〜愛のベトナム支援隊〜 Love and Support Vietnam

枯れ葉剤被害者を支援しよう!寄付金受付中!今年の衣類は目標達成!ご協力ありがとうございました!

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# 東北学院大学経済学部フィールドワーク同行記13

昨日の続きを、書いていきます。

 

昨日のアクセスは379でした。行列ができるくらいのご訪問 感謝しています。

ありがとうございました。

 

12月21日(ホアビン省)

 

ノンさんが1970年に入隊、そしてラオス派遣ですと、まだ枯れ葉剤の空中撒布を見る最後のチャンスはひょっとしてあったかもしれません.。枯れ葉剤撒布中止に至るアメリカ国内の反対世論と国際世論の流れを思い起こしますと、最後のあがきで、撒布を続けたことが予想されます。しかし、ノンさんは「見たことはありません」と言いました。2014年の聞き取りの時は、撒布をみたし、浴びたと言っています。記憶が錯綜してきています。

 

撒布の結果の被害をたっぷり見たノンさんはこう言っています。

 

「環境破壊は南部でもすごかったです。1970年〜73年の間ラオスにいましたが、枯れ葉剤で、木も無くなっていました」と。

「真っ白で何も見えない日があります。霧なのか、薬剤なのかわからない時がありました」と、ノンさんは言います。

 

北村註:1970年12月入隊は、アメリカ軍による枯れ葉剤撒布中止の1か月前です。撒布中止の指令が出される前ですので、撒布は通常通りと実行したと予想されます。濃霧の時には飛行機は飛びません。撒布で使用する飛行機はC-123型機です。もともとが輸送機です。枯れ葉剤は高高度では絶対に撒布しません。液が霧となって、相当流されるからです。逆に相当の低高度で撒布するので濃霧の時の撒布飛行は危険です。飛行はしなかったはずです

 

霧をみると、枯れ葉剤とつながる思い出すことはあるのでしょうか?

「被害をみれば、枯れ葉剤の撒布があったと思い出します。ある種の音を聞いても、戦争を思い出します。未だに夢もみます。特に身体が辛い時には、特にそうです」

 

調理に関しては、ノンさんから、ホアン・カムという言葉が、口をついてでました。炊事場の話がでましたので、ここでホアンカム・キッチンについて説明しておきましょう。現代的に言えば、戦場でのシステム・キッチンです。

 

           

軍駐屯地の炊事場には、ホアンカム・ストーブという排煙で煙を出さない方法が採用されました。これはホアン・カムという兵士が発明しました。

    

これによって、上空のアメリカ軍の飛行機から北ベトナム軍や解放戦線軍の部隊の位置を探知されることは非常に少なくなりました。(北村註:ただし、これは、長期に駐屯する場合にこのシステムを採用しますが、今日着いて、明日出発という行軍中の行動では、深く掘るホアン・カム方式を採用する時間はありません)

食事作りも、小隊とか分隊という少人数での調理が行われたようです。

    

ホアンカム・ストーブとは、1951年にホアン・カムというヴェトミン兵士が発明したもの。炊事などで出る煙を拡散させて、アメリカ軍機に北ベトナム軍の居場所を探知されないようにするためのもの。実際的には、土中に排煙用のトンネルをほり、煙を四方八方に分散させて、色を極端に薄める役目を果たす。これは、主として、ベトナム戦争中に、南部のクチー・トンネルで使用されたが、他の隠れ場所でも使用されました。調理は、早朝か、深夜遅くに行います。これもアメリカ軍による探知をさけるためです。又の名をギター・ストーブともいい、やはり深く穴を掘って、上に屋根に相当するカバーをすることが必須です。長い竹を土中に埋めて煙を拡散しました。発明者は、1916年に生まれ、1996年に没したと言われます。毎日摂る食事の必要性から、知恵を絞って生まれたシステムです。

 

「戦争からは、1973年に戻りました。その時に、両親には木を使った家を建ててあげたかったです」 何かほのぼのとする言葉ですね。

 

1975年に結婚しました。(北村註:1年前の時の答えでは、1974年結婚と答えていました。年と共に、記憶が不正確になっていくことはし方がありません)」 

 

ノンさんが、プロポーズの言葉を教えてくれました。「あなたと結婚してもいいですか?」 そして、奥さんの言葉は「はい、いいです」 だったそうです。

そして、「ここは、家内の土地です」と言いました。

 

現在の健康はいかがですか?

