとうございました。

そして、アイン・ダオさんから、手紙をいただきました。

電動の車椅子を援助して欲しいという内容でした。
残念ですが、回答は「ノー」です。
理由は、家の出入りに段差があること。自宅周辺の道路事情が悪くて、転倒する危険性が大であること、ある理由があって、隣近所の助けがもらいにくいことなどです。

再会を約束してお別れしました。
ドゥックさん、猛勉強を。ツアーに参加してくれた大学生も、今この瞬間、懸命に勉強しています。頑張れ、ドゥックさん。
そしてダオさん、お母さんのレさん・・・どうか、お元気で。

次の在宅訪問へと向かいました。

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# 支援ツアーHand-in-Hand(75)ダナン市10・在宅訪問

2012年8月21日午後:

この日最後の在宅訪問は、グエン・ティ・リーちゃんのお宅になりました。リーちゃんとお母さんが、自宅前で並んで待っていてくれました。

昨年奨学金を贈呈したあと入院したと聞きましたが、リーちゃんは、どうやら元気をとりもどしたように見えます。学校の成績も、引き続き好成績をとって表彰されているようです。

早速、奨学金の贈呈に入りました。

+++

蓮の花奨学金証書

グエン ティリー
   Nguyễn Thị Lý ちゃん

   愛のベトナム支援隊は、ダナン市VAVA
   ヒエン会長の推薦で、奨学金XXX万VNDを
       ます。

  昔の人は、雲の上に国があると思っていまし

 た。今はからっぽ‥‥‥。でも‥‥‥、もう

   一度、ちゃんと調べてみようよ、雲の上に国が

  あるかどうか! そのためには、リーちゃんは

  健康でなくちゃだめだよ。体を強くして、ムン
 
 君とシャボン玉に乗って見に行ってごらん!

2012年8月10日

愛のベトナム支援隊

奨学金寄贈者:瑞枝リンカーン

立  会  人 北 村  元

+++

リーちゃんとほんとうに仲のよい弟のムン君。少しまた成長したようです。
前年に贈った奨学金の証書も、こうやってきちんとビニールで保護してくれています。

お米も日本から運んできた厳選された衣類もさし上げてから、足浴を始めました。

暑い夏でも、ぬるま湯に足をつけるだけでも気持ちよさそうでしたよ。ぬるま湯に浸かるな!なんてことが言われますが、こういう場合は健康に良いものです。やはり普段、家でこういうことはやっていないんですね。

いつも、リーちゃんの歌を聞かせてもらっているので、私たちも一所懸命歌を披露しました。

生田目さんの記念写真 ↓。

右端の人(写真下)は、地元の人ではありません。ツアー参加の大庭さんです。
区別がつかないみたいに、地元に溶け込んでいます。

名残惜しいですが、記念写真の時間です。

自宅前の通りまで送ってくれました。来年まで元気でね。

残念ながら、リーちゃんは作文を書くのを忘れていたようです。厳重なイエロー・カードです。

私たちは、次の訪問地クアンガイ市に向かいました。
到着は、夜8時前になりそうです。ホテル・チェックインの前に夕食にしないと、疲労がかさみます。


           愛のベトナム支援隊・北村 元
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| comments(0) | - | 08:21 | category: 在宅訪問 |
# 支援ツアーHand-in-Hand(74)ダナン市9・在宅訪問

2012年8月21日午後:

写真でご紹介したように、ギア君への奨学金贈呈式は、ギア君宅の床に座って行われました。

この後、岩田真弓さん提唱の足浴を行いました。希望者が多く、今度は外務省のタインさんまで進みでました。岩田さんの出番を奪いました。

写真で足浴をご紹介しますが、ギアくんのためにも少し書いておきたいことがあり、メモ風に書きます。

ギア君は、2012年8月から新高校二年生になりました。

学校は8月22日から始まるとかで、ちょうど新学期が始まる前日に訪問したことになります。良いタイミングでした。

私たちは、高校を卒業するお兄さんToanさんから手紙をもらいました。
「お世話になったお母さんに僕ができることは、この奨学金を弟に引き継ぐことです」と書いてありました。
私たちは、お兄さんのトアンさんの気持ちを汲んで、弟さんのギア君に奨学金を贈呈することで、枯葉剤被害者協会とも了解して、この日の贈呈となりました。

