〜愛のベトナム支援隊〜 Love and Support Vietnam

枯れ葉剤被害者を支援しよう!寄付金受付中!今年の衣類は目標達成!ご協力ありがとうございました!

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# 書道入門5〜届け!東北へ◆船縫鵐咼鷯糞譯毅毅紘隊〜
 

9日の日曜日、東京・日比谷野外音楽堂で、東日本大震災で被災した宮城県にゆかりのあるアーティストが中心となったチャリティーコンサート「アコースティックフェス@野音2011〜リスタートジャパン〜」が開かれたようです。

仙台在住のさとう宗幸、仙台出身の稲垣潤一、福島生まれの仔犬を養育中の太田裕美、
ブレッド&バター、両親が宮城県出身のビリー・バンバンら5組が参加したと、報道されていました。

さとうは震災当日の様子や復旧ぶりを話した後に、代表曲「青葉城恋歌」などを披露。「本来美しい故郷再生に向け頑張ってます。今後も長い支援とご協力お願いします」と呼びかけた、となっています。

写真を見て、さとう宗幸さんの髪の毛が白くなっているのに、驚きました。無理もありませんよね・・私が、初めてインタビューをさせてもらってからXX年ですからね。ご活躍を祈っています。

私は、あの人の歌声が大好きです。

最後は出演者が勢ぞろいし、「上を向いて歩こう」を2000人の観客と大合唱したそうですが、

そこで・・・、わが支援隊も、2000人には及びませんが、ベトナムから、ベトナムの人たちの一人ひとりの文字で、東日本大震災からの、心の復興と街の復興に真心の応援をお願いしました。当然、中には枯れ葉剤が発症している方もいらっしゃいます。そういう方々の応援です。

場所は、ニンビン省。
ベトナム戦争に工兵の義勇兵として参加した559部隊の旧女性兵士の文字で応援します。

参加して下さった559部隊旧女性兵士の方々の賛同をいただいております。

東北応援メッセージは、「
ふゆはかならずはるとなる ま(負)げでたまっか!に、しました。

さて、いかがでしょうか? 8月19日撮影です。

誰一人として置き去りにしない復興を目指しましょう。
人間的な痛みから回復できずにいる人がいる限り、絶対に置き去りにしない・・・そこにこだわる復興であってほしいと思います。

それは、また、ベトナムの枯れ葉剤被害者が置かれている環境にも通じることです。

                    愛のベトナム支援隊・北村 元
                  Love & Support Vietnam
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| comments(0) | - | 07:50 | category: 旧女性兵士の559部隊 |
# 書道入門4〜559部隊3〜

かしましい・・というのは、漢字で「姦しい」と書きます。この雨の中を来て下さった女性は15名。漢字で書くと、姦・姦・姦・姦・姦しいと書きます。ご参加ありがとうございます。

とにかく賑やかでした。沈黙のときは、亡き兵士に黙祷を捧げた時だけ。
井戸端会議がびっくりするくらいです。

いよいよ清書の時間が迫ってきました。
おどろいたのは、この写真です。

筆で一度も書いたことのない外務省のタインさんが指導をしているのです。さすが、人生至るところに指導者あり・・・のベトナムらしい風景です。 ↓

苦闘・・・・ビンさんのお孫さん・・・なんで、右腕に墨をつけたのでしょうか??? 挑戦してくれてありがとう。 ↓


乾燥させてラミネートです。↓

さて皆さん、出来上がりました。自分の作品にうっとり ↓ ・・・ラミネートと上下の竹で一層引き締まりました。福島の藤島賢三さん・・竹は良かったですよ。最高です。ありがとうございました。竹林再生プロジェクトhttp://chikurinsaisei.blog93.fc2.com/・・・さまさまです。竹の国ベトナムの人も見なおしているのではないでしょうか。

清書してラミネートが出来上がる前に帰られた方もいらっしゃいますが、とりあえず、作品を持って記念撮影です。ベトナムの”山川さん”の勢ぞろいです。山川さ〜ん、ありがとうございました。

そこへ日本の人に御礼状を書いていたビンさんが突如参加して、もう一度記念撮影。漢字には無縁だと思っていた559部隊の旧女性兵士ですが、ビンさんだけが、漢字で『陳氏平』・・と半紙に署名しました。驚きましたし、女性らしい字が入っていないので、またびっくり。皆が整列している僅かな瞬間に、作品を裏返しにしてしまった方が二人いました。カメラのファインダーからは気が付かず、そのまま撮りました。私の責任ですね。スミマセン。

さて、続きは、明日です。
本日も御覧下さり、ありがとうございました。

愛のベトナム支援隊・北村 元
Love & Support Vietnam
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| comments(0) | - | 07:31 | category: 旧女性兵士の559部隊 |
# 書道入門3〜ニンビン省559部隊旧女性兵士2〜
この記事は、ツアー17回目の報告です。
さて、儀式が終わると、今度は書道入門編です。