ノンさん 「健康は普通です。(訪問する前の)2日間人間ドックに入っていました。関節が痛いです。薬をもらいましたが、痛みはなかなか取れません。薬が無くなると、やはり痛みが出ます。食欲があまりありません」

 

手当の収入を聞いてみました。

ノンさんの現在の枯れ葉剤の被害者手当は、200万ドン。

盲目の子三人の手当ては、一人100万ドンです。

「足りているわけではないですが、まあまあ一般的な生活は出来ています」

 

この辺で、聞き取りを終わりにしました。

学生さん達が、歌の準備を始めました。(つづく)

 

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| comments(0) | - | 08:48 | category: 東北学院大学 |
# 東北学院大学経済学部フィールドワーク同行記12

1月23日の第11回で中断していた東北学院大学経済学部フィールドワーク同行記を今日から始めます。連日の掲載がむずかしいかもしれませんが、とにかく完結に向かって進みます。

 

第11回は、ベトナム北部ヴィンフック省で、二軒の家庭訪問をしました。一軒は、筋ジストロフィーの長男をもったご家庭です。二軒目は、魚鱗癬の長男次男をもった若いお母さんのいる被害者家庭を訪問し、学生さん達は、枯れ葉剤が引き起こす病の酷さを目に焼き付けました。今日からが、新しい部分です。

 

12月21日 ホアビン省カオフォン郡

 

この日は朝8時前にホテルを出て、北西部にあるホアビン省に向かいました。ホアビンを漢字でかけば、和平です。少数民族ムオン族の都と言われるホアビン省。

 

ここでは、ホアビン省枯れ葉剤被害者協会の会長がムオン族です。同協会までいくと遠回りになりますので、途中で待ち合わせしたいと、通訳、運転手に頼んで老いたにもかかわらず、結局運転手か協会側かどちらかが自信がなかったのでしょう。同協会まで行ってしまいました。

 

この日は、スケジュールがタイトなので少しでも、時間を節約したかったのですが、どうもうまくいきませんでした。すでに40分ほどのロスがでて、目指したブイ・ヴァン・ノンさん宅に着きました。

 

16年の8月に、私は訪問していますので、4か月ぶりの顔合わせです。ここでは、学生さん9名に私がご家族からの聞き取り役、野崎先生は、ご家族にちらし寿司を作るとのことで、日本から美味しいお米を持ちこみましたので、親切な運転手さんと台所でフィールドワークです。

    

【写真説明】手前左から、三男ブンさん、右へ父親ノンさん、ノンさんの後ろが、長男のトゥアンさん

 

聞き取った話の内容を100%開示することはできませんので、2〜3点を拾ってブログにまとめます。

 

ブイ・ヴァン・ノンさん宅は、ホアビン省カオフォン郡にあります。

 

ノンさんのご家族の構成は、奥さまのブイ・ティ・ニャックさんと、5人の子どもさんからなります。ノンさんはベトナム戦争の末期にラオスで従軍しました。

 

第二世代が受けた被害は、4人に及んでいます。

長男は、ブイ・ヴァン・トゥアンさん。すでに今年41歳です。先天性の盲目です。

長女は、ブイ・ティ・ティエンさん。彼女自身には、目立った被害は出ていませんが、生まれた長女に血液がんらしい(詳細が分かっていないご家族の話だけでは、病名を断定できません)病気が発症し、被害は第3世代にまで出ています。

次男は、ブイ・ヴァン・ティエンさん

次女は、ブイ・ティ・ニンさん・・・この二人は長男と同じく先天性の盲目です。

三男は、ブイ・ヴァン・ブンさんで、この方は、8歳の時から湿疹になやまされ、いま両足も含めて、身体の各部にかゆみを伴った皮膚病がでています。いろいろの治療をこれまで試みましたが、治癒に結び付く効果はでていません。

 

経済的には極貧ではないですが、枯れ葉剤被害者手当以外には大きな現金収入がありません。愛のベトナム支援隊は、生活向上の一助にと、昨年8月に牛を贈呈し、今後生まれる牛を売って現金にする方法を試しています。

 

さて、ノンさんがラオスの戦場に向かったのは、1970年12月です。3か月かけて、全てが徒歩の行軍でラオスに向かいました。ハノイを南下し、タインホア⇒ゲアン⇒ハティン⇒クアンビン(ここまでが、旧北ベトナムでず)⇒ここからチュオンソン山脈に入っていったそうです。地図があれば、追ってみてください。

 

父親のノンさんの話をいれて、まとめてみました。

 

「戦争に行くということは、もう家族の誰にも会えない・・・そういう気持ちでした。1970年12月にトゥン・ナイ(Thung Nai)村(カオフォン郡)で入隊しました。数えで20歳の時の入隊です。軍人として足かけ3年、戦場にいました。行軍中に危険に遭ったことはありませんでした」 

ちなみに、当時の村の名前はそのまま、現在も残っています。

 

歩兵として従軍したノンさん。6か月(北村註:今までは3か月と言っていた。周囲の人に聞いたが、どうも3か月の方が正しいと判断する)かけて、ラオスまで行ったが、行軍は夜間でした。月夜の番ばかりではありません。

なぜ12月に、行軍をしたのでしょうか。現地が乾季で、行動しやすいためです。

 

「千人で行軍しました」とノンさんは言っていますので、これは「大隊」規模での行軍でしょう。基本的に、雨の時は行進しない。途中で降り出した時は、(雨にもよるが)靴をもって歩く。水が靴の中に入ってくるからです。

 

「信頼できる同志がいるので、行軍中に怖いことはありませんでした。作戦中に、アメリカ軍兵士が飛行機からパラシュートで丘の上や道路に降下してきました。その時は、爆弾攻撃があり、私の右手と右足に爆弾破片が入りました。でも、怖いのは、ジャングルにいる虎ですよ。ただ、家族を想い出しては、寂しい思いをしました。」

 

行軍中の時間割

朝5時から夕方6時までは、食べること、寝ること。

夕方6時から翌日の朝5時までは、行軍する。

 

行軍中の兵士の明かりは、帽子の後ろに取り付ける。後続の人は、祖の明かりを見て続いて行く。

行軍中に脱落した人はどうなるのですか・・・? 