毎日、お母さんがバイクでギア君を学校への送り迎えをしていて、学校まで30分かかるそうですが、そういうギア君のことをかんがえると、バイクの送迎は危険をともなうようにみえるのです。

ギア君が好きな科目は文学だそうです。

実はギア君は、自力で立つことはできません。また、手を伸ばすこともできません。川津さんが、すべてをそばまでもっていかないと受け取れないのです。鉛筆をもって書くことはできます。先生が学校で教えてくれることを書くことはできるのですが、それで、ああいう形になりました。

お母さんのホアさんの話によると、ギア君は、この3年間体の調子は下り坂だそうです。体に痛みが出てきているそうです。心配です。

ギア君のお父さんは、ラ・タイン・カンさんといいまして、1985年〜1988年までの三年間カンボジアに派遣されたそうです。「戦争からは無事に戻ったのですが、体の調子はよくありませんでした。」と、奥さんのホアさんは説明します。カンさんすでに認知症を発症しています。2003年に交通事故に遭い、その後痴呆症が出たといいます。ご主人に質問しても、ほぼ全く理解できません。

お父さんが枯れ葉剤にコンタクトしたところはカンボジアしか無いわけですが、カンさんがどういう経路で枯れ葉剤とコンタクトしたか情報をしりたいところです。

いくつかの疑問が私に生じていますが、まずは枯れ葉剤被害者協会の推薦なので、後で調査をすることにしました。

この家族は、よってもって、すべて妻ホアさんの双肩にかかっているといえます。

兄弟二人は、枯れ葉剤被害者に認定されているそうです。
枯れ葉剤の手当は、兄弟ともに、月41万ドンです。

疑問の2は、金額は少し少ない気がします。政府からではなくて、ダナン市からの困窮手当と違うのか?と、私は思っています。フート省で最後に在宅訪問した家の次男の手当も、100万ドンです。

お兄さんがホーチミンの病院にいた時に、枯れ葉剤被害者と認められたそうです。念を押すために再度奥さんに、「息子はお父さんの被害を引き継いでいるのでしょうか?」と聞きましたが、奥さんのホアさんは詳しい事情を知りませんでした。ダナンの枯れ葉剤被害者協会に、再度問い合わせる必要はありそうに思います。

お母さんは健康そうにみえますが・・・。「時々足が痛くなりますが、だましだまし・・・なんとか暮らしています。」と、話していました。

お米、衣類、日本のタオルをさし上げて、記念写真を撮り、お宅を失礼しました。

            愛のベトナム支援隊・北村 元
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# 支援ツアーHand-in-Hand(73)ダナン市8・在宅訪問
2012年8月21日午後:

奨学金の宅配訪問です。
これまで2年間・・・お母さんが、歩けない自分の子どもを背負って、奨学金贈呈の会場にきてくれました。みなりは精一杯きちっとしていましたが、明らかに貧困の生活ぶりが出ていました。

歩けないトアン君を抱いて会場までつれてきたお母さんの姿を見ると、こちから伺うのが筋ではないかと思い始めました。バイクできてくれたのか、自転車なのか・・・

これは、一回在宅訪問し、生活ぶりを見ておいたほうがいいと一昨年思って、昨年は在宅訪問しますと、ダナン市枯葉剤被害者協会に申し出たのが、この日奨学金を贈呈するラ・タイン・ギア君の家庭です。

では、奨学金証書の文面からご紹介します。私たちの奨学金証書には、日越両国の国旗が入っています。

+++

蓮の花奨学金証書

                   ラ  タイン   ギア
                   LA THANH NGHĨA

     愛のベトナム支援隊は、ダナン市VAVA
     エン会長の推薦で、ギア君に奨学金XXX
     VNDを贈ます。

    有名な『巌窟王』の物語の最後の言葉は?