奥井さんが、半紙をかなりたっぷり用意してくれたのですが、何しろ元気のいいご婦人ばかり。ノリに乗って、バンバン書くかもしれません。で、ちょっと心配になり、二日前に、ハノイ市内で、下書き用の古新聞を用意しようと、あちこち行きました。

ここで、不思議に感じたのは、ハノイで古新聞が手に入りにくかったことでした。今でも、そんなはずはないと、確信しているのですが。

探し方が悪かったのかもしれませんが、なにせ国家の行政機関である外務省のお役人さまと一緒ですから、そんなに悪いはずはない思います。

彼が探したところ、(2〜3軒お門違いの店を回って、正直言って面倒にもなったのですが)、つまり古新聞はない・・と。
そして、なんと、乱暴にも、当日の新聞しか無いと当面の外務省さまの結論です。そこで練習に便利なタブロイド版を買い集めましたが、これに下書きをするのかと思うと、かなりギルティを感じました。新聞としての役目を終えない内に、下書きの紙に回るのです。

先日、奥さんが拙宅に見えた時は、紙は高いのを使いなさい・・と教えられたそうです。もっとも、それは下書き用ではなくて、清書用の話ですが・・・。それで、性根が座るということでしょう。

そして、日本の朝刊のように、頁数が多いわけではありません。せいぜい24頁建てか20頁建てです。
それで、結論ですが、ニンビンの旧女性兵士は、やはりバンバン練習をし、紙はぎりぎりでした。新古紙はあってよかったのです。

しかし、どんなことにも、最小のルールが必要で、宮尾さんから説明がありました。


筆の構え方、持ち方はボールペンや鉛筆とは違います。

書道では正しい姿勢と筆の持ち方がとても大切です。美しい文字は正しい姿勢から生まれます。

机の正面に座り、机と身体の間は握りこぶしひとつ分くらい離します。肩の力を抜きリラックスして背筋を伸ばし身体を少し前に倒して構えます。正しい姿勢をとれば視野が広がり、紙面全体がよく見えるため、大きな筆の運びで伸び伸びとした表情豊かな文字を書けます。

姿勢は書道に対する心と体の構えです。精神面においても大事な要素となります。大切なのは書くことに集中し心を込めることでしょうね。

ボールペン主流の時代です。自ずと、筆の持ち方は違います。 が、ニンビン省のご婦人にかぎらず、多くの人がボールペン時代を象徴する持ち方です。

筆の構え方で重要なのは、肩の力を抜きリラックスして自然に構えることです。筆のほぼそ真ん中を持ち、和紙と向き合います。

上の写真をみると、どうしても、手首をテーブルに置いてしまうようです。楽なんですよね。いきなりですから、仕方のないことですが・・・・。肘までの腕を宙に置くことがいかに大変なことか・・分かりますね。よく物事が上手になることを「腕を上げる」と言いますが、実はこれは書道から生まれた言葉らしいです。筆を構えるとは、手首からひじまでの事です。書道が上達することを指すといわれています。筆の構えがいかに大事かということがわかりますよね。

ビンさんのお孫さんも参加してくれました。可愛いです。

普段にぎやかなご婦人たちも、けっこう真剣に身を入れて書いてくれました。

                     愛のベトナム支援隊・北村 元
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| comments(0) | - | 08:00 | category: 旧女性兵士の559部隊 |
# ツアー(16)〜ニンビン省559部隊旧女性兵士1〜
 8月19日の午後、私たちは、長く交流を結ぶ旧559部隊の元女性兵士の皆さんとお会いしました。
この時、雨は小降りになっていましたが、それでも、10数人が駆けつけてくれました。

私と旧559部隊幹事のビンさんとの出会いからもう、10年経ちます。旧友です。

まず日本のある旧友からことづかったお見舞いのお手紙と金一封が、宮尾さんから渡されました。
ビンさんは、この1年間で3度から4度手術を、ダナンで受けました。
そのことを連絡しましたら、ある旧友が、丁重なるお手紙を書いて下さいました。

そして、静岡市在住の北村修治さんが、私たちの出発直前に、わざわざ心を込めて焼いてくださった”マドレーヌ”をことづかり、たっぷりと贈呈しました。6月に訪問した時にも、”修治マドレーヌ”をさし上げていますので、味は覚えていてくれました。その時も、ビンさんは、すぐその場で御礼状を書いていました。

マドレーヌは、お菓子を最初に作った人の名前です。

マドレーヌの発祥については1755年、ロレーヌ公スタニスラスのためにコメルシの女性、マドレーヌ・ポルミエが作ったというものが有力ですが、サンティアゴ・デ・コンポステーラへ向かう巡礼のためにそのシンボルであるホタテガイをかたどってマドレーヌという女性が作ったという説もあり、実際恩ところははっきりしていません。