「軍医たちがいて、遅れた兵士をあとで運んでくれるのです」

 

今日は、ここまでです。

 

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| comments(0) | - | 09:34 | category: 東北学院大学 |
# ひったくり犯確保に活躍するバイタク男性

昨日のアクセスは166でした。皆様に感謝します。ありがとうございました。

 

ホーチミン新に悪と闘う立派な人がいるんですね。文字の読み書きができないらしいですが、人生の基本を知っているのは、とても素晴らしいことです。

 

20年間茂みで眠り

 

ひったくり犯確保に活躍するバイタク男性

 

 独り身のグエン・バン・ミンさんは、ホーチミン市トゥードゥック大学の学生街にあるダー湖周辺にハンモックを張り、茂みの中で眠っている。ひったくり犯を捕らえ、学生たちの財産を守ることが日々の喜びだ。

 

旧正月の間、ミンさんはトゥードゥック区と東南部地方ビンズオン省ジーアン町に隣接する大学周辺でバイクタクシーをしていたが、学生たちは皆故郷に帰ってしまい、人影もまばらで普段よりも寂しかったという。

 

 20年近くここに住み、56歳になるミンさんにとって最も大事な財産は、1台の古いバイクと、ホーチミン市国家大学の都市区開発管理センターから贈られた治安維持の功績を讃える感謝状だ。

 

 ダー湖沿いのカフェでコーヒーを飲みながら、ミンさんは若い青年たちがバイクをふかしながら走らせる様子を目で追っていた。「ひったくりを犯しそうな疑わしい人がいれば、私はすぐにバイクを走らせて後を追います。旧正月の時期は一番窃盗が多いのです」とミンさんは決意を込めて話した。

 

 ミンさんは2016年の旧正月6日目の22時頃に起きた事件について話してくれた。その時、学生街の道路は人気がなく静かで、1組のカップルが湖沿いのベンチに座って話していたという。

 

バイクタクシーの客を待っていたミンさんは、バイクに乗った2人の若者が湖の側に停車し、そのカップルに殴りかかる様子を目撃した。ミンさんはすぐに木の棒を持ち助けに行ったが反撃に遭い、しばしの格闘の後に犯人たちは逃走した。しかし犯人たちは後日警察に捕まったそうだ。

 

 「実は、私はその犯人たちを午後から見張っていました。彼らはダー湖からノンラム三叉路までバイクをフラフラと走らせ、獲物を探していたのです。私は彼らが行動を起こしたらすぐに動けるよう待っていたのです」とミンさんは誇らしげに笑って話してくれた。

 

 またある日、ミンさんが客を迎えに行くためにバイクを走らせていると、自然大学の前の道路で猛スピードでバイクを走らせている若者たちの集団に遭遇した。その集団は雑貨屋の前に急停車し、それから1人が店の前に駐車されていたバイクの鍵を破壊した。

 その犯人たちが盗んだバイクで逃げようとする様子を見て、ミンさんは急いでバイクで彼らに突っ込んだ。しかし、若者の集団はミンさんを襲撃した後、逃走。「殴られて体中に打撲を負いましたが、バイクを守ることができたのは幸運でした」とミンさん。

 ひったくり犯たちと何度か闘ったことでミンさんが受けた傷は少なくない。流血し、擦り傷ができるたびに、ミンさんは自分で薬と包帯を買って処置をしている。

 

 ミンさんは自分の体に刻み込まれた傷跡1つ1つからそれぞれの事件を思い出すことができるという。「何人かと一緒に5〜6人のひったくり犯を捕まえた時、奴らに激しく蹴飛ばされ、脚に致命的な怪我を負いました」。ミンさんは話しながら、足首にある傷跡を指差した。

 

 ミンさんは文字の読み書きができず、父親や先祖の故郷がどこかも知らない。唯一覚えているのは、過酷を極めた戦争の間に家族と離れ離れになり放浪していたところ、養ってくれる優しい人に出会えたことだ。しかし、10歳の時に育ての母に叩かれたことを境に家を出てからは、転々としながら生活を続けている。

 

 30歳のときにミンさんはホーチミン市9区に辿り着き、スクラップ収集の仕事から雇われの仕事まで様々な仕事をして生計を立てていた。その10年後に大学周辺でバイクタクシーの仕事を始めて現在に至る。

 

 家はなく、部屋を借りるお金もないため、ミンさんは木の枝にハンモックを吊るして寝ている。天候が悪い時はさらにビニールシートを張り、雨風を防ぐ。毎日バイクタクシーとパンク修理の仕事をして、食事の他にコーヒーと薬を買うのに十分な3〜4万VND(約150〜200円)を稼いでいる。