    「待て、それから希望をもちなさい!」です。

    どんなことがあっても、「希望」を絶対忘れな

    いように。 思うようにいかない苦しい時で

  も、忍耐強く、耐えましょう。「希望」が、ギア

  君を助けてくれるから・・・。

        2012年8月10日

        愛のベトナム支援隊

        奨学金寄贈者: 八尾 正光 圭子

        立  会  人  川 津   康 代

手もあまり伸ばせない・・・体も後ろよりかかる以外に体を維持できないギア君に、川津さんから奨学金と証書が贈られました。

+++

つづいては、弟のギア君に奨学金を譲った兄のトアン君の母の作文です。

2012810日、ダーナン。

母!!

私はたくさんの作文を書きましたが、母のことについて一度も書いた事がありませんでした。今日は愛を込めて、母のことを書きます。

母の眼差しはいつも、父と私たちの事を優しく見守ってくれます。時々、母と視線が合った時、何か暖かさと幸せいっぱいの家庭を感じます。その眼差しは、いつも私の活躍を見守ってくれますので、母は私を見守ってくれる神様のように思っています。

私に沢山の幸せを与えてくれるのは、母の手です。料理つくりや毎日脇目もふらず仕事をしている母の姿が、私の頭の中にいつも浮かんできます。私はいつも自慢げに私の母が作る料理は他の家のどのお母さんの料理よりも一番美味しいと言います。本当です。何処へ行っても、私の母の料理を思い出します。

母の足音・・・母が家の中を歩く時いつも「チャックチャック」という足音をたてて歩きます。その音を聞くと心の安らぎを覚えます。その音が聞こえない時に、すぐに父に「お母さんは何処へ行ったの」と聞きます。その音は私の心の安心感になっています。

毎日午前11時、または午後5時になると、その音が聞こえ始めます。なぜなら、その時間が、母が家の中の掃除や料理を作り始め家の中を歩き回る時間だからです。

母は私を大きく育ててくれました。母は私に色々な事を教えてくれる時、とっても優しい言葉で話してくれます。しかし、小さい頃の私は、母の話しがすべて理解出来たわけではありません。今少し大人になって、多くの問題を抱えた時、母が教えてくれた事が理解できるようになりました。問題を解決する時、誰をも傷つける事が無い様にしなければならない事を教えてくれました。

小さい頃はいたずら子で、母に口答えして、お尻を棒で叩かれた事があります。母は私を叩きながら涙を流していました。私はお尻を叩かれてすごく痛かったのですが、母が涙を流す訳が分かりませんでした。

その理由が理解できるようになりました。私が良い人間になるように教えてくれました。母の涙のお蔭で、自分がやったことを反省しました。そして性格もかわってきました。良い人間になるように毎日努力しています。安心してください。

この作文を38日(国際婦人の日)、または他の記念日に書いたほうが良いと思いましたが、今母のことを一番思い出していますので書きました。

母の愛を書けば、紙やインクが足りないぐらい書けそうですが、もう夜遅くなりましたので、これでおしまいにします。

母が快適な生活を送ることが出来ように願っています。
母を愛しています!!


+++

トアン君・・・作文ありがとう。しっかり書かれています。

3月8日のことを書いていました。ベトナムには「女性の日」と呼ばれる特別な日が1年に2日ありますね。3月8日と10月20日です。3月8日はトアン君も書いているように、「国際婦人デー」として世界で知られている日です。 

10月20日は1930年に女性の地位の向上のために、ベトナムで初の婦人の組合が設立された日です。

3月8日に、トアン君はお母さんに、花一輪でもあげますか?