でも、静岡で焼いて下さった修治さんは、れっきとした男性です。すばらしい腕前です。

つづいて、私たちの今年のグループには、4人女性が参加しましたが、
4つの折り鶴のレイを一人ずつかけて、ビンさんを激励しました。

                 岩田佳子さんから。↑

            ある旧友からの代理で、北村登喜子が↑

岩田さんは、シドニー郊外の病院で働く現役の看護師さんです。↑ ビンさんは、ベトナム戦争に工兵として従軍しましたが、余りにも負傷者が多いので、勉強して、看護婦として兵士を助けました。二人の看護師さんの出会いです。

            川津さん(右端)が最後のレイを贈って、レイは4つに。↑

もろもろの贈呈を終わった後、私が、沖縄の559部隊とも言えるひめゆり部隊の話をさせてくださいと言って、挨拶しました。

ビンさんが、メモを取り始めました。知らないことは、何でも吸収する勉強家です。

毎年、6月23日は「沖縄慰霊の日」です。66年前の1945年6月に何があったか。短くお話しします。

米軍が沖縄に上陸したのは一九四五年四月一日。
このため、沖縄本島はアメリカ軍によって南北に分断されました。
そして、高校生の乙女240名が看護婦として動員されました。
ひめゆり学徒は、外科担当の看護婦として、自然の壕穴に配属されたのです。
戦火が激しくなる中、傷病兵に対し懸命な看護を行いました。
もうその時、すでに日本軍は戦うに武器なく、体当たりしか闘う方法はありませんでした。
そして6月18日、もう、ひめゆり隊を守れないと、ひめゆり部隊の解散が命じられました。
しかしこの解散命令は遅く、6月19日、ガス弾をぶちこまれたりして、ひめゆり部隊二〇四名が洞窟の中や海岸の岩場で戦死しました。
その内の14人は海岸で「集団自決」をしました。
沖縄戦で多くの女学徒の命が奪われた「ひめゆり学徒隊」に、隊の引率教師だった先生が、「生き残った私たちが、平和の尊さを訴えていきます」との誓いを込め、詠み贈った歌があります。
「いはまくら/かたくもあらん/やすらかに/ねむれとぞいのる/まなびのともは」
固い岩場で亡くなったのは、さぞつらかったでしょう。心安らかに眠
ってほしいと学友たちは願っています・・・という意味です」と。

ビンさんは、メモを取りながら、涙を流していました。

ここで、私たちは全員起立して、
ビンさんたち559部隊で亡くなった戦友、ひめゆり学徒隊の死に対して、黙祷をささげ、平和を祈りました。


ところで、皆さんは、 ♪ドイツを代表する世界的な軍隊行進曲 カール・タイケの「旧友」という曲をご存知ですか? 私が大学時代、最高に気に入った行進曲の一つです。
タイケは、多くの吹奏楽作品を残した作曲家です。 14歳から音楽の学習を始め、様々な楽器を習得。 19歳でヴュルテンベルク王国の陸軍に楽隊員として入隊しました。

25歳頃のことです。
タイケに作曲を教えてくれた楽隊長が去り、
替わって新たな人物が楽隊長としてやってきました。

タイケは、新任の軍楽隊長に完成した新しい行進曲の楽譜を見せました。
この曲に自信を持っていたタイケでしたが、その思いは砕かれます。

「行進曲は十分間に合っている。こんな曲はストーブの薪にしたら・・・」

楽隊長は冷たく言い放ち、楽譜をつき返しました。
失意のタイケはすっかり気を落とし、やがて軍楽隊を去ります。

その時、かつての同僚たちがタイケの送別会を催し、
この行進曲を演奏してくれたのです。
感激したタイケは同僚たちに感謝の思いを込め、
この曲を「旧友」と名付けたといわれます。

当時、20マルクという大変な安値で出版社に売られた「旧友」でしたが、
徐々にその支持を広め、今ではタイケというより
ドイツを代表する行進曲として、世界中で親しまれています。
「ストーブの薪にしてはどうか?」と酷評した当時の軍楽隊長の名は残らず、タイケの名と「旧友」は永遠です。

その行進曲の歌詞を書き記して、ビンさんの病気の回復を祈りたいと思います。 

戦さの径ゆく旧友たちは
古き友情に忠実にして
戦闘の中も硝煙の中も
常に団結を緩めない。

古酒に勇気と力を貰う。
それは真に生の源だ。
老いた胸は若く高鳴り、
思い出も生き生きと甦る。

中略

飲み干せ、つぎ注げ。
我らは古き仲間でいようぞ。

ビンさんの体を蝕むダイオキシン・・・
戦場の書類が整わず、国の手当も受けられないビンさん・・なんとかならないものなのでしょうか?
被害は被害として、ベトナムがアメリカに賠償を請求することは当然ですが、国の手当が書類のふびでもらえないという点では、人を平等に扱う、という基本的な事をきちんと築いていける社会をベトナムも築かなくてはなりません。そういう人が、ベトナムに数多くいるのです。

だからこそ、私たちとの絆をより太くしていきたいと願っています。

今日は長くなりました。最後までお読み下さりありがとうございました。

                    愛のベトナム支援隊・北村 元
                  Love & Support Vietnam
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