 

 ミンさんはこう語る。「貧しい学生がいれば、私は無料でパンク修理をします。学生たちは子供のような年齢なので、私は学生たちをとても可愛がっています。助けられることがあれば助けてあげたいのです」。(出典:vietjo)

 

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| comments(0) | - | 10:07 | category: 管理者の徒然日記 |
# 16蓮の花奨学生からの報告29 前期ニンビン省編4・完

昨日のアクセスは130でした。ありがとうございました。

 

今日は、ニンビン省最後のは明日の花奨学生からの手紙のご紹介です。ロン君です。明るい表情がとてもいいです。

     

ニンビン省イエン・カイン郡

2016年10月5日

奨学生:Dinh Tuan Long

住所:ニンビン省イエンカイン郡チャン・ニン(以下略)

 

グループ・SHIMIZU様

ベトナム支援隊の皆様、

SHIROKAWA ERIKO様

 

今日はまた皆さん手紙を送ることができて、うれしいです。

まず、皆さんの健康と多幸をお祈り申し上げます。これからも、ベトナム支援隊がますます発展しますように。

 

ニンビン省Vavaのご紹介を通して、皆さんにお会いすることができました。この1年間は支援隊から奨学金と精神的な激励の言葉をいただきました。それらはほんとに大きな意義のあるプレゼントです。このプレゼントのおかげで、私は毎日前進して、自分の抱負を実現するためにもっともっと頑張りたいです。

 

自分ではそういう風に自覚して、頑張ってきましたので2016年に私は水利大学に合格しました。自分の夢を叶える目標にちょっと近づきました。

 

グループ・しみずと愛のベトナム支援隊には、私と私の家族から感謝の気持ちでいっぱいです。

 

大学に入ることができたからこそ、支援隊の蓮の奨学金の教育的な狙いがもっと 理解できました。支援隊と私たちとの間にある責任も感じられるようになりました。世の中に、見捨てられる人があってはいけません。誰も、自らの困難を乗り越えて前に進んでいける人間です。

 

  末筆しながら、皆さんのご支援に本当に感謝します。皆さんはお元気でお過ごしください。本当にありがとうございました。

 

ディン・トゥアン・ロン(Dinh Tuan Long)

     

+++

 

【北村からのお返事】

 

お手紙ありがとうございました。

奨学金が役だったと感じてもらえてとても、うれしいです。

水利大学で何を目指しているかが、手紙の中に書かれていると、もっと分かりやすくていいです。グループ・しみずさんにも御報告しておきます。

 

ロン君も言っているように、世の中に、見捨てられるしか価値の無い人間なんていませんね。孤独になってもいけないし、孤独にしてもいけません。誰も置き去りにしないという決意を持った人達としりあえば、そこから活路が開けていきます。その活路が開けたひとが、また、誰かの活路を開いていけばいいです。

 

ロン君、まずは、しっかりと水利大学で学んで、自分の夢を現実と開いてください。君の後を追う人がきっと表れてくると思います。

 

++++

 

さて、今日まで29回にわたってお送りしてきました蓮の花奨学生からのお便りの前期分は、今回が最後となります。30名の予定でしたが、ベトナム友好村で、奨学金をうけとったまま、故郷に帰り、手紙もくれなくなった生徒がいましたので、29名になりました。残念です。友好村の補充はいたしません。

 

いま、他の省で一人の候補をきめてあります。手紙を出すというご家族の確約とVAVAの承認がえられれば、今年の8月からは、また奨学生30名でスタートしたいと考えます。

 

後期の手紙の到着が3月31日ですので、5月くらいから始めたいと考えます。次回まで、しばらくお待ちください。

 

また、今後は、東北学院大学経済学部のフィールドワークの続編を数回にわたってご紹介します。

 

手紙の翻訳:Nguyn Th Thùy Linhさん

 

写真提供:生田目学文教授(東北福祉大学)  

 

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| comments(0) | - | 08:32 | category: 奨学生からのお便り |
# 16蓮の花奨学生からの報告28 前期ニンビン省編3

今日は、ニンビン省3人目のヅエンさんのお手紙です。

故郷を離れて、下宿での大学生活を始めたヅエンさんです。

    

ハノイ、2016106

吉田 玲子様、ベトナム支援隊の皆様

 

 私はラ・ティ・ミー・ヅエンと申します。経営・工芸大学の学生です。

Yoshidaさんとベトナム支援隊へお手紙を送らせていただきます。

まず、皆様とご家族のご健康とご多幸をお祈り申し上げます。

 

岩崎渉さんからいただいた詩と支援隊からの激励の言葉に感激します。

「支援隊からの激励の言葉:自分がいまいる場所で全力をあげる。その精神があれば、人との出会いは成長のチャンスを生みます。」

 

小学校、中学校と高校12年間の勉強が終わりました。これから、家族と離れて、故郷とも離れて、色々な思い出を持ちながら、いろいろな困難がありそうな新しい大学生生活を始めました。しかし、社会に役立つ人間になりますように、皆様のご期待を値するように、その困難を乗り越えて勉強を頑張りたいと思います。

 