日焼けした顔で、いつも精一杯動くお母さんのお顔をみて、まさにトアン君、ギア君の家庭の大黒柱だと思いました。

お母さんを思う気持ちが伝わってきますよ。

奨学金は、ギア君の勉学のために、ぜひ有効に使ってください。

          愛のベトナム支援隊・北村 元
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| comments(0) | - | 07:37 | category: 在宅訪問 |
# 支援ツアーHand-in-Hand(73)ダナン市7・在宅訪問
※支援ツアーHand-in-Hand(69)で、フエンさんの奨学金証書のご紹介の後に、フエンさんの御礼の言葉と、それに対するヒエン会長の説明の一言づつを追加してあります。

2012年8月21日午後:


在宅訪問の前に支援物資の購入です。
暑い昼下がり。人の通りも非常にまばらでした。

支援物資の購入の基本は、出来る限り現地調達です。質のいいものを贈呈したり、使う時は、日本で調達します。たとえば、小学校で使ったクレヨンなど。これは、奥井さんが日本から送ってくれたものですが、非常に質のよいクレヨンでした。
案の定、学校の先生から、「学校においていってくれませんか」とのリクエストが来ました。もちろん、贈呈するために持参したのですが。

ベトナムは米の輸出大国ですので、米は日本からわざわざ持参する必要はありません。その時の一番良い白米を買います。
去年まで世界一の輸出国だったタイが転落して、ベトナムかインドが一位になったと思いますが、正確な資料がありません。

ダナンでは、翌日のクアンガイ市での在宅訪問に使う米も購入しました。
時間の節約です。同じバスに乗せていけば、苦労しません。

市場からバスまでは、タインさん、宮尾さん、大庭さん、佐藤君に運んでもらいました。
25キロ入りです。
今年定年を迎えるタインさんが一番重そうですね。前傾斜をつけて、一番働いているようにもみえます。ハハハ。同胞のために汗を流すタインさん・・ありがとう!

宮尾さんはうれしそう。居住地三島市の人がみたら、きっと驚くでしょうね。「ベトナムで何の商売なさってるんですか」と。 宮尾さんも大庭さんも軽々。細腕の佐藤君は、いつも笑顔で・・・感謝。

こうして、ダナン市のはずれから在宅訪問は始まりました。
あるお宅につきました。

続きは、また明日から始まります。
また、読んでください。

          愛のベトナム支援隊・北村 元
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# 支援ツアーHand-in-Hand(72)ダナン市6・奨学生在宅訪問
2012年8月21日:

昼食を終えて、私たちは、今朝ハノイから戻ったという大学生のグエン・トゥイ・ハン(
NGUYỄN THÚY HẰNG)さんのお宅を、枯れ葉剤被害者協会の職員の案内で訪問しました。

第三の大都会ダナン郊外の新開地に建つ高級マンション群。ハンさんのマンションは、新しくはありませんが、その一角にありました。職員の方が、ハンさんと携帯で連絡をとりながら、たどりつきました。マンションの二階にハンさんの住むユニットがありました。初めて会えることになりました。

予定外の行動なので、早速お話を伺いました。彼女は、このマンションで、お母さんと一緒に暮らしています。

枯葉剤被害者協会からは午前9時に奨学金の贈呈ときいていたそうですが、その時は、まだハノイにいて戻っていなかったそうです。


シンガポールのことを質問しました。

「シンガポールでは、入院していたわけではありません。検査のために、二週間通院しました。ここに(と言って後頭部をゆび指す)に6センチほどの腫瘍があります。」と言いました。通訳のせいか、ハンさんのせいか、腫瘍の位置がどうもつかめない。

「8月から大学4年に進級しました。専攻はマーケティングです。来年(2013年)卒業の予定です。私の考えでは、大学卒業後二年間ほど仕事に就きたいです。それから奨学金を探して、出来れば留学してマーケティングの勉強をしたいと考えています。でも、大学院の専門はまだ最終的に決めていません。」