皆様

吉田さん、ベトナム支援隊から、奨学金と精神的な激励をいただいてほんとに嬉しいです。それは、桜の故郷のおじさん、おばさん、お兄さん、お姉さんからいただいたプレゼントです。それは「人と出会い」ではないでしょうか。

 

末筆ながら皆様の健康とご多幸をお祈り申し上げます。

 

 ラ・ティ・ミー・ヅエンLA THI MY DUYEN

    

    ヅエンさんと三浦柾由美さん

++++

 

【北村からのお返事】

 

お手紙ありがとうございます。

 

大学、合格おめでとうございました。工芸大学と手紙に名はなっていますが、大学の正式名はダイナム大学と聞いています。ベトナムには数少ない私立大学です。ソン学長の所信の中に、学生に対して、学ぶだけではなく、国家の建設とリノベーションに貢献するために、新しい方向性、新しいビジョンを発見し、自己陶冶に努めてほしいとのべられています。大学の4年間は、矢の如く早く過ぎていきます。

目標をしっかりとたて全力で勉学に励んでください。

 

折に触れ、岩崎さんの詩も何回も読んでみてください。

大学生活の楽しい報告を期待しています。

 

手紙の翻訳:Nguyn Th Thùy Linhさん

 

写真提供:生田目学文教授(東北福祉大学)  

 

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| comments(0) | - | 08:40 | category: 奨学生からのお便り |
# 16蓮の花奨学生からの報告27 前期ニンビン省編2

今日は、ニンビン省二人目の蓮の花奨学生の手紙です。フオンさんです。

    

ドゥック・ロン(Duc Long,手紙の筆者が住む地域の名)2016年10月11日

 

ベトナム支援隊、ニンビン省VAVA会長Ta Quang Chinhさんへ

私はグエン・ティ・フオン(Nguyen Thi Huong)と申します。住所はドゥックロン(Duc Long)社、477号通りです。

 

23日、26日、27日と28日は枯葉剤被害者の周55年の記念日です。ドゥック・ロン(Duc Long)社には、直接的な枯葉剤被害者が7人います。その内の2人はなくなりました。残っている人は、65歳、70歳、75歳の人など5人です。その中に、私のうちおじいさんがいます。また、父の弟も間接的な被害者ですから、毎日病気と闘っています。

 

この間、ニンビン・チェオ劇場(訳者註:チェオはベトナムの伝統的な歌です)で、「芸術交流夜」に参加し、たくさんの困難を抱く被害者の話を聞くことが出来ました。ですから、もっと頑張らなきゃと自分を励ましました。

 

Duc Long社(村のことです)に住む枯葉剤被害者について書かれた詩がありましたので、ご紹介します。


         いまだ残る痛み

心を痛めつける枯れ葉剤

アメリカという敵の存在を誰でも望んでいない

今一番貧しい人

食費も事欠くのに、毎日支払う薬代

異常な体

一番悔しい思いをしている人だ

だから、お互いの心に抱こう

枯れ葉剤という痛みを

アメリカという敵は 自分がしたことを振り返っても、

責任は取らないから、痛みはもっとひどくなる。

枯れ葉剤がまだ残っている

ドゥック・ロン(Duc Long)では

直接浴びた7人のうち2人が死んだ

間接的な被害者だっている

笑いもせず、話しもせず、寝たままだ、

ご飯を食べさせないとさまよい、痙攣は繰り返す

いつ人生が終わるか分からない

本当に苦しい

いつか楽になれる日がくるのか

本当に悔しい

子供に命を譲りたいけど、こんな命は誰もほしくない

 

泉からの渓流はつながっている

一緒に団結し、(この人達に)毎日恩返ししていこう。

 

お手紙はここまでです。皆様のご健康とご多幸をお祈り申し上げます。

グエン・ティ・フオン(Nguyen Thi Huong)

    

++++

    

蓮の花奨学生の中で最優秀手紙賞を受けたフオンさん(2016年)

 

【北村からのお返事】

 

片田舎で、人にしられることもなく苦しむ被害者達を詠んだ詩を紹介してくださいました。

ありがとうございました。

 

枯れ葉剤被害者の苦しみ、痛みが伝わってきます。

それは、残酷なまでの苦しみを生き抜いた枯れ葉剤の被害者とその家族の言葉にならない暮らしぶりを、詩の作者はえぐり出しています。いや、えぐり出すというよりも、詩の作者は、そこに光をあてています。石牟礼道子さんの「苦海浄土」のように、光源文学と言ってもいいかもしれません。

言葉を奪われた人々の心の奥底にあるものを、白日のもとにさらしだしています。

 

ニンビン省には、そういう詩心が、昔から息づいています。それが、チェオ劇場にもいうことができますね。

 

  チェオはベトナムの北部・北中部で急速に発展し、今ハノイには「ベトナムチェオ劇場」と「ハノイチェオ劇場」、二つの大手劇場があります。チェオはベトナムの民間に古くから伝わる話を題材として進められる歌劇で、歌ったり踊ったり、音・言葉を超えて見応えのある劇です。これは大衆性と民族性を併せ持つ演劇です。10世紀から今までチェオには長い歴史があり、ベトナム人の精神文化に欠かせないものです。このチェオに、枯れ葉剤の被害を取り入れたのも、ベトナム人の怒り、智慧、優しさと確信し、その賢明さに感心します。

 

教えてくださってありがとうございました。

 

手紙の翻訳:Nguyn Th Thùy Linhさん

 

写真提供:生田目学文教授(東北福祉大学)  

 

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# 16蓮の花奨学生からの報告26 前期ニンビン省編1

今日から、ニンビン省の蓮の花奨学生のお手紙紹介に入っていきます。お手紙紹介の最終コーナーです。

最初に、ハノイ医科大学に学ぶド・トゥ・フエンさんのお手紙です。

    

KAWAZU Yasuyoおばさん、USUKI Kuriniお姉さん、

ベトナム支援隊の皆様

 

まず、皆様のご健康とご多幸を祈り申しあげます。

 

 皆さんにお会いしたばかりですが、その時の交流がとても懐かしいです。その時、試験があったので、話す時間は少なかったと思います。また、日本語の歌をぜひ教えてください。

 

最近、私たちの家族はみんな元気です。親は病気をもっていますが、お医者さんの指示に従って治療を受けておりますので、大丈夫です。

 

私の勉強ですが、今年の学年は非常に難しい学年です。覚えなければならない知識が増えるし、勉強の時間も多くなります。ですから、時々疲れたり落ち込んでいたりします。しかし、支援隊の激励の言葉を思い出して、家族と親戚のことを思い出せば、心が温かくなりまして、前に進もうという気持ちになります。

 

毎日病院と学校で勉強したり、夜は図書館に通っています。勉強すれば勉強するほど知識の範囲が広くなっていく感じがします。良い医師になるために、もっと勉強しなければなりません。

 

私には大好きな歌があります。その歌を聴くと、やる気が出ます。好きな歌詞を紹介させていただきます。「バラの花だけがある道を進めるわけではない。どちらの足も茨で傷ができた。成功を遂げるために、嵐もあるはず。心に誓って、頭(こうべ)を上げて、前に進もう」

 

末筆ながら、7年間ずっと励まし続けて下さり本当にありがとうございました。私たちはぜひ勉強に専念し、良い人間に成長するようにお約束します。

 

では、また次の時まで、さようなら

 

ニンビン(Ninh Binh) 2016918

ドー・トゥ・フエン(Do Thu Huyen

    

++++

 

【北村からのお返事】

 

すばらしい歌詞をありがとうございました。私も、フエンさんの後ろについて、前に進んでいきますよ。医学部の勉強は、命を扱うので端ではないでしょう。しっかりと猛勉強に耐え抜いて、ハノイ医科大学の花と咲いてください。

 

ダン・トゥイ・チャムを当然ご存知ですね。残念ながら、クアンガイ省の山の中で背後からアメリカ軍に銃撃されて亡くなりました。身の危険を感じながら、クアンガイ省で傷病兵の治療・看護に献身しただけでなく、地元の人々に教育も施しました。ボランティアとしては、それは、それで、とてもすばらしい活動でした。

 

しかし、彼女が戦争を生き残って、今の平和になった時代にもぜひとも活躍してほしかったと、私は何時も思います。

 

岩崎 航(わたる)さんの詩をもう一度ここに載せておきますね。

 

障がい者は戦争のない

平和の中でのみ

生きていける

だからこそ平和を担う

世界市民となれるはず

 

また、次の手紙を待っています。お元気で。

 

手紙の翻訳:Nguyn Th Thùy Linhさん

 

写真提供:生田目学文教授(東北福祉大学)  

 

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| comments(0) | - | 09:35 | category: 奨学生からのお便り |
# ご寄付を頂きました!

昨日のアクセス数は、160でした。ご訪問感謝します。

 

昨日、ご寄付を頂きました!

 

    

 

2月15日 八尾正光・圭子さま 東京都 寄付金

 

毎年毎年、寄付金をお送りくださり、まことに感謝に堪えません。

また、この御寄付で、子どもたちの笑顔が見られます。それは、なにはともあれ、子どものご両親の笑顔にもつながることです。

 

今年も、大事に使わせていただきます。

ありがとうございました。

ご夫妻のご健勝をお祈りします。 

    

          愛のベトナム支援隊

     北村 元 櫻井恵美子(会計)
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# 16蓮の花奨学生からの報告25 前期クアンガイ省編9・完

今回で、クアンガイ省は最後になります。また、岩崎 航さんのことを書いてくれました。ま、読んでみてください。ミー・ハインさんです。

      

愛のベトナム支援隊の皆様へ

今日は、また皆さんに手紙を書くことができまして嬉しいです。皆さんはお元気ですか。私と家族は元気です。今年私は大学3年生になりました。大学の道は半分過ぎました。過ごした年月を振り見ると、自分はラッキーだと思います。皆さんから支援をいただき励ましていただきましたから。そして、クアンガイのVAVAからの援助もあります。

 