彼女は腫瘍をもっていることがわかりましたが、ハンさんは後頭部のあたりをゆび指すので、首なのか、頭の中なのか、正確な場所を知りたく、質問を考えていました。

頚部に出来る癌といっても診断名は様々です。 代表的なのは、喉頭がんや食道がん、甲状腺がんなどです。あとは頸部リンパに転移があったり、リンパ腫、脊髄腫になることもあります。
髪も黒黒とふさふさしているので、抗癌剤は服用はしていないのではないかと推測していました。

と、その時です。通訳のホアさんが、「えっ?」と、大声を上げました。
「今日は大学の試験の日で、二時から始まるそうです」と、ホアさんが通訳してくれました。
私は、「われわれより試験が大事だ」と言いました。
ハンさんは、半べそをかき始めました。

通訳は大きな声で「ディー・ディー・ディー(行きなさい、行きなさい、行きなさい」と大きな声を出し、彼女を急き立てました。



私は、インタビューを中止しました。
彼女は、階下においてあったスクーターで飛ぶように出かけて行きました。

枯れ葉剤被害者協会から言われたので、我慢していたのかもしれません。
家には、前年に奨学金贈呈会場に来てくれたというお母さんもいませんでした。私たちは、本日に至るまで、誰にも一回もお会いしていませんでした。

私たちの結論としては、とても残念ですが、奨学金の支給は停止です。その旨、ヒエン会長と、ライン副会長に連絡しました。

病を持っていることは十分承知しましたが、支援の優先順位としては彼女は上の方ではないと判断しました。

2012年7月にはシンガポールで海外治療を受け、訪問日までハノイで治療を受けている彼女の家の財政的状況を考えると、学業を続けたい希望を持ちながら、治療も受けられない、学業継続が困難な家庭を優先してきた私たちの対象とはならない家庭だからです。

それにしても、母一人、娘一人の家庭で、私たちには見えない部分が多々あります。枯れ葉剤被害者協会の女性職員も、とても連絡のとりにくい家庭だと言っていました。ですから、協会もどの程度、家庭の事情を把握しているかわかりません。きちんと把握できて、困難な状態に置かれている人を推薦して欲しいと願っています。

という結果になりましたが、作文は書いてくれましたので、下に掲載させてもらいます。その作文から、少し家庭の状況がみえてきました。

大学院への進学の希望も強いようなので、ぜひ夢を実現してほしいと願っています。

+++

私の母

 私と母は、小さな路地にある20平方メートルほどの家に住んでいます。でも、その家に住んでいる親子とても幸せを感じています。なぜかというと、母は私のそばに居て、一緒に過ごせることを無上の喜びと思っているからです。母親は私のためにたくさんの犠牲を払っています。

 母の人生は他の多くの女性のように幸せではありません。夫に支えてもらえないので、家庭のすべて母親一人で背負って、働くことの大変さを今噛みしめていす。ですから、母親は、娘の私だけが頼りで期待の星です。私を産み一人前になるまで育てている母親には色々大変な苦労や悲しみがあり、あっと言う間に母親は晩年を迎えてしまいます。

 ただ、私の母はまだ40歳未満ですが、苦労が顔に出るて、母の実年齢よりも老けて見えます。そして、母の口周りのホウレイ線や目元シワがあります。母の目の奥には、何か寂しげなものが揺れています。私のために色々苦労しているからこそ、母の手にタコ出来ています。でも、その母の手が一番大好きです。母の指細く長い指ではありませんが、私の目から見ると、いつも母の手が最も美しいです。

 私病気になって発熱したときにその手は私の世話をしてくれました。そんな時に徹夜している母の目の下にクマが出てきたに、私はきました。健康状態が思わしくないって、私はいつもなまけぐせがあり、病気になると、やはり母親に色々面倒を掛けるので、母に申し訳ない気持ちになります。

 だから、自分は、病気にならないように頑張って体を大事にしています。私は、母の心の底からすべての愛を受けて育っています。私は友達と肩を並べられるように母は自分の食事や着物などを倹約して育ててくれました。母は嬉し時もあり、寂し時もありますが、いつも笑顔でいてくれます。