また、この手紙を通して、小林健人様にお礼の気持ちを申し上げたいんです。皆さんから奨学金を頂戴し、本当に有り難うございました。皆さんのお気持ちを絶対忘れない、と自分に誓いました。そして、遠い距離を飛んできて下さった岩田和子さんと日本中の学生さん、ありがとうございました。学生さんのお気持ちに感激します。学生の皆さんにも幸せになりますように祈り申し上げます。

 

時間はほんとに誰も待ってくれないんですね。初めて大学に入った時をよく覚えます。あっという間に3年生です。私は臆病で人と話すのは苦手です。ですから学校では友達が少ないです。そして人の前で話すことも怖かったです。しかし今は少し成長しました。自分がだんだん成長できてうれしいです。友達と話せるようになりました(笑)。人の前で発表する時は、練習します。まだ上手ではないんですが、もっと頑張りたいと思います。

 

この間の821日に、皆さんのお気持ちにも感激しました。長い距離をいらして下さったので、休まずに、すぐに会場に入りました。そして、皆さんと学生さんは私たちに奨学金を渡してくださいました。本当にありがとうございました。言葉で表せないほど皆さんのご支援は素晴らしい意義を思っています。 

 

今年は岩崎 航さんから詩をいただいて、もっと特別な気持ちになりました。

「クラスでいちばん

足の速かった君と

足の鈍(のろ)かった僕とが

仲良しであった

友情のおもしろさ」

 

そして、支援隊の激励の言葉も感謝します。「お互いの相違点を分かり合うことに基づく友好は大事です」。

 

ひまわりは太陽の花で、「誠と希望」のシンボルですね。いつも明るい明日を目指しています。

 

岩崎渉さんの詩を読んでから、岩崎さんのエネルギーに感激しました。岩崎さんは私たちが見習うべき人です。自分はまだ幸運な人だと思います。もし私が岩崎さんの立場になれば、乗り越えられたかわかりません。本当に素晴らしい方で、次の世代の人も見習うべきです。

 

人には、自分の足で立ちたい。歩きたい、走りたい、箸で食べたい、自分の口から食べたいなどの素朴な夢があります。しかも、清々しい空気で呼吸したいですね。健常者にとっては、以上の事は非常に簡単なことですが、岩崎 航さんにはあまりにも難しいことです。普通に歩けないし、十分食べられないし、しかも寝たきり、吐き気の繰り返し、呼吸補助装置の世話になることになりました。こんな困難があっても、自分の命を失いたいぐらい絶望の底から立ち上がりましたね。自分の存在を続けていくことを努力し、病気と闘ってきましたね。

 

私は普通に歩けるし、普通に食べられるし、本当にラッキーです。しかし、私には、岩崎さんの辛さのほんの一部分を感じることができます。子供の時から病気と闘っていた2歳下の弟の姿に見ることが出来るからです。弟は生まれながらにして普通に歩けませんし、自分では食べられませんし、話せません。しかも、母のお乳を飲むこともできませんでした。

 

今年弟は18歳です。弟にしてみれば、自分で何一つできない18年間です。弟の飲食、衛生面のことは全部母が世話をします。弟は何もできませんので、毎日たくさんの薬を飲ませないといけないんです。その食後の薬を飲むことをみていて、私はとても苦しいです。弟は本当にかわいそうで、自分が痛いのかもわかりません。ほんとに世の中の全部の不幸は弟にあるではないかと感じました。食事中に突然来るけいれんのせいで、弟は食べられなくなります。その癲癇(てんかん)と痙攣のおかげで弟の睡眠が、満足に終わることありません。痙攣の後、足と手は固く縮み、呼吸もできにくくなります。その姿を見ていると、私の心はとても痛みます。

 

弟のことを見ている親の辛さは言葉で表せません。親はもう若くありません。白髪もあります。親が一生楽しく過ごせて、お金の心配の必要もなくて、体力を絞って働く必要もなくて、私たち兄弟のことを心配する必要なくなればいいなと、考えてしまします。私たち二人は充分に生きたいと願っています。弟のヒエウ(Hieu)君が痙攣に痛みつけられないように、と私は願っています。

 

今回の手紙はここまでにします。皆さんのご健康とご多幸をお祈り申し上げます。

 

来年(2017年)821日にぜひ皆さんにお会いしたいです。

グアンガイ、2016年1017

ファム・ティ・ミーハイン(Phm Th M Hnh

      

++++

         

【北村からのお返事】

 

お手紙をありがとうございました。

弟さんのヒエウ君のことを正直に書いてくださり、ありがとうございました。ご両親は、ほんとうにすごい闘いを毎日なさっていらっしゃいますね。愛情が無ければ、できませんね。ほんとうに、尊敬します。

痙攣、癲癇は、毎日数回起きるでしょう。そして、1回痙攣が起きると30分くらい続くでしょう。ヒエウ君もご両親も、本当にエネルギーを消耗しますね。そういうお宅を何回も訪問させていただいて、すぐに落ち着く薬がないものかと科学の力不足を恨みます。一番苦しいのは、ご本人ですが、少しでも楽をさせようと、すこしでも、癲癇が早く終わることを願いつつ、両手に抱きしめるご両親も大変なのですよね。

痙攣・癲癇が起きている間は、何もできません。膝の上に抱いて、収まるのを待つしかないなんて、本当に辛いことです。

 

お手紙には、弟を思う優しさ、両親気遣う気持ちが、痛いほど感じられます。

 

私たちにまで、感心して下さってありがとうございました。あの日は、病人が出て、到着時間が遅れました。すいませんでした。休まずに贈呈式に入ったのは当然のことです。

 

手紙の翻訳:Nguyễn Thị Thùy Linhさん

 

写真提供:生田目学文教授(東北福祉大学)  

 

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| comments(0) | - | 14:15 | category: 愛のベトナム支援隊ツアー |
# 16蓮の花奨学生からの報告24 前期クアンガイ省編8

今日はクアンガイ省の蓮の花奨学生最後から二人目のトゥー・タオさんです。タオさんは、短大に入るも、お母さんの病気で、家庭経済が抜き差しならなくなり、自ら短大をやめて、地元の工場に就職しました。お父さんは、足に障害があり、なかなか給料のいい職に就くことはできません。

行政がもっと支援する必要があると思いますが、短大卒までは支援しようと決意し、いま支援しています。

        

        この写真は2015年撮影です。

こんにちは!

最初は皆さんのご健康とご多幸をお祈り申しあげます。今年(2016年)は皆さんにお会いできなくて、とても残念でした。就職すれば、職場の規則に従わなければなりません。時間が調整できませんでした。皆さんにはご理解をお願いします。今の仕事は忙しいです。

 

前回の手紙は仕事の都合で、グアンガイVAVAを通じないで、直接に送りましたが、届かなかったですか?たぶん私のせいで、待っている他の友達の手紙の発送が、遅れることになりそうです。本当に申し訳ございません。次回は仕事を調整して、時間をおいて、締め切りの前に、手紙を送ります。

 

私は元気にしています。親と妹も元気ですね。時々、病気が出てくることだけです。この間、私の妹も、大きくなったなと感じましたか? 皆さんは私の妹を可愛がってくれましたね。妹はずっと奨学金贈呈式について話していました。とても楽しかったと言いました。

        

いろいろなプレゼントを贈って下さり、大変ありがとうございました。大事にします。

 

私の仕事ですが、勤務時間と収入は安定しています。ただ時々大変です。ですが、それは乗り越えられます。前に進まなければなりませんね。ベトナムの天気は台風の季節を迎えました。そしてちょっと寒くなりますが、日本の寒さとは根本的に違うでしょう。お体にお気をつけてください。

 

お仕事は順調に進めていますか。いろいろ場所や国を訪問するので、困っている人をたくさん助けることができますね。皆さんがなさっていることに、意義をみいだされているでしょう。ぜひ皆さんはずっと若いままでいてほしいです。歳をとらないでください。より楽しく過ごしてください。皆さんの国は発展国ですから、次にお会いできる日に、日本の話を聞かせてください。それは、私たちに対して役に立つはずです。

 

私は毎日出勤します。夜に出勤する日もあります。妹は毎日勉強しています。母は妹の面倒を見ながら家事をしています。父は天気に関係なく、早い朝から深夜まで働いています。私は、以前より自分は役立っているのではなないか考えるようになりました。親にも妹にも手伝ってあげます。ですから、今の生活はとても幸せで、楽しいです。

 

しかも、皆さんから支援をいただいていますので、もっと楽しく過ごしたいです。私と家族から皆さんに深く感謝の気持ちをお伝えします。

 

手紙はここまでにします。皆さんとご家族のご健康とご多幸をお祈り申し上げます。さようなら。またお会いしましょう。

 

ファム・ティ・トゥー・タオ(Phm Th Thu Tho

      

++++

      

【北村からのお返事】

 

お手紙ありがとう。

元気でいる様子がわかります。

職場にもなれて、夜勤もこなしていることもわかりました。短大を退学しなければ、今年卒業の年でしょう。わずか三か月も在籍しませんでしたが、今度は職場で大事な人になって下さい。そうなることをご両親も、ニューちゃんもきっとみていますよ。時は、誰人にも平等に流れていきます。だが、どのような時を刻むかは、その人の「心」で決まっていきます。あなたの「行動」で決まっていきます。

 

奨学金贈呈の会場には、御両親と妹さんの三人で来てくれました。ありがとうございました。お母さんのフオンさん。お父さんのフオンさん。次女のニューちゃんがきてくれましたよ。

 

しばらくは大変な時期が続くもしれませんが、ご両親・妹さんと仲良く過ごしてください。一家の和は、タオさんにかかっています。奨学金を下さった宮尾さんにも御報告しておきます。

 

タオさんの奨学金証書に載せた岩崎航さんの詩をもう一度、書いておきます。

突き抜けた青空が

あることを

教えてくれる

母が

いる

 

雨が降っても、その雲の上は青空です。そして、常に太陽は輝いています。意味の深い詩です。

 

お元気で。

 

手紙の翻訳:Nguyễn Thị Thùy Linhさん

 

写真提供:生田目学文教授(東北福祉大学)  

 

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