 私が良い成績を得るたびに、母はとても嬉しくて心から笑顔を見せてくれます。母の顔は愛情と誇りに満ちていて、それを照れ笑いで隠していたなぁと思い返します。しかし、私は低い点数をもらった時、母は怒らずに微笑んで、慰め励ましてくれます。その笑顔は、本当に寂しすだと分かります。だから、母のために頑張るので、いつも笑顔でいて欲しいと願っています。

 私は父親の愛なくても、いつもそばにいる母親から愛をいっぱい受けて、いろいろ教えてもらい、心から感謝しています。家では、母一人、一人で一緒に住んでいるので、私はとても母を愛しています。母は、「私が素直にしていたら、お母さん永遠に生きている。」と言ってくれました。私は、そんなことは出来ないと分かっていますが、そんな気持ちで母を見た時、母の頭に白髪が出てきたと気付きました。母はずっと私と一緒に幸せに暮らしたいために、すべてを頑張りぬく決意しています

 
でも、時間が完全に止まってしまうことはありません。やはり、自然の法則を変えようと考える愚かなことだと気づきました。時間を止めてしまうのではなく、母の白髪が無くなるのではなく、ただ昔のように健康で幸せそうな若い母親戻って欲しい、私は
願っているだけです。

 “母は私の人生を照らしてくれる大型ランプのようなです。そして、私はそのランプを最も明るくるためすべての事に全力で頑張ります。”

NGUYEN THUY HANGより

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# 支援ツアーHand-in-Hand(64)フート省22・在宅訪問その4

2012年8月20日:

この日、二軒目の在宅訪問です。
お宅は、フート町内にあります。

枯れ葉剤の被害者は、ホアン・カイン・リンさんといいます。1983年生まれの29歳(当時)です。

お宅は、装飾品を販売するお店で中流家庭と見受けました。お母さんが、お店を切り盛りする社長主婦です。お子さんは二人で、二人共男子です。出して下さったお茶のおいしかったこと・・・。

お母さんは、ドー・ティ・ヴァンさんといい、1957年生まれの55歳です。お父さんは、ホアン・ヴァン・タインさんで、故人となられています。

主人は、南部の戦場(戦場は奥さんは知らない)に行って怪我をして傷病兵で戻って来ました。そして、枯れ葉剤の影響を受けました。傷病兵のセンターに入所しました。そこで、20年ほど前に亡くなりました。「戦争での直接の怪我が元で、脳に影響を与え、亡くなりました」(ヴァンさんの話)

リンは二番目の子で、第二世代として影響を受けています。先天的に全身麻痺です。
リンさんの症状は、自律歩行は無理で、移動は手押しの車椅子のようでした。

リンさんは、枯れ葉剤の被害の認定を受け、月110万ドンの手当を受けています。リンさんは、動けないだけで、会話はできます。

お母さんのヴァンさんにとっていいことは、リンさんのお兄さんが健在なことです。
岩田さんの足浴を受けながら、私たちはリンさんと話をしました。

リンさんは、比較的快活に話しました。

インターネットで・・・若い女性とメールのやりとりをしていると話していました。

日本の女性ともメールを交換したいと言っていました。女子大生参加の今年(2012年)、リンさんは文通の希望を述べました。

日本とベトナム・・・やはり言語のバリアーがあります。

30歳近いリンさんを車椅子に乗せたり、寝ているリンさんの体を起こしたり・・・するのは、母親のヴァンさんではもう無理が伴います。上のお兄さんがいるだけでも、大いなる助っ人です。

お兄さんは、気持よく協力してくれました。

若い女性と文通したいということで、記念写真は、まず女性軍だけで撮りました。ちょっと緊張しているリンさんです。

そして、男性陣が入りました。

ここでは、お米の支援をして、再会を約しました。

(フート省・完)

            愛のベトナム支援隊・北村 元
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# 支援ツアーHand-in-Hand(63)フート省21・在宅訪問3

2012年8月20日:

昼食を終えた私たちは、フート町内の枯れ葉剤被害者宅を訪問しました。
下見の時に、次の日の日程が厳しいので、できるだけ町内でお願いしますと、枯れ葉剤被害者協会には頼んでおきました。

暑い中、大庭さんがお米を運んでくれました。

午後一軒目のお宅は、ハー・ヴィエット・ドンさんのお宅です。母親のチャン・ティ・タオさんが応対してくださいました。ドンさんは、隣の部屋で就寝中でした。

息子のドンさんは、1986年生まれで、両親と一緒に、フート町内に住んでいます。お父さんの名前は、ハー・ドゥック・ドゥオンさんといいます。1959年生まれです。ご主人は、今仕事をもって働いているといいましたが、奥さんは詳しい話はしませんでした。チャン・ティ・タオさんは、姉さん女房で1957年生まれです。

お母さんのタオさんから、いろいろとお話を聞きました。
でも、息子のドンさんはぐっすり寝ているようで、起こしても、皆が訪問していて緊張すると良くないので、現役看護師の岩田真弓さんの足浴の場面は、残念ながら実現しませんでした。

お母さんのタオさんも、「人が大勢いると息子は興奮しますので・・・このまま寝かせておきます」と、説明してくれました。

タオさんのお宅には子供が3人いて、3人とも男の子です。ドン君はその真ん中で二番目です。ドン君の障害の状態ですが、生まれつき、体の中に(と言っています)イボのようなものがあったので、手術しないと取れないと言われた。お母さんも正確に説明できず、具体的に何を指しているのかわかりませんでした。レックリング・ハウゼン病のことかもしれません。このことはまた機会を見つけて、お話を伺うことにしました。

三人の中では次男ドン君が一番症状が重いようです。枯れ葉剤の患者に認定されていて、毎月110万ドンを受給しています。ここのお子さんは、枯れ葉剤被害の第二世代です。

お母さんのお話をうかがっていると、ドン君を初め3人兄弟の体にいろいろと異常が浮かび上がって来ました。

次男は生まれた時に、腰から下は全然動きませんでした。足の辺も神経を感じなくて神経麻痺しています。手は動かせます。私たちはだんだん年をとっていますし、次男は自分で何も出来ないので、それが一番の心配です。

生まれたばかりの時は、年に何回も病院に行きました。手術を受けさせたいと何度も思いましたが、手術をしても意味が無いと言われ、ずっと我慢しています。実際、1歳になる前に手術をうけましたが、医者からは、これ以上手術をすると、命は危ないと言われ、以後はしていません。お尻にも一つできています。骨にも穴が空いているようです。

             背中に幼少の頃の手術の痕がくっきり↑

ドンは、私たちと話は普通にできます。しかし、機嫌の悪い時は、よく物を投げたり、壊したりします。普通の状態であれば、食事は自分でできます。機嫌の悪い時は、食事もとりません。

シャワーは、私一人では出来ませんので、ご主人が帰るのを待って、二人で行水をさせます。

主人がいないときは、近所の人が手伝ってくれます。丸いたらいに座らせて、水を遣います。小さい椅子に座ることもできます。フートの町から支給された車椅子にも座れます。知らない人が、シャワーをしても、うけつけません。私以外に女性が近づくことは、受け付けません。痙攣は、天候次第ですが、気温の高い日などは痙攣がおきます。一度おきると、落ち着くまでに1時間くらいはかかります。そうなると、部屋の中に一人にさせておきます。

食事は、大体一日に3回とります。取らない日もあります。貧しい家族の生まれなので、何でも食べてくれます。普通に安定しているときは、母親にも優しくしてくれます。

そして、長男、三男にも少しだけ障害があります。三男は耳の後ろが辺で、耳の形も少し奇形です。そして、難聴も少しあります。


長男は学校を卒業して、三男は、いま、電気大学三年生で勉学中です。従って、三男は、近所の人に『耳が3つある』と言われていじめられましたので、本人は手術を受けたいと何度も言いました。

主人は、クアンガイ省で戦いました。健康はよくありません。歯がよく抜けます。鼻孔の皮膚に問題があります。私自身は戦場の経験はありません。」

以上は、タオさんの話の要旨です。

ここまでお話をうかがってお別れすることにしました。

「今日は大勢で押しかけてしまいました」と申し上げると、
「いいえ、狭い所で申し訳ありません。ありがとうございました」・・・礼儀ただしいお母さんでした。

大庭さんから、支援のお米を贈呈しました。

ドン君だけではなくて、お母さんにも使っていただけるようにと、石山さんから衣類を贈呈しました。

                             涙をながすタオさん↑

また、日本各地から集めた日本製のタオル・・・これは抜群に質の良い物で、在宅訪問数で集まったタオルの数を割って、差し上げました(写真下)。さすが、日本のタオルは使い勝手がいいです。

ご寄贈くださいました徳島から仙台までの方々・・・ありがとうございました。

タオ(中央)さんの激励のため、記念撮影をしました。

            愛のベトナム支援隊・北村 元
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       <本ブログの無断転載・複製を固く禁じます>

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| comments(0) | - | 11:03 | category: 在宅訪問 |
# 支援ツアーHand-in-Hand(46)フート省3・在宅訪問その2
 昨日の熱波を生き抜きました。
シドニーの記録は、42・5度でした。住んでいる区域によって、+ー二度くらいの差はあったでしょう。今日は、18度以上下がって、ひんやりとした風が吹いています。
タスマニア州では100戸以上、ヴィクトリア州では200戸以上が消失していますが、いまのところ、焼死者は住民にも、消防士にも出ていないようです。
ということで、今日も、ブログの先を急ぎます。

今日は、フート省での在宅訪問2軒目となるラウさんのお宅です。

バスを降りて少し歩きました。大庭さんが重い米を軽々と運んでくれました。大感謝!

子猫の出迎えを受けました。今日は何があるんだ!という表情をしています。

ラウさんのフルネームはグエン・ズイ・ラウさん。1952年生まれです。まだ60歳です。戦争から戻ってきて、手の震えがとまりません。お話も出来ないようです。奥さんは、ご主人より2歳年下で1954年生まれです。チュウー・ティ・ニーさんといいます。

挨拶が終わって、岩田さんはすぐ、足浴を始めました。気持ちが良さそうでした。

 ラウさんは時々笑みを浮かべて、気持ちよさそうな表情をしてくれます。(写真上左)

ラウさんはマダ60歳。そのラウさんが家の労働力として加われないところに、家庭的にも、社会的にも大きな損失があります。奥さんも、どうしても付ききりに近い介護状態となってしまうからです。

奥さんのニーさん(写真上)からもいろいろとお話をお聞きし、私たち一行はメモ帳にしっかりと書き留めて、深刻な家庭状況を理解していました。

足浴は、寒い日にすると、一層喜んでもらえますが、奥さん一人でやろうとすると、これはあまり楽ではありません。たらいに足を入れる時にも、後ろを支える人が必要な場合があります。そういう助っ人がいない家庭では、私たちのような訪問者が来た時のみとなります。

                     お米を贈る大庭さん(上)と衣類・タオルを贈る阿部さん(下)

今回の在宅訪問では、日本の上質なタオルを差し上げています。これも、日本の多くの方から、タオルのご提供をいただいています。ありがとうございました。
大庭祐介さんからお米を、阿部真帆さんから衣類とタオルを贈呈してもらいました。

ご夫婦で納得のいく会話ができないこのご家庭で、沈んだ雰囲気を感じました。
貧困度では、1軒目のトゥアンさんのお宅よりは遥かに貧しいです。

記念撮影をしながら、いつか、再訪をしようと思いました。

ところで、最前列の直立不動の男性はどなたなのでしょうか? ラウさん(直立不動の左後ろ)を皆で支えて、庭先まで出て来てもらいました。

帰る時の猫は、「何もおきなかったにゃあ」と、緊張感はまるで無し・・・さいなら!

          愛のベトナム支援隊・北村 元
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